2013年5月31日金曜日

詩人という「道化」

(二〇一三年三月二十九日「詩客」詩時評)

 昨年の三月十六日に吉本隆明氏が亡くなってから「親鸞」に関する書をしばらく読んでいた。親鸞の「愚者」という「むなしさ」にはまってしまった。愚者にとって愚はそれ自体であるが、知者にとって(愚)は近づくのが不可能なほど遠くにある最後の課題であるとする。〈知〉にとって、〈無知〉と合一することは、最後の課題だが、どうしても〈非知〉と〈無知〉の間に紙一重の〈無知〉を持っている人々は、それ自体の存在であり、浄土の理念によって近づこうとする。(吉本隆明著『〈信〉の構造 吉本隆明著・全仏教諭集成19445?1983・9 春秋社』希望と絶望の光と闇は、表裏一体で存在する。生と死の世界を反転させるものは遠く離れたものではない。この境界を跨いで、幻想と現実を同時に生き、それらの間を自由に往還して、世界の隠れた襞を現象させる、という存在が詩人という「道化」ではないか。

 寂しいことに、この三月十日に文化人類学者の山口昌男氏が亡くなった。日本と世界の危機的状況を仲介する者「トリックスター」はまだ現れていない。翌日は、二年目の3.11を迎えた。日本だけではなくフランスやドイツでも原発廃止への抗議デモがあった。それ以後、西脇順三郎の「イロニイ」ということが少しわかった。釈尊の根本仏教も「一切皆苦」と言っているが、人生は寂しさと苦しみの極みを乗り越えて、生きていくしか生きようがない。もう考えるのは止めましょうよ、という地点にきて、新しい気持ちがやってきた。物を書くことに必要な、「声明」が見えたのだった。
                                       
 それでは、二月初めから三月中旬までに届いた同人誌・個人誌・二人誌で手許にとどめた雑誌について紹介をしたいと思います。届いた、ということで発行が一月の物があるかもしれません。別の場所で紹介した物は割愛しました。雑誌としての形態などを中心に述べていきます。詩を志す者は、いつでも詩の材料を探しているものです。詩を書いても発表する場所がなくては、紙屑でしかありません。詩誌に集うのは、その詩誌の創刊時の思いや、志の継続にあると思うのです。表紙には、強い思い入れが現れるものです。編集発行人の苦労が忍ばれるからです。


柵no.314.(詩画工房・七百円)三月号で終刊になりました。月刊誌でしたが、廃刊の理由は、同人の激減による経営悪化で、第三種郵便の認可が下りなくなったということもありました。石原武氏らの散文が充実していました。

孔雀船vol.81(望月苑巳・七百円)執筆者三六人。一〇九P.特集はパク・ミサンの韓国詩をハン・ソンレ氏が翻訳。ゲストと同人の詩。とくに注目は、孔雀画廊のエッチングです。見開きニP.ですがとても素敵です。小柳玲子さんの「絵に住む日々」の散文と写真はとても興味深いものでした。
鹿首3号(小林弘明)特集は「変わる時間」。詩と歌と句と美術の総合誌で「鹿首」。表紙画の美しさに見惚れた。高柳蕗子さんが〈時間〉の背後霊、を書いている。時間論ではなく、歌に詠まれた時間を読み解いていく。万葉集の一―二五の天武天皇の長歌を紹介している。時の流れの絶え間なさを、雨と雪の降るようすでうたう。流れている水の流れに時間も流れて、水音だけが聞こえてくる。水音、癒しの音の水音を見つけたいと思う。

詩誌侃々 2013no.19(田島安江)同人の詩作品のほかに、田島安江さんのエッセイ「詩を読む十九」は、膵臓癌で亡くなった関西の詩人・島田陽子さんの『森へ』と「わたしが失ったのは」の作品解説。普通の親しさの間柄で、別な詩人の癌闘病詩を読んで、再読しての解説。詩は、思いもよらぬ方向から再びやってきて人の心を抉っていくものだと思う。この散文を読んで私も島田陽子という詩人を考え直した。それは、当然ながら、明るさのなかに暗く重く痛く潜んで、詩人を闇に連れ去った病と言葉との関係についてだった。写真でマップを載せないとその「かたち」がわからないかもしれない。

Furoru創刊号(フロルベリチェリ社)定型封筒八十円で送付できて、気持ちよく掌に乗る月間の二人誌です。「フロル」創刊号から三月の三号まで順調な発行です。創刊号では、紺野ともさんが「環」、「NOJESS」、川口晴美さんが「こゆびの思いで」を書いている。二つ折の紙片は、あいさつ文と紺野さんの「現代詩赤文字系」という付録の文章がとてもおもしろく、第3回の「胸キュンがほしい!」の後半も、女性として「ずっとかわいくいたい」層は確実に広がっている。は、そうさせている社会の広がりがあるとして考えると、文化と商品がジェンダーにもたらすものの影響力は恐怖だと感じる。

黄薔薇百九十七号(高田千尋・五百円)奥付まで六十四ページ。表紙の写真がいつも美しい。永瀬清子さんが創刊した詩誌。永瀬さん亡き後百九十七号まで継続されているのは、「永瀬さんの理想と詩を慕っているからだ」と後書きにある。二五人の同人のうち、この号に参加された方が亡くなって次号は追悼号。大勢の同人の方を纏めていくのは、たいへんなことです。ところで、永瀬清子という詩人の個別の作品は読み知っていたが、詩集を読んではいなかったので、一九九〇年思潮社発行の現代詩文庫『永瀬清子詩集)』を読んでみた。飯島耕一の解説に共感した。「村にて」という作品に触れて、「永瀬清子は美しい風景も、美しい労働も、他者(共同体)と分かち合いたいという強い願いを持っており、それのみたされない時、限りない失意を覚えるのである」と述べている。同人誌を発行してそれが長く継続しているのは、「他者(共同体)と分かち合いたいという強い願い」かもしれないと思った。

ぱぴるす102号(頼圭二郎・四〇〇円)パソコン印刷で中綴じ本。二二ページ。椎野満代さん、岩井昭さん等七人の詩誌。岩井昭さんの「なみきくん」にノスタルジイを感じた。

現代詩図鑑 第十一巻・第一号 二〇一三年冬号(ダニエル社・真神博・七〇〇円)一一〇ページ。この詩誌は同人誌ではなく、季刊でその都度の会費制による発行。今回の参加者は、二八名。巻頭の書評は海埜今日子さん。榎本櫻湖さんの作品「それを指でたどって」は、行替えや、文頭の文字下げもなく四角の箱型文字の模様で始まり終わる。北欧と思われる風景から。フィヨルドの北端から川を溯って国境を跨ぐと、つまりその辺りの地図を眺めていて、で一行目が始まる散文詩で、今まで見知っている櫻湖さんとは違っていて、静かな内面に向かいつつある言葉のエネルギーとこの地図旅行による詩法が、果たす言葉の行方を想像した。今度は何をしようとしていますか、櫻湖さん。次の散文詩は倉田良成さんの「三叉路」。倉田さんの散文詩も書き出しの行頭が一文字下げで、あとは行替え無しで一気に最終行まで突き進む。こちらは、自分が見知った中華街の雑踏のなかの、三叉路までの意識を飛ばして行く歩行。現実にその場所を歩いているわけではなく意識が流動する。三叉路を中心に巡る意識。戻れない現実の自分の恐怖が最後に現れる。この二つの散文詩のおもしろさは、経験のない想像の地への意識のめぐらし方、経験して知っている地への意識の流れ。最後には、「ここ」へ意識を戻して来なくてはならないのですが、後者の方が難しいのです。

まどえふ 第二〇号(水出みどり)一四ページ。女性六人の詩誌。巻頭作品は、橋場仁奈さんの「ぼうし」。面白い作品なのだけれども行間と文字間が空きすぎていて、とても読みづらいと感じる。行分け詩だとあまり気にならないが、散文詩だと間延びして、文字が飛び散っていくと感じたがどうでしょうか。

折々の no.28(松尾静明)一四人の同人中、男性が二名。全員が行分けの詩を書く。後半に「連弾」という小文のページがある。松尾静明さんが、詩人が書いた短冊について書かれているのが興味深い。

