2019年9月23日月曜日

思考の庭、思考の坂道。




花と緑の暮らしから。
観察している鉢植えのタンポポ。
きのうは、蕾だった9本目の花が今朝、咲いて、10本目の蕾ができている。
草花は、花が咲く時、茎がびゅーんと伸びる。


この蕾も、もしかして、びゅーんと伸びて明日はさくのだろうか?



およそ、1200本のセンニチコウをカーポートの中で乾燥させています。
15束。接近すると、グロテスクに感じますが、生葉はグロテスク。乾燥すると、グロテクが消える。畠で育てた花ですから、野性的。枝が自由奔放に伸びている。花束にしてあるので、強制的に直線にしてありますが、とんでもなく自由な花たち。白、紅、ピンクの3色。


プランターのセンニチコウ。
7月に1度刈り取って、8月から茎が伸びて、1ヶ月で蕾が出来て咲き始めました。咲くまでに2ヶ月かかるのです。葉っぱが、日光に弱く当たるので、ミドリが弱く美しい。



ゴーヤの花が咲き始めました。
遅れて発芽して、実がなるのかな。見守りましょう。



夏に(6月、7月、8月)咲いたコスモスの種が零れて咲き始めましたね。
種を蒔いて2週間で発芽、開花までに30日ということですから、順調の2番花。



フラワーアートの作品の為に、鉢植えで育てているエノコログサ。青いうちに摘んでドライ花にします。野生のは、葉が日光に当たりすぎて赤みを帯びるので、庭のものをフラワーアートの作品に使います。


プランターに蒔いておいたクヌギ(丸い実)が夏に発芽して成長したので、ビニールの鉢植えにしています。盆栽にできるでしょうか。盆栽にして、クヌギの実ができたら嬉しい。

クヌギの幼木、1年目。


思考の坂道のエノコログサ。下葉が日光に当たりすぎで赤みを帯びます。群生の写真はうつくしいし、詩情があります。


もう1本のゴーヤ。去年庭でゴーヤを作ったときに、熟した実が零れて地面に落ちて、その種が8月に発芽しました。蔓が伸びて、蕾ができています。咲くのはこれからです。種子の発芽にかかる時間の微妙さ。

5月6月に水色の花畠を作ったワスレナグサの発芽。このまま成長して、草のまま冬を越して、春に花を咲かせます。たくさん発芽しています。嬉しいです。




2019年9月21日土曜日

犬飼愛生詩集『stork mark ストークマーク』について


詩誌「エウメニデス」第57号(2018年12月28日発行)詩集評より

犬飼愛生詩集『stork mark ストークマーク』について
(モノクロームプロジェクト発行)



 全体に目を通してみて、私自身が子育て中に思ったり感じたりしたことが、ここには多数存在して、わたしは犬飼愛生の作品世界を彼女と歩き回る。久しぶりのこのワクワク感は、いったいなんだろうと思う。
 タイトル詩「stork mark 」は、14P.にある。個人的な声が頷いている(どきどきするじゃないの、コウノトリの赤い噛み痣が首にあるなんて。わたしが生んだ子どもたちには、なかったわね、臍の緒が絡みついた青痣が首にあるわ、)と思う。

 「コウノトリの噛み跡まだある?/と私に確認させる君/息子の首の後ろの赤い痣/コウノトリに咥えられて運ばれるときにつくという/その痣を/指でゆっくりと撫でてやる//コウノトリが咥えて飛んできたのはもう六年も前だから/痣はだんだん消えかかって//不妊治療専門とピンク色に縁取られた看板が/平然と堂々とこちらを見ている//「コウノトリってぜつめつくぐしゅなの?」/お兄ちゃんとも呼ばれたことのない君が/困ったようにいう(省略)」



25P.「牛の子ではないから」

「牛の子ではないから/人間は人間のお乳でそだててほしいの/牛のような助産婦が そう言ったのだ//雲ひとつない空が 真っ青な/月曜日だった/目も開かぬうちに/私の胸の上に乗せられた子/たったいま、この世に生まれた子が/ちぅ、と吸った/私ははじめて 自分の体内から/乳が湧くのを見た//乳を作るのは血/牛の母ではないから/(草だけ食べていればよいわけではない)/乳のまずい日は 子どもが泣く/子どもが泣くので 母も泣く/(略)」

