2020年4月29日水曜日

したたかに、時は過ぎてゆく。

写真の説明はありません。




廃業する前の古民家の2階に雑貨店があって、
姿見に映っているのは私です。
こういう雑貨店をやってみたかったのです。

手前のマネキンの胴体は、薔薇の花柄で、
気前よく店主がくれたので、我が家の書架の隣にあります。
詩の服を制作しよう。
「痛みの微光」がやがて「悦びの光」に変化するのが、詩の力ですから。





画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、屋外





時は限りなく「したたかに」過ぎて行きますね。201612月は、古民家カフェ「花桃果」で、フラワーアート展と朗読会を開催したのですが、翌年は廃業していました。想い出とは。辛く悲しい場所から差す「微光」です。そんな光を浴びて立つのが、言葉の力=詩の言葉です。

4月27日 ビオラ迷宮他






ビオラ迷宮
2015年からのビオラソロリア147本。
右下隅は、2019,2020年のビオラ。
接着面を自然乾燥中。




葉っぱが多くなったユキヤナギ。
今年も、しっかり咲きました。



いちばん遅いムスカリ。
やっと咲き出しました。








2番目に早く咲いたムスカリ。
田圃の土手から移植したもの。
葉っぱが長いのが特徴。




詩誌『詩素』8号。
2020年5月1日号。作品1、エッセイ1、アンケート、書評。







「詩素」8号、目次。



ビオラ迷宮。
仕上がり。
なかなか良い感じのできあがり。







2019,2020のビオラ。黄色は脱色しない。3色ビオラも脱色しない。
脱色するのは、ビオラソロリアのみ。


額ではなくて、セロファン袋入り。完成。



きょうの詩誌。3冊。
翻訳詩に良いものあり。
タイトルなどは、参考になります。





ビジュアルな作品。


有働薫さんのエッセイ。




ミニバラスカーレット
路地に移してからの満開。
室内で育てていたときとは花の大きさが違う。
太陽の光の偉大さ。



Pansy 月光





Picasso Brooch blue.

ワスレナグサ_1


ワスレナグサ_2


オレンジ Rose.


ミックスレタスを摘む。

ミックスレタスを水洗したら、葉の方向を揃えてタッパーに保存する。
次回、使うとき便利です。




ミックスレタスサラダ。
マカロニ、カニカマ、マッシュポテト、ゆで卵、ミックスレタス。
黒胡椒とマヨネーズで和えて冷蔵庫保存。

2020年4月21日火曜日

日々の Love for Viola Pansy




3月に製造して瓶詰めにしたフジ林檎グラッセを、再度加熱して、
最後の林檎ケーキを焼きます。厚めに1枚焼いて、
残りの林檎は再び瓶詰めにして冷蔵庫で保存します。




冷蔵庫の保存品をチェックします。
青トマトと、ニンニク、胡瓜のピクルス。
昨年の夏の最後の野菜。
味が良くしみてまろやかです。
大体、半年~7ケ月後に食べると美味しいのだと思う。




カレー風味の青トマトピクルス。
忘れていましたので、カレーの時、食べます。






ミックスレタスを摘んで、
ミックスレタスサラダを作ります。
超、ヘルシー。








林檎ケーキ、ミックスレタスサラダ、挽き割り納豆汁のランチ。
納豆汁は、かなり好きかな。納豆臭くない。













ビオラソロリアの手入れ。
土をプランターに足しています。




これもビオラソロリアです。
ここにも土を足しています。
ガラスの花も成長しています。
花は5月に咲きます。



本を探しています。その途中で、「バロック人ヴィーコ」
この本を参考にして書いたのは、新しい学について。
言語のことで、沈黙の言語について書いた。
新しい発見もあり、やはりこの本を購入しておいて良かった。