花 第五六号(中野区 菊田守七〇〇円)四三人の同人という大所帯。白い表紙に「花」の文字のシンプルさ。一段組と二段組を用いて後書まで七六ページ。
Hotel第2章no.31(hotelの会五〇〇円)一四人の同人。奥付まで三四ページ。福田拓也さんの「列島がなおかつ波にさらされる岩場として・・・・・・」に注目した。海埜今日子さんの柴田千晶詩集への書評に共感をもって読んだ。

独合点第115号(金井雄二 二〇〇円)「水にうつる雲」という散文を金井さんが書いている。相模川のウォーキングコースについて。阿部昭の小説「水にうつる雲」という小説の舞台と同じ場所であるということで、小説の内容とウォーキングが重なっていく。川べりの散歩は「詩想」が生まれる場所です。

すぴんくすvol18.(海埜今日子 二五〇円)一二ページ。ゲストの田野倉康一さんの「生き急ぐ死者たち」の最終行おやすみ こどもたち だからもう おとうさんは帰らない は、私も眠っている子どもたちにそう言って消えていくだろう、と思った。海埜今日子さんが後書で「幼年ホテル」という言葉を使っている。詩情に満ちていて詩が生まれる「幼年ホテル」だ。誰もがそんなホテルに憧れる。

Down Beat no.2(柴田千晶 五〇〇円)七人の同人。柴田千晶さんの「あした葉クッキー」がおもしろい。閉めきったままの雨戸が一気に開けられ、死体はようやく春の死者となる。というところ。日本のもう一つの現実。人間の関係が壊れたのです。関係を拒否する人もいるので複雑な現代社会です。

ぶーわー30号(近藤久也)オレンジ色のA四の色画紙を二つ折りにした個人誌。ゲストは蜂飼耳さん。近藤さんと一篇ずつの詩。裏表紙に、中沢新一の「アースダイバー」についての二三行の散文は狭いスペースによく纏まっています。無駄のない紙面の使い方でした。

「冬の詩集」・三冊

(第九十回「詩客」詩時評)

        
 
 二〇一二年十二月初めから二〇一三年一月上旬に手許に届いた冬の詩集の中から、今回は三人の詩人の詩集について述べます。

芳賀稔幸詩集『広野原まで(コールサック)』について

 芳賀稔幸さんは、福島県いわき市在住の詩人。詩集は、3・11以後の雑誌に発表した作品と、今回の詩集のために書き下した作品で構成されている。三章からなる一一〇Pの上製本。裏表紙カヴァーの見返し部分の文章に「ひろのはら」とうたわれている辺りは、広野火力発電所の白い巨塔が望める旧警戒区域の検問所があった。解除されたとはいえ、北上が許されるのは、国道六号線で六?足らず。」とあります。「ひろのはら」とは、私の小学校のころの音楽の「みんなの歌」という副教材に「汽車」という歌があって、そこに歌われている場所がこの「広野原」でした。詩は、三二Pに「広野原まで」があります。第二章の後半部分を引用します。「忘れるな、福島原発は第一だけではない/いまだ廃炉が見込まれてはいない/若しも第二が冷温停止を成せなかったならばー/いずれにしてもヨウ素131被曝は免れなったのだ/どれほどの被曝線量だったかさえ不明なままだ/東電は自主避難の賠償金の名目にすりかえて知らぬ顔だ/(省略)」

あとがきには、「楢葉の警戒区域が解除された。はたしてどこまで行けるか。国道6号線のJビレッジへ右折する辺りが旧警戒区域検問所のあったところだ。警官が大勢交替で常駐していて、パトカーや、車窓に鉄線を網のように張り巡らせた大型車が、車道を塞ぐように並べられていて、バリケードのさらに奥で行く手を遮っていたものだ。」 詩篇「神様へ」の2連目を引用する。「寝たきりの布団は海水で濡れて冷たすぎます/どうか、ふかふかで温かで真っ白い布団のなかへ/くるんでは下さいませんでしょうか」神の子羊たちが、あのようにたくさん受難に遭ったのだ。震災瓦礫が広域で焼却処理されているが、あの瓦礫は放射能の有害物質であるとともに、震災に遭った人々の遺体の欠片が含まれているとしたら、現在の補助金というお金がついて回る広域焼却がそれで良いのかと思う。瓦礫を処理しなくては建物が建たない、という復興は復興ではない。「どうか、ふかふかで温かで真っ白い布団のなかへ/くるんでは下さいませんでしょうか」という詩人と現地の人々の思いや、震災で亡くなった人々の傷ついた遺体の哀れに日本人は哀悼の気持ちを持ち続けなくてはならないと思うのです。


 鈴木東海子詩集『草窓のかたち(思潮社)』について
「形の字」になっていくということ。

 鈴木東海子さんの新詩集『草窓のかたち(思潮社)』の表紙画は、バーバラ・ヘップワース(イギリスの女性彫刻家)のスクリーン・プリント「オーキッド」。ヘップワースの彫刻を巡って、ロンドンからケント州のセント・アイヴイズへの旅であり、これと並行して小説の中の主人公の手紙なども出てくる。詩の中の物語が始まる「詩旅行」を楽しみたいと思う。入沢氏の栞文から引用すると、それに加えて、中世のチョーサー著すところの『カンタベリー物語』をなぞるようになされた、現代のカンタベリー巡礼であるのだ。ということ。作品中には、バーバラ・ヘッブワースの彫刻作品が次々と出てくる。作品はPC.でネット検索すると見ることができる。また、カンタベリー物語について、読んでいない読者は、(註)を参照してください。私は、一つの詩句に導かれて次々と現れる、物質としての言葉に大いに興味がある。入沢氏が帯文で言う「複数の次元」がなまなましく読者の現前に現象されてくる。「彫刻が現れる詩集」ということもできるだろう。

*(註)バーバラ・ヘッブワースは、イギリスの女性彫刻家。ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートに学び、そこではヘンリー・ムーアと同窓でした。人間の胴体を意味する「トルソ」と題されたこの作品も、金属で造られ、抽象的・構成的なかたちをしていますが、そこには生命感が満ちあふれ、人間のぬくもりさえ感じられます。(安達一樹「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞一九九〇年六月十三日掲載より引用)

*(註)『カンタベリー物語;The Canterbury Tales』とは、十四世紀にイングランドの詩人ジェフリー・チョーサーによって書かれた物語集である。当時の教会用語であったラテン語、当時イングランドの支配 者であったノルマン人貴族の言葉であったフランス語を使わず、世俗の言葉である中英語で物語を書いた。(引用wiki)

 鈴木東海子さん自身が、彫刻の制作をされていたので、それで、九十年代には列車を乗り継いでカンタベリーに行ったということだ。バーバラ・ヘッブワースの彫刻と、「カンタベリー物語」を歩く旅が、詩の中で始まるのです。ワクワクしますね。いったい幾つの物語が詩篇のなかに出てくるのでしょうか。それでは、詩のページを開いてゆきましょう。 作品は、「みどりの序章」から始まって、「窓の第1章」、「窓の第2章」、「窓の第3章」、「窓の第4章」、「草窓の結章」までの作品数は二一篇、これに続いてプロフィールや註も作品世界に深く浸ることができるもので、おもしろい構成。この詩物語のなかへ、カンタベリー物語を歩ませながら、鈴木さんの歩行を「草兎」の目で楽しんでいくことになる。

