2015年10月22日木曜日

カニエ・ナハ新詩集ほか。十月に読んだ詩集。


1.カニエ・ナハ詩集『用意された食卓』  株式会社ポプルス

 カニエ・ナハさんのまとまった詩篇は、この詩集で初めて読みます。広瀬弓さんと創刊された詩誌「ドルフィン」は広瀬さんを通して拝読していました。

 さて、詩集では、表紙を捲った扉から、「塔」という詩が始ります。とても静かな詩です。この詩が創作されている背景に人の気配がしません。死後の世界なのです。透明な絶望感が、なぜか明るい光のように、言葉の上に射しています。

「生まれている人が、存在しない/静かな一日を置く、/いま覚えていることを/つぎの8月まで覚えておくこと。/故郷に近い/他の土地で/恐れる様に/人の話に耳を傾けてきた、/私は自分の記憶の深い/終わりに近い/生誕で、/隣り合った、離れない/領域、家の一つ同じ名前の/様々なものに/鎮守のために/静かに/風に、私がはためく音を聞いていた。/太古からの雲/(風の流れ)と呼ばれる意図/それに従う/生まれただけで純粋な木/今あなたの庭にくる鳥のように、/自分自身を清潔に保つこと/火を汚染しないこと/世界のどこかで探している/自分と同じ火/血液の哀悼の/それは厚さであった/(後半省略)」


 それから、この詩集は全篇が特徴のある句読点で繋がれていく行分け詩です。句読点のない詩句の1行の文末は、形容詞であったり名詞であったりしますが、句点までの距離はとても短くて、一言一言がゆっくりと噛みしめられるように、息を吐き続けます。
 静かな息。静かな、低い声の息が、絶望をやりつくしたあとに湧いてくる清い水のように、小石のうえに流れる光が、さんさんと光りながら泣いている。その声を聞いてしまったものは、刃を呑みこむしかなかったのだろうと思う。
41P.「小石」全行。


「ここに、空洞があり、さんらんしている。ひと/粒の、小石の泣く、あまりに泣くので、私の/目が潰れる。S駅を出てすぐ、一瞬、見えた。かつて、柳が/あって、その下に、お地蔵様がおられて、(夢は削られた。星明りを消せ。/地めん深くこうべを垂れろ。烈火、轟音、硝煙/の匂いが、扉を通るたびに、遠ざけられた、私が消える/まで、放置された、小石の泣く、あまりに泣くので/私の目が潰れる。神経がやみにとどいて、光景を構築する、/かつての時間が、右往左往している。そうして、/世界の半分の門は閉ざされた」










2.佐久間隆史詩集『あるはずの滝』(土曜美術社出版販売)

 前詩集より十年ぶりの詩集という。いろいろと好きないい詩が多数ありますが、2編くらい紹介をします。詩集タイトルの「あるはずの滝」は巻頭より二番目に配され、「あるはずの滝」の立札の写真が詩編中に挿入されている。この立札は、箱根塔の沢の老舗旅館「環翠楼」の離れ座敷の前にたてられている。

中ほどを引用する。
「その立札は、離れ座敷の少し先にある露天風呂の扉に手をかけたとたん、それまでなかった意味を持って、私の前に突如立ち現れたのであった」

後半部分。
「悠久不変の、かの「絶対の滝」の音をふと耳にしたそこにたてられた立札と思われてきたからである。」なんとも興味深く、その離れ座敷の立札を見てみたいものだと思う。66P.「読経」より。「ひとの生涯とは/いったいいかなるものなのか//朝起き/そして夜には寝て/たかが八十年/二九二〇〇日//しかし そんなことを考えていること自体/自分が自分の生を失っているあかしなのかもしれない//やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」








3.阿部嘉昭・新詩集『束』(思潮社)

 作品のタイトルは全て漢字1文字です。
詩篇の特徴は、平仮名で書かれた詩句のなかに、作品タイトルに沿う意味と漢字が幾つか配置されていることです。
106P.詩集タイトルの「束」を紹介します

「たばであることに/かたちの謝意がある/ふくすうをまとめ/さしだすにやりよく/しかもそれが顔を/かくすのだから/みずからもあいまいな/数本にかわるのだ/ひとつかのたむけは/かるくつかまれて/ゆれのようなものを/あいだへつたえる/にぎるほうのゆびも/つかのまとまりをなして/せかいが諧のたばなら/一会などせいぜい/まにあわせの数本で/てりあってしまう/このせかいがこしかたで/なびくわらたばなら」












4.颯木あやこ詩集『七番目の鉱石』思潮社刊。

 彼女とは熱海の歴程セミナーで初めてお会いした。
凛としていて、まだ学生かと思うような方だった。新詩集は、野村喜和夫氏の解説にもあるように一瞬驚いたが、美しく変貌した。伊武トーマさんの解説が愛おしい妹を見つめる兄のような視線で書かれていて温かかった。送られてくる詩集は、家事の合間に開いて読みます。

「苺踏む」も好きですが、きょう開いたページは、「待つ夜」でした。紹介したいと思います。


「膣のほとりに ひとりの修道女がいて/うすいくちびるから/蜘蛛の糸を吐き出している//織り成された巣は 影のようにくぼみを覆う//小石を投げてくる少年がいて巣をたわませ(省略)わたしの膣の深くでは/草の芽が ひっそりと/空とはどんな色だろうかと夢想している」









5.2014年10月に発行された伊藤浩子詩集『undefined』(思潮社)をようやく読み終えました。

 この詩集の内容を、詩情だの詩的だの、という言葉で読んではならないと思う。
彼女は、選りすぐったundefinedを書きたいように書いた。そして、その内容は現代の人間の孤独が、星屑の夜の星の光のようにちりばめられている。男と女のセックスにまつわる哀しみや、怖れや愁いが、秋の夜の冷たい星の光のように照らし出されているのです。

伊藤浩子の愁いに充ちた眼差しを文章の奥に感じた。
一番おもしろかったのは「刺青」の最後から3行目〈あんたはおれを捨てた母親なんだ〉という言葉。

その次は「古だぬきの手紙、一人息子のメール」という作品のやはり終わりから3行目〈僕にとって愛情とは、赤い満月とモーツァルトのアリアと同じように、妖しく美しく同時に飢餓そのものなんです。〉という言葉だった。

もう1つ。不倫をしながら盗みを重ねる女の物語=「クレプトマニア」は、その相手のワタナベの心理にとても興味を持った。
エディプスコンプレックスが関わってくるのかな、と思った。






6.高塚謙太郎詩集『ハポン絹鞘』(思潮社)ほか2冊


 画像だけで、申し訳ありませんが、高塚謙太郎詩集『ハポン絹鞘』(思潮社)を10月までに読んだ詩集のなかにいれておきます。





『memories』については、詩誌『エウメニデス』49号(12月発行します)で、お読みください。
『ハポン絹鞘』、『memories』、『花嫁』と、2014年からの高塚謙太郎の充実ぶりは、すばらしいと思った。昨年は、送付されてくる詩集を読むので手がいっぱいでした。気になる人は、今から読んでもいいのです。