これも、おもしろい。



咲き出したビオラソロリアをよく観察する。



ポリアンサ・ピンクとビオラソロリア




だんだん増える、ビオラソロリア






よく咲き出したポリアンサ・ブルー




12月に収穫して、花壇で越冬させた白ネギ。これで終わります。
豚肉と炒めて、辛味噌で味をつけます。



昨年夏に、新潟の中辛南蛮と信州味噌で作った辛味噌で
葱と豚肉を炒めて、味噌味にします。




ムスカリもあちこちで、咲き始めました。


一番最初に咲いたムスカリ。花も大きくて、美しく咲きます。


































2020年4月18日土曜日

2020/04/18 いろいろな出来事


 5時の休憩です。
1_佐世保市にお住まいの藤維夫さんの個人誌が届きました。『
SEED』中綴じ14P.表紙画は奥様の作品のようです。私のブログ『風と光と詩論の場所』を読んでくださったようです。いつ創刊したのかわかりませんが、54号です。一人で、書くことを表紙画で奥様が支えている。素敵なことですね。


2_
書棚を整理中に、当時の講演会のレジメや、詩のメモが挟んであった現代詩手帖19969月号。投稿欄佳作にFBF,の千慶烏子さん、その他候補作にフォロワーの藪下明博さんの名前。千慶烏子さんが、1998年に発行した『やや あって ひばりのうた』沖積社・を読んだ。だれもみな知らず、24年を経て会うことができた人々との時間に祝福あれと思う。

3_
小島きみ子|帰還するもの。


やがて
其の場所に到達するのだろう
進もうとしているのに
其処に
還ろうとしている
春が哀しいのは
一夜の雨で
まったく別なものが
生き生きと目を覚ますのだ。



4_小島きみ子|あなたは何処で生まれたのか

廃屋となって、六年。
連翹はどこから来て、
こんなに生い茂ったのか?
あなたがたは、何処へ行ってしまったのですか?
あなたが、パンを焼いていた、キッチンは
ダンボールで入り口が塞がれている。
樅の木が、電線を越えましたね。
きょうも、あなたの雛が落下する。
親鳥の叫びが空に溢れる。



2020年4月15日水曜日

「鳥や」エウメニデス44号より。









「鳥や」小島きみ子 エウメニデス44号より。

 鳥の羽、探しています 
        

鳥の羽、探しています。 渡り鳥の水鳥は、 鳥インフルエンザが怖いので、 日本に居る鳥の羽がいいのです。 鳥の羽を見つけたい理由があります。 私が書いた詩を引用しておきます。『表現の最後の目的は、 行為することだ、という考えにたどり着いたとき 絶望したのです。もう生きている何の意味もない。そのとき、わたしのセーターの胸に鳥の羽が刺さっていたのです。あのときの白い鳥の羽が手に入ったら、絶食して死んでもいいとさえ思うのです。』ダウンジャケットを作るためにどれだけの水鳥が、羽を毟られていると思いますか? そんなことにいちいち驚いていては生きてはいけませんよ。だって、あの白い羽毛は天使の羽ですからね。


 鳥や    
         

鳥の羽、というのは落ちているようでいてありません。カラスとかキジバトの羽はたまに落ちているのですが。いろいろな鳥の羽を木片に射したインスタレーションを見てから、鳥の羽、見つけたいのです。小鳥を売っている店とかに行くと、その辺に落ちていないかな、と思うのですが。どうでしょうか。
在来線に乗っていて、何気に外をみると田圃のなかに「鳥や」の看板がありました。ほんとうにびっくりして、「あー あの彼女の家だ」と思ったのは、職場に訪問してくる「生協」の貴金属販売員の女性のことです。真珠のイヤリングが欲しかったので買ったのでした。
そのとき、「わたしの家は 鳥や です」と言ったのです。どういういきさつで、そのような会話をしたのか記憶にありませんが、「鳥やって何」と聞くと「インコを孵して売っているのよ」と答えたのです。「へーそんな職業知らなかった」と思っていたのです。
それで、あれは、県境の都市で詩のイベントがあり、久しぶりに高原のハイブリットカーに乗車したところ、「鳥や」と書いた看板が線路に向かって、掲げられていたのです。小さな駅で降りて、畦道を歩いたとしても、あの家には、行きつくことができません。私は、当時の職場を去りましたし、あの場所がどこだったのかもわかりません。
あの日、黄金色の田圃のなかに「鳥や」の看板が確かにあったのです。「鳥はいらないのですが、鳥の羽だけください」なんて、そんなのありかな、と考えていたのです。それにもっと重要なことは、あのとき買ったはずの真珠のイヤリング、どこを探しても無いのです。だからと言って、夢であるわけがありません。