1 「みどりの序章」

アヴヵ丸で過ごす薄暗いロンドン生活から、彫刻家の手紙を読み解いていく。小さな文字で真っ黒に塗りつぶされているようなノートを開けて。みどりの藻の匂いがする苦い液体を飲んで。ここに出てくる書名は『アラビアのロレンス』。懐かしいですね。トーマス・エドワード・ロレンスの自伝『知恵の七柱』からロバート・ボルトが脚色し、「戦場にかける橋」のデイヴィッド・リーンが監督した七〇ミリスペクタクルです。この序章には、こんなふうに書かれています。『アラビアのロレンス』は毎週一万冊も印刷されて読者の目に届きます。吐く息も揺れて眠りの髪まで揺れて爪に力が入ります。〈草のみどり、ポプラのみどり、月桂樹のみどり、エメラルドのみどり〉と詩人が牧歌的に歌っている。この序章の後半で、詩人は眼差しの方向をこんなふうに書きます。〈視ているものを。〉〈遠くのものを。〉この眼差しの歩行を探っていきます。
 ロンドン大橋を渡りきると「サザーク大聖堂の時計が見える」。サザークはカンタベリー巡礼のロンドンの地名で宿屋タバルトから出発する。《うずくまる人のようで《人であるが人であることなく《人形であるが人形であることなく・・・ヘッブワースの「一つのかたち」が立っています。火力発電所であった吹き抜け空間をもつ美術館のスロープ。そして、「風景の成長のなかでこえるのだ」
「穴のある形(1931)」そもそもこれが、ヘッブワースの彫刻の作品タイトルなのだとわかると、この詩集の読み方がわかってくる。「三つの形(1935)」。これらの作品を通過して、街の真中のヒースに踏み込んでゆくと、子どもの影が喋りだす。《ぼくはここで/草兎になるよ。ヘップワースの作品「三つの形」のなかから生まれた卵。卵から生まれた子どもが、草兎になる。草色になって隠れているから「草兎」。「穴のある形」の抽象から、兎の足で蹴られた具象。「トルソ? ワイルドの背中」とあるように、オスカーワイルドの家は不在で、旅の人とすれ違う。さっき、すれ違ったの「トルソ?.ユリシリーズ」から抜け出した男のようだ。「ぼく」が再び詩人に語りかける。《ぼくに/血をかけて。/もう一度。もういちど。ここまでが作品の場所を尋ね、作品と出会い「ぼく」に出会う、「みどりの序章」だった。なんて魅惑的な「草兎」と「ぼく」だったろうか。

2. 「窓の第一章」

骨董市の路上に並べられていた古い絵から始まる。絵からの手紙。「朝食のテーブル」絵と、東の国の詩人の言葉。ここにあるリンゴの絵と窓の外に飛び出した詩人。「草の形見函」。この詩はかなり長い。〈干し草山殺人事件〉十月の土曜日の骨董市から始まる。沈み彫りの文体で小説をかくつもりだった、という「沈み彫り」とは何か。そして、セント・アイヴスへ。ヘッブワース美術館へ。1968年と1934年の彫刻作品を詩で見ながら通過する。バリー列車に乗って野兎の丘へ。〈草の駅〉〈鐘の駅〉〈橋の駅〉そして大西洋を飛び越える。


3.「窓の第二章」から一気に「草窓の結章」へ

お兄様(=ベン・ニコルソン)にあてた手紙のあたりから散文詩風なスタイルになるとともに、この詩旅行は最終段階へと向かう。ようやく詩集のなかの複数の次元から浮き上がってくる。レリーフのような物質がはっきりと心に描かれてくる。言葉でその輪郭が現象される。「見えて」くる。詩篇「形・断章」の後半に「水の眠りのように。細かく細かく細かい字に。/形の字になって。」のように、ここに現れてくる。「音信の庭」でそれはますますはっきりとした詩人の思いと、ヘッブワースの彫刻を刻んだ指とが触れあっていく。花が声を出し、感情が色になって、指をつつむ、その先に立つ「煙」。記憶の煙景として。セント・アイヴスの彫刻家のアトリエの庭で。そしてさらに、「犬のいる場所=カンタベリー街道」で中世の笛吹き男と灰色の犬を見る。「朗読の人」のなかでは、シルビア・プラスの「親切」が吉原幸子訳で書かれる。さまざまな次元の朗読の「声」が高揚して、沈黙へ歩行する。「野を歩く女達は/母であったかもしれない/少女であったかもしれない/沈黙することは/全部であったかもしれない/朗読するように/歩くのであった。「水分」を」最終章詩篇は「海のかたち」=ボーツミア海岸へと続く。「海の形(1958)」の彫刻作品のうえに詩人の「海のかたち」が被さっていく。《待っているよ。/めぐっているね。/くずれてしまいやすい砂の/くたれてしまいやすい草の/青いくぼみに形の重みもゆだねて/草の眼に虹がかかる。》プラスの詩と吉原幸子の声が重なっていく。


 倉田良成詩集『横浜エスキス(ワーズアウト刊)』について
倉田良成の「幻想的体験」詩集。

 昨年の夏に発行された『グラベア樹林篇』は、おもしろかった。そのことは、夏に書いたので、その前の『小倉風体抄(ミッドナイトプレス)』についても少し書こうと思う。そうでないと、この詩人について理解することができないように思う。この詩集が、昨年の夏に届けられたときは感想を書いている時間がなかったからだ。今年の正月に再読。詩集で扱われる小倉百人一首は、三五篇、こうして読んでみると全部知っていた。十四ページに「龍田の川の」がある。『永承四年内裏歌合によめる  あらし吹三室の山のもみぢばゝ龍田の川のにしきなりけり  能因法師』これが、冒頭にあり、散文詩が一文字空けで行替え無しで三三行続く。初めの一行は「その秋、彼女と私は都内で唯一残る路面電車に乗って休日を過ごす計画を立て、まず深い青空にさらされてある早稲田の乗車場から二両連結の小さな電車に乗り込んだ。」で始まり最終行は「わたしたちはいったいどこへ還るべきなのか。筑波まで行く、ユリカモメよ。」で終わるという具合なのだ。このように、この詩集のスタイルは、まず冒頭に小倉百人一首の歌を引く。

 そのあとを、散文で現代の倉田良成の分身が、歌の中を歌とは関係なく「旅」をする。時空を超えた詩情漲る魂の浮遊、とでも呼べばいいだろう。ロマンチックで、残酷で、悲しくて、最後にはこんなさびしい人間の生命自体を愛おしく思う、そんな終わり方になっている。寂しさや悲しみ、苦しみや痛み、その哀れな人間の姿の滅びていくさまと、「はかなさ」という花の花びらを一枚一枚剥がして、詩という紙の上に文字起こししてゆく。というのが、倉田良成のスタイルのような気がする。これは、「魂の浮遊」を扱った詩的な体験記録なのだろう。「詩的な」という意味は倉田にとっては「幻想的な=夢遊病的な」体験であり、よく言われる「非現実的な=現実」を意味する。だからこの幻想的体験は「詩」なのだと思う。

 さて。『横浜エスキス』の表紙は群青の海。詩人が暮らす横浜沿岸の暮らしが語られているかと思えば、登場人物は日本人だけれども特定できない外国の情景が浮かび上がってきたりもする。作品は巻頭の「水の女」のトリニダード・トバコからやってきた男のパフォーマンスの音楽について「無窮動なリズムのうちに、悦ばしいような悲しいような、無限の明るさの中で涙が出る」に始まって「青空で鳴らされる鐘」まで、三四篇。「青空で鳴らされる鐘」だけが自作詩のみで引用詩はない。あとは全作品が見開き一ページ内に収まるという構成。右の半ページで詩論詩風な詩を書き、左の半ページで引用作品を載せる。これを「詩」というには強引かもしれないが「詩論詩」と呼べば右のページの散文は詩としての抒情を滾らせている。「詩」へ向かう、「詩」を想いだす、「詩」が立ち上がる、その瞬間の神の美技(みわざ)がある。自己脱出の寸前の気配、手繰り寄せる糸が血流になるとき、そんな詩的世界の時空がここにはある。読者は限りない純粋な抒情を受け取る。掌と指になじむ冊子の紙という物質が急にそこに存在する人間の影となって支えきれなくなる。夜には湿気を帯びてくるペーパーバックスの柔らかな紙が、まるで詩篇のなかの人々の吐息のように悲しみの涙のように、しっとりと落ちてくるのだ。「本牧へ」では「われわれ」と「わたし」を登場させ、船の職場で「わたし」がパイプの詰まりを修理してみせる。そこで見る、冷たい宝石のような笑顔。「嵐は数えることをしないが/運命は一瞬の光でおまえたちを数える/待ち遠しいぞ 世界の終りが/(省略)」と鮎川信夫「戦友」を引用する。この左半分にある散文と引用詩を繋ぐ物質は、「運命は一瞬の光でおまえたちを数える」の「光」を連想させる「冷たい宝石のような笑顔」だ。連想と連想を繋ぐときに現れる言葉の物質の「核心」が、群青色の海の色とともに立ち上がる、倉田良成の『横浜エスキス』だった。