 乳がまずい日は 子どもが泣く、はああ、そうだなと思う。でも、私は、乳が豊に湧いてこなかったので、人工乳で育てた。人間の乳で育った子、というごく当たり前のことが、けろっと詩になっているからだ。この詩人の大きさは、「けろり」と言ってのけるところだろう。だれでも知ってる当然のことが、比喩ではないような、かんぜんな比喩によって、「けろり」と燦然と輝いているのです。 たくましいなあ、母と人間の乳だけで育った子のまぶしさよ。

「私の乳だけで ここまで育った/歯が生えた、髪も伸びた/よつんばいになった子の/手がもうすぐ/一歩でる」


2019年9月19日木曜日

蕎麦畠/山/樹木/木の実/秋の花

20190918 車で市内フィールドワーク(自然観察)での蕎麦畠/山/樹木/木の実/秋の花


蕎麦畑白い花が薄曇り空の下で霞んでいて美しい
1.





群馬県と佐久市に跨がる荒船山(標高1,423m)。中学生の時、登山した。この角度から見たのは初めて。麓にキャンプ場があって、登山キャンプという野外活動だったと思う。荒船山。という名前は、台形の山が舟のように見えるからだと思う。バスでキャンプ場まで行って、登山口があって登山して、キャンプ場1泊。弱い女子が一人高山病にかかって、それでも頂上まで行ったのだった。ああ、彼女は同じ女子校へ行き、看護師であったのに、20代で病死した。悲しいことを思いだした。薄命だった。




ここは、蕎麦畠とほぼ同じ面積の、雑草地。よく見ると、エノコログサ。
こんなエノコロ草原は初めて見た。




あまりに樹高が高くて天辺まで入りませんでした。





近代美術館へ行く道筋にある萩の一群。見事な株で秋にはこの花を見るのが楽しみ。
今年も見ることができて良かった。





大きな一株の花の枝の垂れる様が、枝の中に流れている、ミドリの命を見る思い。
流れる枝は、流れる萩の花の息づかいでもあると思う。美しいさまを見せている。


一枝は、マメ科の微かな花なのに、まとまると花の波のうねりとなる。



大木のトチの木。栃の実は、広い尽くされて見当たりません。
遅かったようです。




赤松です。
老木で、曲がって生えていて、台風を前に8本ほど伐採されていました。
混み過ぎて植えたのが良くない。枝と枝が重なって倒れたり、折れたりしていた。
伐採するのは仕方がないこと。木は乾燥後に、売られるのかな。作業はシルバー人材センターの登録者。



ほぼ同じ場所から樹木の茂み。




木の根元で、茸を発見。「クリタケ」に似ていますが違うみたいです。
見るだけです。



柳の並木道。
この並木を歩くのは、3年ぶり。
シェイクスピアに「柳の歌」のソネットがありますね。














白い萩。
黄色い蝶が居たのですが映りませんでしたね。



連続で撮影してみたのですが、蝶は見えるかな。
真ん中の黄色い小さな塊です。番で、遊んでいた蝶です。


西洋アサガオ(=ヘブンリーブルー)



低木の茂みで、白いホタルブクロ。




大木のドイツトウヒ。
1本で森のようです。




詩誌エウメニデス58号について。



詩誌「エウメニデス」第58号は10月発行です。
執筆者|京谷裕彰・渡辺めぐみ・広瀨大志・松尾真由美・北原千代・小笠原鳥類・海埜今日子・小島きみ子|散文・松尾真由美|書評・小島きみ子|新たな購読申込みは小島までお知らせください。よろしくお願いします。→
58号での松尾真由美さんの小論考は、727日のエウメニデス朗読会における、アナイス・ニンについての講演を原稿に起こしていただいたものです。詩人の視点で書かれた、『アナイス・ニンという作家と詩的なるもの』どうぞご期待くださいますよう。→

20119
727日エウメニデス朗読会。松尾真由美さんの講演「アナイス・ニンについて」。エウメニデス58号で『アナイス・ニンという作家と詩的なるもの』の小論考を寄せていただきました。
https://www.youtube.com/watch?v=Q070JzGmuQE&feature=youtu.be

☆「アナイス・ニン」については、2009年に「水声通信」31号(78月合併号)が特集を組んでいたのを思い出した。松尾真由美さんが、論考でアナイス・ニンの翻訳者として紹介している、木村淳子さんも「鋼鐵のハチドリ」という文章を寄せている。これから再読。2009年当時、私は、ボルヘスを読んでいて、その事も思い出す。
午前の部が終わる。