Face Bookより、7年前の投稿のお知らせがあって、北川透さんがエウメニデス44号の小島きみ子「鳥や」について感想を述べてくださっています。懐かしく嬉しいです。シェアの機能が無いので、コピーして貼ります。この頃は、北川透さんもポストされていましたね。海峡通信は、コピーしたのかもしれません。
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【海峡通信81】昨日、小島きみ子さんが送って下さった、詩誌「Eumenides44号が届きました。荒壁の前に、木の椅子4脚が並んでいる写真の表紙がいい。小島さんありがとう。発表されている小島さんの詩は、「鳥や」の飄飄としている感じが面白かった。詩の中で、「私」は鳥の羽を探している。在来線の電車に乗っていると、田んぼに「鳥や」の看板が立っていた。しかし、小さな駅で降りて畦道をたどっていっても、あの黄金色の看板の「鳥や」にたどり着けない。鳥はいらないのだけど、羽だけが欲しいという、「私」の気持ちには切なさがあります。以前に読んだ赤羽正春さんの『白鳥』という民俗学の本は、世界の「白鳥処女説話」の文化史を書いたものですが、それらの語りの中心には、共通する原型がある、と言います。天から白鳥が降りてきて、美しい処女になり代わり、水浴びをする。それを盗み見た男が、彼女の衣を隠してしまう。白い衣は白鳥の羽だから、もう、天に帰れない。……こんな話を原型とする羽衣伝説は、日本にもありますが、世界中にさまざまなバリエーションで存在している、という。昨夕、久しぶりに暖かくなって、海峡沿いの歩道を散歩しました。そして、しばらく見なかった白鷺が小魚を獲っているところを見つけました。海峡には白鳥は飛来して来ませんが、その積りで見れば、鷺も白鳥に見えないことはない???。でも彼女は夕食を獲りに来たので、水浴びをしませんでした。小魚で腹を満たした白鷺は、1枚の白い衣を残すことなく、遥か波間に飛んで行きました。小島さん。海峡の白い鳥も、岩場に羽を落とすような、ヘマはしないようですよ。遠景の写真でよく見えないかも知れません。


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エウメニデス44号より
作品  どの水音を遡ってここまできたか




「トリスタンとイゾルデ」を聴いている。
まだ咲かない櫻の木の下で別れた人たちのことを思いだす。
窓辺のゼラニュームが散っていく。
疲れた人が瞼を閉じるように。

どの水音を遡ってここまで来たか。
新しい物語を創らないと、
流されて行った人々の追憶のなかへ入ってゆけません。
愚かなあまりに愚かな人間は、
何度でも何度でも死んで赦しを請わなければ、
あなたがたの犠牲の意味を知ることなどできはしないのです。

ピーチピンクって言えばいいのか!
チェリーピンクって言えばいいのか!
灰色の大地で果敢に咲いていた桃の花桃の花。
昼間の明るすぎる陽ざしを突然に襲った。
チュルチュル、チュルチュルという水の音。

病室のカーテンの裾から細い足が出ている。
ジャン・コクトーの『怖るべき子供たち』の表紙カヴァーは、
池田満寿夫だったね、と、唐突に叔父が暗唱する。
「虚空のなかを綱渡りする夢遊病者、
すなわち、夢遊病者のように生と死のあいだを往き来する詩人である。」

桃の花にメジロが来ていたね。
チュルチュル、チュルチュルって。
あなたは鳥の真似をして口笛を吹きながら、
七階心臓外科病棟の廊下を歩いて行ったきりまだ帰って来ない。