死を想え、そして「生きよ」

(十一月三〇日第八十一回「詩客」自由詩時評)
 ラテン語のメメン・ト・モリとは、「死を想え」という警句。東日本における震災と原発事故からずっと、何でもないような貌をして生きているのだが、「いま・ここ」で、自分の現実をしっかり生きることによって、死を想え、そして「生きよ」。という新たな感受性を立ち上げることができたらいいと思う。子どものいじめや、虐待、国土と人体への夥しい危機的状況。今の日本と日本の社会に大切なことは「命」という視座に立つということに尽きると思う。

 一九六八年に出版された吉本隆明の『共同幻想論』が何故、当時の学生に熱狂的に支持されたのか。その時代を生きた人々は、団塊の世代と呼ばれた人々だった。彼らの魂に与えた影響は何だったのか。一九六八年と言う年は、五月一〇日に勃発したパリ五月革命に言及しなくてはならないだろう。(注:フランスのパリで行われたゼネストを主体とする民衆の反体制運動と、それに伴う政府の政策転換を指す)パリ5月革命から世界中に学生の騒乱が起こり、日本においても全国の都市で大学紛争が広がっていった。それは人間の「魂」と「精神」の生成への挑戦だったと思う。西洋哲学とキリスト教ゲルマン語圏の視点に立つ「愛」と、日本の土着の神と仏教との融合から生まれた日本の「信」というものは、どこまで密接に現在の日本人の生活と日本語のなかに棲みついているのだろうか。考えを深めていきたいと思う。

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二〇一二年一〇月から十一月の詩集について

 植村勝明詩集『王国記(土曜美術社出版販売)』「王国記」と「わが神学」の二つが合わさった詩集。個人的には、「王国」や「神話」が好きな人にはたまらなくおもしろいけれど、なんのことかわからない人もいるかもしれない。帯文には、ちょっと怖いことが書いてある。気にせずに、どんどん読んでしまった。後書きも、詩篇の続きのようで実におもしろい。詩人はすでに「失望」も「絶望」もやりつくして、「このあと王の政治は国民からその血を取り戻すことである」と巻頭の最終行で記したのだと思う。心して、読み進みたまえ、ということかな。詩篇「ゼラニウム」十四P.四行目を引用。「先の王が戦場で深手を負って倒れたとき、牧童出身の兵士がその傷口を見慣れない草の葉で覆った。蠅がたかるのを防ぐためである。王は、結局助からなかったが、終わりに臨んでその植物を故国に持ち帰るように命じ、「通りが花でいっぱいだ」と言うや息絶えた。」

野村喜和夫詩集『難解な自転車(書肆山田刊)』三十二篇、二百P.詩人の旺盛な創作力と意欲的な詩活動に敬意を表したい。なかでも「探求」という作品に戦慄する。(一九三二年九月一二日、ロンドンのとある十字路でのこと、)そのことに戦慄する。《奴らを高く吊るせ》このフレーズが、7回出てくる。中性子の核分裂の様子が描写される。3.11にリンクする渾身の作品。

小川三郎詩集『象とY字路(思潮社)』
二一篇の作品を収録。本を作るという技術も凄いと思う。右からページが始まって、目次が左から始まる。作品タイトルが左ページに入って、捲ると右ページから作品が始まる。ページに一枚の無駄もないデザイン。墨の流れを思わせる表紙デザインのソフトカバー。渋い装丁の一冊。作品の始まりから、生きていることが冷たく淋しい私が居て、いまの現実は疾うに終わってしまった世界なのに、詩人以外は誰も気がつかずに暮らしている、そんな世界。幸福とか希望とかを求めていくと、やっと出会えたその場所は、ポッカリ虚無の穴があいていて、吸い込まれていくように思う。そんなイメージが沸いてくる詩集。

柴田千晶詩集『生家へ(思潮社)』
作品は二章に分かれ、十七篇を所収するソフトカバーの一二五P。巻頭の「春の闇」から。「春の闇バケツ一杯鶏の首」の句に導かれていく散文詩。「鶏の首」も「赤い鶏冠」も血なまぐさく怖い。立ちすくみつつ進んでいくと、「雁風呂」の中に、「海問へば「ものみの塔」が日傘より」の句。この句、好きですね。夏は、日傘の「ものみの塔」が歩いている。でも、ここに出てくるのは、「拝島さん」という男性。「ものみの塔」と「拝島さん」は関係ないらしい。感情の連鎖みたいものがあるのだろう、きっと。冒頭に掲げる俳句が、鮮明な印象を先ず与えて、詩的な物語が繋がっていく。「恐怖」という感情の連鎖が導く「詩情」。そこからふいに立ち上がってくる「詩」。「ゆめ」や「まぼろし」を強烈なイメージでつないでいるのは、詩篇ごとの冒頭に掲げられる「俳句」という定型の言葉の強いイメージ。これによって、ぐいぐい物語が引っ張られ、ここはどこだ、と周囲を見渡すと、「生前の世界」らしい。生きていたときの記憶だと気が付くのだ。いまは、もう死んでいるのですよ、わたしたち。生きていた現実って、怖いことばかりでしたね。そんなふうに思った。

ブリングル詩集『、そうして迷子になりました(思潮社)』
読みやすい。これは、大人の絵本だな、と思う。落ち着いている。ユーモアがあって知的だ。倉橋由美子の『大人のための残酷童話』を思いだした。現実世界では、3人の子のお母さんだが、とてもかわいらしい感覚があちらこちらに出ていて、それがとてもみずみずしく新鮮。新鮮ということは生々しいことなのだが、「現実」が気持ちよく書かれていて、大人のための文字だけの絵本だなと。「ほらかあさんもうこんなになまくび/朝一番かりたてのなまくびほげた/最前列のなまくび/ぼくのたいせつなサックをはめた/こんもうの大改革/なまくびだいはっせい/鳩も群がった/ぼくのたいせつなサックやぶけた/なまくびにわらわれた」(なまくびスローモー六四P)なんて、迷子さんのなまなましい現実であった。

疋田龍之介詩集『歯車VS丙午(思潮社)』
疋田さんの詩は、大阪芸術大学の「別冊・詩の発見」の雑誌で初めて読んでから何年かが経つ。その当時、涼しい言葉使いで、いい感覚していると思った。今回の詩集の中では「豆腐滋雨」などは、可笑しさと悲しみが最初からあって、いちばん好きな作品。表紙と表紙カヴァーの関係もおもしろい。表紙カヴァーの裏面と表紙の波線模様がなかなか「いき」であった。

ヤリタミサコ詩集『私は母を産まなかった/ALEEENとMAKOTOと肛門へ(水声社)』
視覚的にすばらしい本。表紙カヴァーは写真家の萩原義弘さん。ブックデザインは四釜裕子(しかまひろこ)さん。もちろん、詩という作品があっての詩集だが、詩篇に挟まれて登場する写真が、言葉と文字をさらにその言葉の肉の襞へいざなってゆく。現象とはイメージである。といえば当然すぎるが、言葉の襞、母を産まない、その肛門へと、言葉はいざなわれてゆくのだろう。そうした愛の襞を美しく贅沢に現象させて「見せた」詩集。

秋川久紫詩集『戦禍舞踏論(土曜美術社出版販売)』
詩人の第三詩集。ブックデザインも和風で個性的。詩篇は「緋」「菫」「銀」「翠」の章から成る。散文詩もあるが比較的短いものがまとまった二六篇。後書きまで九二P.後書きは詩人による解説。詩篇ごとの内部ルールを作り、連ごとに文字数を制限し、相似形やシンメトリーといった視覚的な効果を狙ったとある。音楽性や絵画性、映像的、演劇的な側面を重視したいともある。意欲的な挑戦。各章ごとの扉は、装飾的なデザインであるけれど、文字が文字の規約を逃れていく感覚について、前半の「緋」はおもしろいと思う。後半の詩篇は観念的な部分も見受けた。