2019年9月17日火曜日

フラワーアート+詩|松尾真由美さんの作品5篇

とてもやわらかで繊細に仕上がった紫陽花ドライ花。
松尾真由美さんの作品とコラボレーションします。
花を、詩篇でラッピングしています。
花と言葉が届く瞬間です。
籠いっぱいの紫陽花。






1.「開花のあてない逡巡の」 松尾真由美 

光と影
その向こう
扉の見えない
充足を
ひらひらと漂いつつ
浮遊と俯瞰が折りあうところ
失態と失速と希求と憧憬
もてあます多重の襞を
一枚ずつひろげていって
おだやかな発展があるのだろうか
花開くことの意味と無意味を充分にくりかえし
季節がめぐれば小舟のごとくまたくりかえす
蕾の儚い夢において
つめたい風が吹き
頸から下が凍えている
予想どおりに敗北すること
衰えを循環させ
転化させ
艶やかな色へ
さらに艶やかに




小島きみ子フラワーアート 黒いスギ箱の花 蓋付き
ドライ花:センニチコウ・紫陽花・エノコログサ。

















花を落ち着かせるために、詩篇の蓋をして、梱包する。

































2.「咲くことの注釈」 松尾真由美

あれは
文字のかたまり
多彩な角度を
出自とする
落ち着いた眼差しの
瞳をいくつも持っている
交信することの難渋さに溺れながら
花びらと花びらを重ねていって
いっとき世界が広がればいい
火の夢と水の夢
それらを
咲かし
枯れていく


黄色い箱の詩篇
素材:シダーローズ・ユーカリドライ葉 他




詩篇とドライ球果実のコラボレーション。













3.「花のゆるやかな輪郭」 松尾真由美 

たわめられ
寄り添いつつ
黄と白とむらさきの
あやうい曲線が晴れやかなる日
歌声のような生体の息吹から
やすらぎを探っている
あるだけで癒される
そうした幸福に招かれて
虚偽ではない透明なものの在り処
触感として
留める


詩とのコラボレーション作品に取り組んで仕上げにかかっています。
紫陽花のドライ花は柔らかい手触りです。詩のテキストで、ラッピングすると、
形が自由に動きます。松尾真由美さんの作品とコラボレーションです。

11本の紫陽花ドライ花」と松尾真由美詩

(注記) 詩のテキストでラッピングされた紫陽花ドライ花。籠の中には11本の水色の紫陽花が笑顔で居ますよ。

解説。 *花のゆるかな輪郭、という詩のタイトルと、紫陽花ドライ花の、しっとりした輪郭が寄り添うのです。


ドライ花のラッピング。
紫陽花のドライ花が、やわらかな布のような手触りで完成して
とても美しい。






籠にアレンジメントします。



詩篇のテキストでラッピング。



ドライ花は、花びらの塊が驚くほど「しなやか」に完成しました。
詩のタイトルとぴったりな、輪郭を見せてくれています。










4.「魅せられたものの木霊」 松尾真由美 

狂えるなら狂えばいい
紅い花片と紅い花片に
入っていって埋もれて
標識などない窓だから
さわやかに触手と触覚
思いのままに巡らせて
肉のよう渦のよう腕の
よう叫びのよう傷と傷
擦りあわせて血を流す
星の見えない夜の月が
ただ煌々と明るくなり
遠いものが近くなって
侵入し侵入され壊され
壊す蘂がただ前進する
晴れやかに晴れやかに
咲くことだけを望めば
稜線が見えなくなって
どこにいるのだろうか
花のきわ花の中花の外
とうに追放されている


黒い箱の中の紫陽花とノリウツギライムライトのドライ花。
ドイツトウヒの木の実。



蓋をして、テキストを付けて梱包する。
花がフワフワしているので、蓋をして梱包すると、スタイルの中に言葉が収まるように、
花も鋭利な言葉のように箱の中に収まる。花と言葉の響き合い。














5.「かすかに触れる明日」 松尾真由美

開きかけた
花びらの
潔癖なまなざしの先にあるもの
およそすべては霧のように霞のように霰のように
茎をよわめる罠のなまなましい放心がある
巻きこまれて萎む前に
ほら
あそこ
ひとつのひかり


黒い小箱 プラスティックの蓋
花の素材:瑠璃薊のドライ花。ムギワラギク。





この画像の瑠璃薊のドライ花を黒い箱に入れてあります。
箱は色を付ける前の状態。黄色い箱と黒い箱に仕上がります。