2013年11月30日土曜日

11月に届いた雑誌と詩集。


11月に届いた雑誌と詩集
前半に届いたものは、facebookで紹介済みです。とりあえず、11月中旬以降に届いた雑誌と詩集です。ご恵送ありがとうございます。無事に届いています。書名の紹介によりお礼といたします。


    雑誌。「折々の no.30.」。広島市の松尾晴明氏が発行されている。いつも送ってくださっている、万亀佳子さんありがとうございます。「連弾」の短い文章を読むのが好きです。2012年・日本現代詩人会の関西大会でお会いした万亀佳子さん。お元気そうでなによりです。

    〈ひとり雑誌〉「KYO峡」。詩と批評の現在へ。北川透氏がひとりで発行する雑誌。購読料の領収書を創刊号のあと送ってくださって、2号がでました。詩・評論・エッセイ・編集後書まで32P.「連載評論第2回。吉本隆明の詩と思想 序章」をこれから読ませていただきます。

    門林岩雄詩集『面影』土曜美術社100人の詩人・100冊の詩集。1934年大阪府生まれの京都在住の方です。日本詩人クラブなどに所属されています。

    伊淵大三郎詩集『宇宙の青いいのちの星』土曜美術社100人の詩人・100冊の詩集。1932年山形県生まれの山形市在住の方です。山形県詩人会を2000年に設立されて、「樹氷」という雑誌を主宰されています。

    『長島三芳詩集』。土曜美術社の新・日本現代詩文庫113.敗戦直後の第2回H氏賞詩集『黒い果実』の詩人。20119月に九三歳で他界されています。かつて、第二次世界大戦のとき一兵士として戦場を知っている詩人でした。1939年の『精鋭部隊』からの詩篇が巻頭におかれて、後半にエッセイも収められています。解説は、平林敏彦・禿慶子の両氏。

    ガニメデ59号。121日発行。定価2100円。後書まで411P.いつもは巻頭にある、たなかあきみつ氏のコンスタンチン・ケドロフの翻訳詩篇が329P.から始まっている。(わたしは静けさに達した・・・・)。良い書き出しだ。こんなことを言っては身も蓋もないが、暫くぶりで本格的な本物の詩人たちの詩を読む。誰が本物かは言いません。今は1229日、そして、武田肇氏の読切り本格ミステリー(そのように書いてあるので)「火曜日のマリア」が387P.から。

    tab.No,40.(編集発行は倉田良成)。興味深い詩人たち12人。送ってくださった平井弘之さんの「丸い鞄と谷津柱」を先ず読んでいます。

    馬車。No,49.女性詩人たちの雑誌で、詩を読みながら、皆さんのご家族のことやご本人のことが、そこはかとなく伝わってくる。親しむ深い雑誌です。ゲストは男性詩人がきていますね。考えてみると、男性だけの同人誌ってないのではないかな?そういう場所へあれば、ゲストで呼んでいただきたいものだと思います(笑)。

    関中子詩集『空の底を歩く人』。土曜美術社100人・100冊の詩集。1947年横浜生まれで、現在も横浜市在住の詩人。日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会所属。    あとがきに、「薄い詩集を作ることが願い」とある。後書まで94P.で、28篇の詩を所収する。やわらかさ、おだやかさ、いつくしみ、という言葉が自然と感じとれる詩で、自然体で語りかけてくる。

(僕らは同じ一つの) 


「詩と思想」12月号。53P.掲載作品です。


(僕らは同じ一つの)
                     
小島きみ子



(僕が君のようだったのなら。君が僕のようだったのなら。/僕らは同じ一つの/貿易風の下に立っていたのではなかったか?/僕らは別人同士。)(Paul Celan『ことばの格子』)