相沢正一郎詩集『プロスペローの庭(書肆山田)』
二一篇の作品を所収する七一P.上製本。著者六冊目の詩集。シェイクスピアの『テンペスト』のプロスペローの言葉。「われわれ人間は夢と同じもので織りなされている。はかない一生の仕上げをするのは眠りなのだ。」(小田島雄志訳)が、扉に置かれている。この、プロスペローのセリフは、私も詩集「その人の唇を襲った火は」に所収した長篇詩「JESUS LOVES ME」の中でも後半で用いた。「夢」に現れる経験も人間の知覚に刻まれていく。シェイクスピアの時代のイギリスの現実社会は労働者にはかなり厳しい生活の現実があった。そんな彼らに楽しい夢を見させたのがシェイクスピアの演劇だった。現実逃避ではないが、ファンタジーの場所で息を抜くことが、実際の厳しいリアルをやり過ごすものであった。今の日本もそうなのだと思う。
七一P.「水は夢のように指のあいだから零れ落ちてしまう、しばらく手につめたい痕跡をのこしたまま・・・・。コップに歯ブラシを差し込んだまま、わたしは鏡の前から身を引く。」のだ。

岡野絵里子詩集『陽の仕事(思潮社)』
二〇〇七年からの詩篇二五篇をまとめた詩集。全体が穏やかな温かさに満ちていて、恢復していくこころのように、その言葉を受け取った。六八P.から「恢復期」の部分を引用する。「朝ごとに/私たちは砕かれ/そしてまた満たされる/焼きたてのパンと共に/鮮やかに切り分けられる私たちの日//少しずつ/私たちは恢復していくだろう/まだ目覚めない者の夢/聴こえない声よ/だが/陽が止まる/新しい私たちの日に/気がつけば/夏になっている//」

細野豊詩集『女乗りの自転車と黒い診察鞄(土曜美術社出版販売)』
助産師であった母との思い出の詩集。明るくて爽やかで、幸福な読後感がある。職業を持っていた母が、自転車に乗って颯爽と妊婦のところへ駆けつけていく。その暗い夜を弟と二人で待つのだが、母いつも明るく帰ってくるのだ。「へい、ただあいま」と。中上哲夫の帯文には「わたしはどこから来て、どこへ行くのか、数々の出会いと別れをくり返しつつ、世界を漂泊する魂の詩人」とある。詩篇の終わりの方の作品に「できることなら象のように」がある。「できることなら象のように/密林の奥の/だれにも知られていないところへ行って/ひそかにおれの軀を横たえたい」とあるのは、南米を漂白したこの詩人らしい呟きであると思う。



 親鸞の「人なきところに座す」「樹下に住む者」のように知の極まる場所、限りなく「非知」へと向かう場所に、道化の仮面を被って、現実と幻想を繋ぐ者となること。愚者にとって愚はそれ自体であるが、知者にとって愚は近づくのが不可能なほど遠い最後の課題である、という場所。仏道の「聖なる行為=遊び」に到達する場所は、詩という世界の場所でもあるだろうと思う。

2012年・女性詩人たちの夏

(十月五日第七三回「詩客」自由詩時評)

 六月から九月にかけて、女性詩人の全詩集や現代詩文庫が届いて読ませていただいた。発行所はそれぞれに違うのだが、彼女たちの、現在までの創作の豊饒な成果がここに、現代詩として現象されたように思う。全詩集や選詩集となると、一九二〇年後半から一九三〇年代生まれの方々の詩集になる。今回の現代詩文庫の女性たちは、それより二十年から三十年くらい後の世代になる。ジェンダーを踏まえながら、時代の社会的背景によって彼女たちの詩は、社会言語の影響を受けていると思う。そうした方向からも読み解いていきたい。彼女たちの詩的日常と詩的非日常について探求してみようと思う。

1. 下村和子全詩集(コールサック社刊)
年譜によると、一九三二年兵庫県生まれの下村さんは、昼は大学、夜は演劇の生活をし、二十二歳のときのドストエフスキー作の「罪と罰」妹ドーニャ役で出演してから「罪と罰」は以後の人生のテーマの一つになったとある。詩を書き始めたのは「関西文学」同人となった一九七五年、四三歳のときから。一九八四年に発行した第一詩集「夜の海」から二〇一一年までの十一冊の詩集からの作品と、未収録作品を含めた三五八篇が時系列に沿って編集・収録されている。下村さんの詩集のそれぞれから選ばれた詩篇の最後に、その時の後書も収められていて、その後書の謙虚で清々しい言葉に、心を洗われる思いがする。詩人は、色彩感覚豊かで、「色を象る人」とも言われているが、それらとは少し違う鋭い社会観察眼の「平和の工場」を引用する。「ほんとうは平和なんです/工場長はすごくやかましいんです/仕事はまったくきついんです/ギャンギャンギャン/機械は単調でうるさいんです//工場の前に/うすのろの健さんの家があります/健さんはものが言えないんです//工場の帰りにみなは/健さんの頭を一発なぐります/その日によってその人によって/ゴツイびんたも/小さいびんたもあるんです//健さんは/いつもにこにこしています/痛いけど/やっぱりみなの帰りを待っています//健さんは/友だちがないんです//」(第一詩集「海の夜」より)

一九八四年発行の作品集の、現在とは違う時代の工場勤め人たちの、心の風景がここに描かれているのだが、人の心の奥底に潜むものが描かれていて、虐待されているのに社会と繋がっている、という感情に気づいて唖然とした。これを裏返すと日本人の社会性とか、連帯感とかも見えるような気がする。もっと突き詰めれば、フリークスであることの「高貴さ」に通じるものがある。「健さん」は知らずして、光あふれる人なのだ、と思う。「健さん」ほど、優れた愛の愚者はいない。親鸞は、(信)を求めて行く過程において「愚者になりたい」と言った。トルストイのメルヘン「愛のあるところに神あり」に通じる、「神」の存在が「健さん」だと思う。いまもなお、「健さん」は私たちの心の友だちなのだ。

2. 池谷敦子 選詩集「合図」(美研インターナショナル刊)
一九二九年、静岡県生まれの池谷さんは、二〇一一年までに十二冊の詩集を出版されていて、今回の選詩集「合図」は、それらの詩集から七七篇が選ばれている。池谷さんの詩の特徴は、日常を土台にしながら日常を離れた物語性にあると思う。選詩集は、詩集にタイトルがあるように時系列ではなく、新たに付された小見出しのイメージに沿って「合図」のように纏められている。池谷さんの物語性と、社会への批評がバランスよく表現されている「じる氏」の後半部分を引用する。「「少年」は/世に知られることのない自分に/苛ついていた/卸し金で指を擦るほどに/苛ついていた/「何者か」になるためになら/何でもしてやろう と思った//火を付けた/人が死んだ/―とうの昔 忘れられた事件だ//事件はまた生まれ/また また生まれる/いまは/無害安全となった生涯を 掌にたたみこみ/「せんせい」は/自爆を解き放つ/「少年犯罪の真相というものはですね・・・」/公演は終わった/熱気が扉から出てくる/―あーよかったわぁ いい話だった/積まれたサイン本を横目に女たち/―次 どこ行く?//」

この詩は、凶悪な少年犯罪が起きて世間が驚愕したときに発表されたと記憶している。事件とはまったく関係ない。

3. 鳥巣郁美 詩選集一四二篇(コールサック詩文庫vol.8)
鳥巣郁美さんは、一九三〇年広島県生まれ。一九五九年に第一詩集を発行してから二〇一〇年までに、十一冊の詩集と一冊の詩論・エッセイ集がある。詩と散文詩とエッセイによる、充実の詩選集。特に一九五九年刊の第一詩集「距離」のタイトル詩「距離」は、当時の時代背景から見ても、ひとりの女性の自立した主体が表現されていて優れている。散文詩では「蓮池から」が文字言語の香り立つ蓮池の周辺を表している。鳥巣郁美さんの詩の言葉の中に「凝結した心/それはひとつのしたたりを生むのだ」というのがある。長い詩篇で引用しないが、「黒蝶」という作品にはたいへんに惹きつけられた。黒蝶というのは、「空洞」と受け止められますが、これは「虚無」を意味しています。「時間のすき間で/びっしりと埋まった菜種畠の上を/とおく一匹の黒蝶が舞い上がってゆく」存在のありように向かってすすんでいく、いい詩です。

4. 市川 つた 詩選集一五八篇(コールサック詩文庫vol.9)
市川さんは、一九三三年静岡県生まれ。大塚欽一氏の解説がこの詩人の全体像を豊かに述べている。「自殺者の墓」を紹介する。「疼きを掌にもてあそびながら/知らない だが忘れられない風景に/腰をおろす/夜の向こうに/灰色の地平線を行く足音/遠くなる/歩いているのは 私だ/私は黒い着物を着 足首のくさりに/追われ つながれていた/掌だけは彼方にとぶ/私の仰点に/曾て自殺した 私の墓石がある//」初期詩篇からの作品だが、このほかに「白い墓標」などが優れている。詩人の目標とする核がすでに在ったと思う。

5.馬場晴世詩集 新日本現代詩文庫97(土曜美術社出版販売刊)
 馬場晴世さんは、一九三六年横浜市生まれ。「馬場晴世詩集」に所収された作品は、一九八四年から二〇〇七年までに発行された四冊の詩集と未完詩篇、ゲール語翻訳詩、エッセイからなるもの。知性が明るく輝く、泉のほとりの詩集というイメージ。詩の言葉が人の存在へ向けて「根源」に接触している。「水/流れている/せせらぎで/大河で/海で/私の中で」(「水に」より)ゲール語を研究されている馬場さんの詩集の特色の一つは、アマーギンのゲール語翻訳詩がある。古アイルランド語であるゲール語を理解する人は、現在では非常に少ない。ゲール語とは、ケルト語族に属する言語で、単一の言語ではないので「ゲール語族」と呼ぶのがより適切とされている。アイルランドの女性ミュージシャンのエンヤは、ケルト音楽を下敷きに、心を癒してくれる美しい歌声を聞かせてくれている。馬場さんのエッセイには、ケルトのドルイドのことが書かれていて、個人的に、とても興味がある分野。馬場さんの詩の言葉の泉のほとりには、ケルトの妖精の美しい魂の癒しがある。

6.松尾真由美詩集 思潮社現代詩文庫195
松尾真由美さんの現代詩文庫の解説文を書かせていただいた一人だが、松尾真由美詩の孤高の美しさは、この詩人の全体をしなやかな鞭のように包んでいる。彼女の絶望や苦悩は、日常のそれを超えてすでに「松尾真由美」という表象を詩的に現象させた。ゆえに、松尾真由美の作品は、読者に「松尾真由美というマテリアル」を提供するのだ。美しく、はかなく、あえかな、低い声の息の漏れの、光の疵の、熱い接吻をうけとればそれでいいと思う。現実ではない、現実の似姿としての表象の擬態、それこそが松尾真由美の詩世界なのだから。あえて一言いえば、松尾真由美自身の解説で創作上の「あなた」は溺死した母であると告白しているが、それに沿って詩の成り立ちや意味を了解する必要はない。著者がそのような意識で「あなた」に向かっていたとしても、創作の意識はなおも「あなた」を変容させている。詩的空間とは、私という物の「我=自己」を我知れずに解放しているものだからだ。

7. 中本道代詩集 思潮社現代詩文庫197
中本道代さんの詩集の解説文は六人の方が書いているのだが、北村太郎さんの「暗さのつかまえ方」が、おもしろく、そして中本さんの暗さのなかの明るさという涼しい美しさを言い得ていると思った。詩集の巻頭の〈春の空き家〉からの「三月」は十一行の詩だが、ため息がでるほどに、春になったばかりの「ひるねのころなんか」を表している。未完詩篇のなかから「こおろぎ」(二〇〇四年「馬車」三十号)の五行目から最終行までを引く。「けれどもそれは、一種言い難い生だ。ここは部屋だろうか。黒ずんだ壁の染み、花の薄い影、窓の下で鳴き続けるこおろぎ。花はこんなところで何をしているのだろう。だが、わたしは思う。この花は非常に美しいと。死んだような場所に、見る人もなく置かれているから、いっそう美しいと。窓の外は秋。わたしは記憶を呼び集めてどこまでも愛するだろう。こおろぎが、薄青い空に向かって一心に鳴いている。戦争が、また始まろうとしている。」

発話する主体を獲得するとは、無意識の底に沈んでいる世界を意識の上に反転させ、旅することになる。作品世界のなかに「わたしのなかの他者」を創造できるとき、詩はその作者個人を離れて、読者のなかの「他者」と通底する。内的自己を意味するのだが、ユングの言葉で表現すれば「セルフ(self)」と出会う。表現者は、音や色彩や文字言語のそれぞれの言葉を用いて、その人の視座でその人の母語でこの「内的自己」を表現しているわけである。詩によって表現される、それは「もう一つの場所」と呼ぶことができる詩的空間だと思う。この「もう一つの場所」と現在とを往還して、詩の言葉を綴っていく作業が「現代詩」であると思う。彼女たちの詩集は、その時代の生き生きとした言語を獲得して、他者という表象を現象させたのである。

現実と幻想の境界を跨ぐ「モノ」


(八月一〇日第六五回「詩客」自由詩時評)
*「現代詩」とは何か

 ロンドンオリンピックが始まって、猛暑が続いている七月の午前二時半、激しい悪寒に襲われて、布団を被っても治まらずに嘔吐し三九度の発熱。朝六時に再び悪寒に襲われて、時間外の緊急外来で、血液検査の血を採られて、ミネラルの点滴をしてもらうために、ベッドに寝かされていた。リアルな夢の中で「惜しいな、せっかくここまで現代詩について書いたのにね」と何度も思った。詩を書いてwebへアップするたびに、その新システムでは読者の「パチパチ」という絵文字拍手が劇場の拍手のように鳴り響くのだった。拍手はいいな、《現実と幻想の境界を跨ぐ「モノ」》をいま、書いているしねと、熱病の夢の中で思って、快楽のように絵文字拍手の音を聞いていた。あ、コメントが入った。(現代詩とは戦後詩の後からを言うのだよ)(近代詩と現代詩の境目は朔太郎ではないのか)(跨いでいるのは心平だよ)幻想の出来事が信実であるのは、緊急外来の高額な領収書二枚が現実の証拠として残っているだけだ。新しいメールが来た。(ゆっくり休んでください)

*人間と獣の「マスク」を被って

 詩人とは、幾種もの人間と獣の「マスク」を被って詩を書く人のことかもしれない。興味深い詩集や、雑誌が届けられる。それらは、その詩人の個性がたった一種類の人間の種族の皮でできているのではなくて、もともと神話の時代は両性であった人間の一種類ではないセックスを表現し、動物や植物のDNAが、フォン・ユクスキュルの言葉による「内的環境世界」として、日常言語と重なって詩の世界を創造したとき、言葉は新たな「驚き!」を読者に伝えてくれるはずだ。言葉の美しさとは、直線的な時間をなぞらない、なまなましい新鮮な現実が文字で表現されている、ということだ。間違えてはならないのは、それは個人の病状の心的告白ではなく、表現者としての「内的環境世界」に「発話する主体」が生まれていることだと思う。一九世紀のフランス象徴派の詩人ランボーがハシシュによって見た幻覚ではなく、複雑な精神の襞を持つ現代人は、人間が制作したバーチャル世界を通して、見ることができる。いま、言葉を通して/現実と幻想の境界を跨いでいる人がいる。

*煩悩の無い奴は人間ではない(吉本隆明)

首相官邸を取り囲むデモの参加者がどんどん増えている。大規模な国政への抗議デモというと六十年・七十年安保闘争のデモを連想する。市民が子連れで参集するのは、暴力に訴えないからだ。「ことば」の呼びかけに応えて集まる人々。こうした人々の姿が、「原子力は安全」と思わされてきた日本人の言語感覚をどう変えていくことができるか。3・11の苦しみを経て、日本人の言語体質が「変容」するときが来ている。吉本隆明を読むことにした。日本を支えていた団塊世代の人々が退職をして数年過ぎた。この世代は、安保を経験し、吉本隆明に影響を与えられた人々の時代だったと思う。七月前半は、『〈信〉の構造 吉本隆明著・全仏教諭集成19445?1983・9 春秋社』を読んだ。『歎異抄』の解説はたいへん丁寧で、親鸞への洞察は鋭い。「悪」とは何か、「善」とは何かに迫っていると感じた。「歎異抄について」のなかで、親鸞という一個の人間に衝き当るために、「僕たちは弥陀とか、往生とか念仏とか云ふ一見重要に思はれる概念を捨ててゆかねばならぬ。さあれ僕は来世などを信ずる気にはならぬ。生きることが死よりも遥かに辛く悲しいことを少しも疑わない。僕たちの感官は「所労」のために痛まず、むしろ精神のために痛むからだ。煩悩の無い奴は人間ではないと親鸞は僕たちに繰り返してやまぬ。いやむしろ煩悩のない奴は人間の資格がないと、僕にはそのやうに聞こえてくる。」などは、現在の「いま」に通じるほどに「生(なま)」な言葉だ。吉本隆明の『〈信〉の構造』の良寛の捉えかたも優れていると思う。吉本の〈信〉を巡ることが、人間の意識の起源を巡っていくこと、意識の歴史性を巡っていくことに出会えるといいと思う。