そして、すべては白い冬闇のなかへ埋まって無くなっていくのだ。わたしたちは、ツェランの詩句のように(僕らは同じ一つの/貿易風の下に立っていた)のに、どこで間違ってしまったのか。あまりに一つで見分けることができないほどに溶けていた。あなたはわたしに、わたしはあなたに。絶望への意識と感情のうえを通り過ぎて、引き戻されて、また姿を無くして、神を見失ったあのときのようだった。何度でもそれが喜びのように、坂道を下り坂道を上り、野茨が咲き、コスモスが咲き、そしてすべては白い冬闇のなかへ埋まって無くなっていったのだった。


もう、二人の翳が無くなっているのも知らずにいた。いとおしかったあなたは、あまりに、わたしそのものだったから。二人の胸は溶けて重なっていたから。魂そのものになっていたから。さようなら。あの青い月影の伸びているところ。ひと房の髪のように、ひとすじの涙のように、帰っていくしかなかった、葦の原のどこを探しても、あなたは居ないはずなのに。子猫が指を甘く噛むように、あなたは何度も何度もわたしの心を甘く噛んだ。あんなに、近くに居た夏だったのに。二人の翳が無くなっているのも知らずに名前を呼び続けた。あなたは、あまりにもわたしそのものだったから。



もはや、あなたは夕暮れのルビーオレンジの雲に隠れてしまった。僕は手を振っていたのに、どうして手を振ってくれなかったの? だから、戻っては来なかったとでも? 坂道は、小鳥が運んできたアカシアが繁みを作って、あなたの家はまるで大きな塚のようです。わたしは、ここで、待っているからここでこの坂道でこの庭でこの家で。きょうは青い月夜ですから、向こうの宵闇へ行けたら行くのに行くことは叶わない。あなたは夕暮れのルビーオレンジの雲に乗って手を振る。(僕らは同じ一つの)空しさの中へ帰っていくしかなかった。・・・帰っていくしかなかった。空しさの尽きるところまで(僕らは別人同士。)だったから。

2013年11月19日火曜日

「虚(そら)の筏」4号・5号より。

★洪水企画の池田康氏が発行する「虚(そら)の筏」4号・5号に掲載されました、作品「仮面の湖」と「夏よ」を公開します。紙版での発行は4号を「詩と思想」詩誌評で花潜幸氏、5号を「現代詩手帖」詩誌評で瀬崎祐氏に解説をいただきました。ありがとうございました。



仮面の湖(「虚の筏4号」掲載)       

 

 

 

たゆたう湖の聖なる水鏡

剥がれ落ちる表層の上に付加される仮想の仮面をもって

変革していく私という人格の人称

 

空だけが知っている空

私は木に変身することだってできる

 けれど、翻す光自身は

色彩言語の意味を知っているのだろうか

神はほんとうに「光、あれ」と言ったのだろうか

神もまた人のペルソナの下に

その仮面を隠したのではないのか

人とともに在るために

 

木を映す湖の冷ややかな水面には

空の青さも、雲のかたちも、私というものの姿も

私が見ているように彼らに見えているわけではなかったが

彼らのなかに私は混ざっていたし

私は彼らのなかに溶けていた夏よ          

 

 

夏よ(「虚の筏5号」掲載)

 

 

 

夏よ

きみは

いつのまにか過ぎていったね

 

シャラの木の茂みを揺らす風の向こう

橡の木の下のベンチに

オレンジ色の正午の光がきている

プールから上がってきたばかりのきみは

何の躊躇もなく

クローバーの上に寝転ぶ

わたしの足元で

いくつものキスを投げる、きみ

耳の産毛が光っていたね

 

わたしの指にこぼれる

木の葉のざわめきと

腕に這う幾つもの嘆きの舌

それはまるで

すべらかなパスカルの言葉のようだった

(人はきみの自然な文体を見ると、すっかりおどろいて、おおよろこびするのだよ。なぜなら。一人の著者を見るのを期待していたところを。一人の人間を見渡すからさ。)

 

そして

秋の図書館の窓ガラスに

きみのあのヒヤシンスヘアーの翳が映っていた

 

風がひどく高鳴って

ああ、もう、本など読めなくて

目を上げると

ほんとうにもう、きみはいなかった