*「変容」というパッション

『思想は散文の中に住むが、ポエジーを手伝い、監督し、またこれを導く』と、ポール・ヴァレリーが言っている。

 七月に読んだ詩集では、倉田良成詩集『グラベア樹林篇〈非売品〉』が、倉田良成の言葉の野生を表現していておもしろかった。「グラベア」とは解説によると〈神の名づけ〉というものであるらしい。ここは、もう少し詳しく解説すべきだろう。どうもよくわからない。散文詩篇のほとんどが一段組み三〇行内に収められ、二段組み二頁の解説が付くというスタイル。文語文の豊かさというのは、日本の季節感と文字で表す言葉が一体となっていることだと思う。折口信夫の古代篇やモースの贈与論による「祝祭」が、倉田詩篇となって表現されていると思う。ここで扱われる「祝祭」は、もう少し厚みが欲しいと思った。神話における「祝祭」とは、日常と非現実を繋ぐ「仮面のカーニヴァル」なのだから。

  榎本櫻湖の第一詩集「増殖する眼球にまたがって(思潮社)」も、おもしろかった。本の装丁とデザイナー、栞文と執筆者、という造本に関わる人々の超贅沢さに眼をみはる。野村喜和夫氏の解説文にあるように、この詩は人間の口から出た言葉ではないと、思えば拒否反応は起きないし、櫻湖という詩人は、二十一世紀の言葉を通して/現実と幻想の境界を跨いでいる人の一人であるかもしれない。野村氏は「正当な異常性」という、ルネ・シャールの言葉を櫻湖に贈っているが、「櫻湖」というペンネームとともに、ここで用いている詩形、現代日本社会の世相など、極めて正常な地平から見た地形を地下に潜らせ腐らせ、あるいは服の中に隠されてあるべきものを、突出させて「見せた」のだった。言葉の繋がり、言葉の意味、というものは言葉を扱っていると、言葉が自由にその人間の意識を深いところへ連れて行くことがある。人間という生き物に潜む多重性に出会うことになる。感情の畸形や怪奇なものは、その辺りに潜む。こうした無意識を詩の「装置」として、詩法に引っ張りあげているように思う。この詩集のもう一人の解説者・福田拓也氏の文章も魅力的で、この若い畸形で怪奇な(賛辞です)詩人へ惜しみない優しさで、空海の文字=身体論との邂逅までを述べている。さて、櫻湖は文字と文字が呼び合う、声の出会う、身体が抱きしめられる境地までたどり着けるかどうか、見つめていよう。

 広瀬大志詩集「ぬきてらしる(私家版)」は、こんな奇怪な本を見たことがない。書名からして、何のことかわからない。小説のようでもあるし、「ぬきてらしる」という米櫃に巣食う「コクゾウムシ」の出現事実を、これも時間線を無視して語っている。今は今なのか。過去は過去なのか。「コクゾウムシ」は好きなように出現するのだ。これこそ、人間という種族の精神に飛び移った「ぬきてらしる」の内的環境世界が、広瀬大志という詩人の人間の口を借りて述べられた詩集だった。


 最後に、ルネサンスの両性具有神話の反映を見ながら、ルネ・ホッケを孫引く。
『生命はそれ自身のうちに男性的なるものと女性的なるものとを結合している。つまり、人間は、もともとアンドロギュヌスだったのだ。だからこそ、彼らは神々にとって危険な存在となった。そこで神々は人間を分割した。』とある。女性なるもの、男性なるもの、その両方の性に自然は自然の性と動物の性の記憶を埋め込んでいる。あらゆる芸術の創造世界の豊かさは、「変容」というパッションへの驚きであるだろう。

2013年5月23日木曜日

連詩・六月のまなざし


私のことを、詩人野村喜和夫氏は「高地の詩人」と第3詩集『その人の唇を襲った火は』の跋文で書いてくださいました。第1詩集に、原点があるのですが、1本の木のようで在りたいと思っています。去年美しい樹形の「ヤマボウシ」に出会いました。今年も咲いています。

詩集『Dying  Summer』より。連詩・六月のまなざし
 

 

 

(1)みどりの手

 

六月の
トウカエデの並木を行くと
みどりの手がわたしを連れて行く
彼女たちの葉叢のなかへ

 

わたしに触れる指は最初、彼女たちだった
そして
わたしの指に触れる唇は、彼らになった
無邪気にたわむれていたかと思うと
はげしい息を、肩にふきかけてくる
いくつも、いくつもの唇
鉄琴の音がひびくようにつづく唇のあと

 

ああ、なんてかわいいひとたち
見て
爪がみどりいろになっている
指からみどりの滴がたれて・・・・・
わたしは食べられたのか
わたしが食べてしまったのか
わたしが見えないので
わたしはわたしの影を探す
わたしの(かたち)を知りたいから

 

見えるのは、みどりいろだけ
わたしはみどりいろの声でたずねる
どうしてわたしを連れてきたの
(あなたのいえだから
その声はなつかしい匂いがした
わたしは悲しみと喜びが入りまじって
なつかしい夢をつぎつぎと見る
(わすれないで わすれないで
(あなたは森の子どもだった わすれないで

 

 

(2)木の声

 

わたしが、傷を負った者であるとき。
木は光の手でわたしを取り囲み、
癒しつづける。
樹液を濃くしながら、
森の木は全体で呼吸して命を支えている。

 

つらい出来事も、
わたしを育んでくれた木の下に立てば、
すべては夢であったかと思うように優しく苦く、
新しい光の陰になって過ぎる。

 

森の命は、
この、朽ちた葉の下に積み重ねられた死の上に立ち。
いずれ、この身も森を支える土になる。

 

わたしが辿り着く、時間の重さ。
森の木は、
傷ついて帰って来るもののために、
静かに、光の交信を始めている。

 

(3)魂のうえに降りそそぐもの

 

 詩を書くということはどういうことなのかと、プラタナスの木を見つめながら考えていると、緑の葉の重なりはわたしの疲労や緊張をほぐしながら、ついには「みどりの木になることだ!」とわたしの手を強く握りしめてくる。六月の樹木の緑は<異界>からの呼び声のように美しい。カエデやシラカバ、ポプラ、プラタナスの緑がこんなに深く柔らかく盛り上がった木だとは知らなかった。

 

 木はふしぎな生き物だと感じている。木になった木と、人になった木があるのではないか、と感じている。緑の木を見つめていると癒されて、わたしのなかに木の電流が入ってくるように感じる。それはわたしを存在せしめたもの祖先が地面に還り、木を育ててきたからではないか。人の命も、野生の命も、その命、ひとつだけでは生きてはこれなかった。心があるということ、命があるということを切り離すことはできないように、「存在する」ということは、自分以外の存在と関係しあって生きるということなのだから。

 

 野生に含まれた命が主体であるとき、意識のなかにある自己の主体も、非自己の他者の主体も、孤立してあるのではなく、コミュニケーションによって存在する主体であるはずだ。自己と非自己の環境が身体の表面空間を越えるとき、閃光のようにひとつになるもの、それが詩語の息だろう。コミュニケーションによって生き生きと関係しあう、主体と客体の融合のありようとして、詩はある。

 現在、わたしたちが生きている現代社会は癒されることのない心を見続ける時代なのだろう。偏差値と物質だけに価値があった時代の閉塞感は、少年たちの日本語の語法を人間関係を忌避させながら変質させた。社会的エリートのモラルハザードの現実の中で、間接体験しか持たない言葉は生きる力にはなり得ない。

 

 自己の闇に立ち向かうとき、世界の問いに応答するとき、詩よ、魂のうえに降りそそぐ熱い息となれ。六月の緑よ、わたしの血に深く混ざれ。そして、物語を蘇生させる力となれ。

 

2013年5月20日月曜日

山上のひととき(中也)を読みながら


 本を読みつかれて、窓の外を見ると、白い帽子を被った女性が二人、お互いをいたわりながらこちらへ向かって歩いてきます。もう、かなり年配の女性たちです。近くのグランドでマレットゴルフの試合があったようですから、その帰りなのでしょう。

七年まえ、亡くなった叔母を思いだします。戦争で夫を失った彼女は、一人息子を大切に育てて、彼はそんな母をいたわりよく勉強してこの地方の優良な企業へ就職して、たいへん重要なポジションで働き、今年退職した。叔母はマレットゴルフが大好きで、その道具を息子からプレゼントされて喜んでいた。こんなに明るくポプラの緑の葉に、オレンジ色の光がリボンのように射す日。叔母は、息子を会社へ送り出してから具合が悪くなり、病院へタクシーで行き、お昼ごろには意識不明となり、私が夕方の六時ごろ行ったときは、もうすつかり諦めて、こころの準備をしなくてはならなかった。子どもが一人しかいなかった叔母は、私を娘のように可愛がってくれたから、叔母の急変を従兄が知らせてくれたのだ。次の朝早く起きて、病院へ行くと、彼と妻は交代で叔母の脚をさすっていた。叔母の脚は、生きている人のように暖かかった。心臓のペースメーカーは、直線を表わしているだけだった。家へ叔母を迎える準備をしなくてはならなかった。医師が来て、「もう呼吸はしていません。心臓の機械に電流を通しているので、胸が動いているのですが」と言った。従兄は、「ありがとうございました」と、言った。すぐに、電流が止められた。彼と妻と私は処置室で、叔母の死に至る病名と治療とを聞き、死後の処置が始まった。叔母は美しい表情をしていた。すべてをやり遂げて満足そうだった。医師と看護士に任せて、私たちは忙しく自分のやるべきことをやるために部屋を出た。


 

 

ポプラの葉叢が今度は薄いシフォンのワンピースのように揺れる。人が、死を怖れずに還ってゆくことができるのは、この緑の光のなかに迎えられるという幻想を夢見ることができる力があるからかもしれない。「なぜ、あなたは詩を書くのですか」と、今、問われれば、「死を怖れないために」、と思う。中原中也の「山上のひととき」を想いだす。

 



 

山上のひととき      中原中也

 

いとしい者の上に風が吹き

私の上にも風が吹いた

 

いとしい者はただ無邪気に笑ってをり

世間はただ遙か彼方で荒くれてゐた

 

いとしい者の上に風が吹き

私の上にも風が吹いた

 

私は手で風を追ひのけるかに

わづかに微笑み返すのだった

 

いとしい者はただ無邪気に笑ってをり

世間はただ遙か彼方で荒くれてゐた

 

(未発表詩篇・1935・9・19より引用)

2013年5月19日日曜日

ハンセン病文学全集のこと



  ハンセン病と文学との関わりを少し調べてみました。
図書館へ本を探しに行く時にいつも思うのですが、本は「こっちよ」と差し招くようにそこに現われる気がします。…赤松の木立を通り白樺の並木を通り、ポプラを横切り、トウカエデの下を通り、窓辺の席に荷物を置いて日本文学の書架へ本を探しに行くと、目の前に「ハンセン病文学全集(2003・10・24初版発行・皓星社」が1巻から10巻まで並んでいました。
 こうした全集があることも知りませんでした。編集は大岡信・大谷勝郎・...加賀乙彦・鶴見俊介の4氏です。6巻と7巻が「詩」で、10巻が「児童作品」です。岡山県の長島愛生園の児童作品がたくさん収められているのは、この地方に優秀な指導者が存在したということかもしれません。この全集に先立って、高知県宿毛市出身の大江満雄(1906~1991)という思想詩人が1955年に「日本ライ・ニューエイジ詩集」という本を京都市の三一書房から発行しています。彼は戦争中に思想犯で2回投獄されています。その後愛国詩なども書いたようです。けれどもその反省からだと思うのですが1955年に前述の詩集を発行しています。
 この、ハンセン病者の作品を集めて発行するという仕事はたいへん難儀なものであったということです。この詩集がお手本としてあったので、…全集が発行できたのですが、これも準備に10年をかけています。それは児童作品であっても入所から始まるその存在のプロフィールが記録されているからです。これは、文学全集であるけれども、ハンセン病者の「命の記録」でもあるのです。6歳とかの幼い子どもが両親から引き離されて施設に入所したのです。また、入所してここで指導を受けて作品を残しながらもすぐに死亡している子どももいます。また、イニシャルだけでその存在の記録のない子どももいます。けれども、治癒してこの「らい予防法が」廃止される以前に社会復帰した子どももいます。それはよほど稀な例で、治癒しても一生を施設で過ごした方もいたと想像します。なぜなら、一度うけた隔離の差別から、時を経て実家へ戻ってもすでに両親はなく、病根の痕跡をとどめた、職業もないその存在を受け容れることは、戸籍上の身内にとってよほどの慈善のこころが無い限り困難であるからです。
 こうした療養所から出た詩集・詩誌に協力した詩人たちの歴史的な記録も大江満雄は記録しています。木下杢太郎・吉川徳則比古・藤本浩一・永瀬清子・小野十三郎・神保光太郎・竹内てるよ・北川冬彦・村野四郎・野間宏・丸山豊・原田正二・服部嘉香でした。これらの詩人たちはいわゆる昭和前期の詩壇を代表する詩人たちであったのでした。

  児童作品のなかから引用します。

だれが好き       武谷安光

「だれが好き?」
と 友が言った。
「ぼく?」
「うん」
「神様だ」
「それから?」
「おかあさまだよ」
「―君は?」
「ぼくも同じだ」
と 友は言う。
「それからお医者が好きだ
病気の人を助けるもの」
と 言うと
「それだったらぼくも好きだ」
こんなことを言いながら床にはいった

(1958・3・28「南国」)

http://www.libro-koseisha.co.jp/top17/main17.html

2013年5月1日水曜日

高塚謙太郎詩集『カメリアジャポニカ』書評

  オンデマンド出版のその本は、ベッドの下に落ちてしばらく眠っていた。だが、そこに書かれていたものへの、私からの返信は熟成されて、いま届けられる。声ではなく、文章で。この詩集を初めから最後まで一気に読んだ方を尊敬します。

  この本は、223Pの大冊で購入してから、80Pまで読んで疲れて、眠りこけて、行方知れずとなり、ようやく出てきました。前半61P.までは、詩人本人の註が本文の下段で語られていて、もう一つの詩が、翻訳のように輪唱のように進行していきます。
 
 
190P.からの「屏風集拾遺」はこの詩人の感覚の美しさと言葉の強さが溢れています。輪郭をもたないかすかな物に触れて、感じて、その感情の揺らぎを「感情で」表現しています。
 
194Pかよい路
「みそらにあらゆることそのものを茫洋とよびながら、ペダルを幾度もふんでいた。ながれるものが風だけとはおもいたく、それだけでみえる空が思い出へとはけていく。
 表現するとは、言葉を操ることではなくて、その物や人の気配を、感情で感じ取らせることです

186P引用。
「蜂起:傘のながれる川にながしてみる炎というものを、あおぐことのうつしさ。ねむりからさめたせせらぎに音をひたしてみる。とてもたかい死にみえる。みえはじめる。ひとつきするまでのわずかな時代をめぐる夏の話だった」
 日本語で感じる感情の美しさを持っている、男性詩人です。

198P
「吉四六(きっちょむ) ぼくの永遠はきみが作ってくれたんだ  ノヴァーリス(青い花)


霧が伸びてきた。防空に見せて群青の敷石を歩いた。さもなくば、天井にひそむ吐息を、はるか向こうに消えている道に流し続けている村落は、今も静かに見わたせる。軽めの砂煙と見紛う。」


ノヴァーリスの青い花の引用の入り口がいいと思う。ノヴァーリスが現れるとは思わなかったのです。ここに存在するのは、「気」というもので、とりとめのないように見えてそうではない、高塚謙太郎の静かな「こころ」「魂」「息遣い」「気配」を、33のフラグメントで触れる。そして知るだろう。「詩情」というものが立ち現れる幽かな空間の言葉の場所がここに有ることを。