2020年4月11日土曜日

うぐいすの里からアケロンの川を渡って






詩集『《天使の羽はこぼれてくる》』(私家版)より。
うぐいすの里からアケロンの川を渡って|小島きみ子

ポプラの並木を通るとき、激しい息苦しさに襲われるのは、そのためだったとでも言うように、あの日あなたの横顔に絶叫した。あなたの横顔は、中世の芸術家が彫刻したその石の像のように、お母様が膝の上に抱いていたその人だったからです。わたしの髪はあなたの足に注いだ香油を拭うほどに長くなりましたがあなたはもはや変容を遂げたあとでした。
思えばそこは、うぐいすの里でした。シロツメクサ、すみれ、すみれ、たんぽぽ、レースフラワー、しろいモクレンの道が見えてきました。昔、カラオケボックスがあった廃ビルの角に卯の花が咲いていると教えられていましたが、ほんとうにありました。あとはなんの草かわからない青紫の草が眼の高さで繁っていました。そこを曲がって。
この道でよかったのですか。どうしていとも容易くあのような言葉を信じてここまで来てしまったのか、庭のペチュニア・ヴィオラセラに黄色の蝶が何匹も来ていて、こんな光景を見るのは初めてでした。あなたの好きな花でしたから、きっと何かの前触れかもしれないという予感がしていました。
いつかの今頃でした。午睡から覚めると葡萄の甘い香りが漂っていて、あなたはふざけて《きょうは死ぬのにもってこいの日》と言いましたね。あれから、わたしたちの間に成就された出来事を、物語に書き連ねようと思いましたが手を着けることができませんでした。今年の二百十日が過ぎてからどうしてもそれを遣り遂げようと思うようになりました。その二日後に、秋の風に戦ぐポプラの並木であなたの美しい葡萄色の瞳に出会ったからです。わたしは驚いて車を徐行させました。懐かしいあなたの胴体から上が歩いていたのですから。名前を呼ぼうとしたのですが、あなたの名前は岩石のような、辺境の地にあったお堂のような名前でしたから、それは長たらしく珍しいもので直ぐに声にはならなかったのです。すでにあの頃から灰色の髪のあなたは、信号で止まった私の車の前を他人の相貌をして行き過ぎました。言葉もなく涙が零れ落ちましたが、もはやわたしには涙を拭う指先が欠落していました。

この手紙が、旧いあなたのアドレスを辿ってメールボックスまで送信されるのかどうかもわかりません。けれども書かなくてはなりません。昨日、「ラズベリーの丘」であなたのお母様が生命維持ボックスから削除されました。もう生命保存延長保証期限を二週間も過ぎていましたから、何も残ってはいないのですが、あなたに宛てた手紙が記憶保存ケースのなかに残留物としてあります。これもあと一時間後には溶解されます。今や、麗しい太古的残滓であった有機物の生命連鎖の記憶は削除され続けるのです。宇宙の書誌に記憶される一行の番号のみ。それにしてもあなたは、いつ帰還したのですか。邦の偉大な存在であったお母様は歴史のあらゆる文脈から削除されました。

なぜ、あなたは「ラズベリーの丘」のあの墓所の近くにいたのでしょうか。あなたが傭兵として志願した日、わたしの身体の中であなたの子どもはまだ幼芽のような存在でした。神の言(げん)を伝えに来たのはあの五匹の光かがやく黄色の蝶でした。彼らの金色の触覚がわたしの左脳に御言(みこと)を伝えました。それを誰が信じたでしょうか。子どもは不思議でした。何の外皮も纏わずに植物のように生まれたのに、だんだんと身体の付属物が増えていきました。わたしたちとは、反対の方向で育っていきました。育つ、懐かしい言葉ですね。かつては生命のある有機物のすべてに被せられた言葉だったのですから。
わたしは、彼が十三歳になるまでは生存することができます。明日の正午です。あなたが、地球を襲う悪魔との戦いに挑んでくれたことの邦からの報償です。


わたしのスピリットはその後も完全に喪失されはしないけれど、子どもが人間としての完全なプロポーションを保持したときには、邦をコントロールするエネルギーがわたしを喪失させるでしょう。あなたのお母様と同じように、わたしは無になる。この手紙を書くことでやっと思い出しました。あなたが絶望のなかで選んだ唯一の希望を。夏が逝き、北の空に鳶の群れがやってくるとき、あなたは風に戦ぐポプラになると言いました。それがあなたの望みだった。母の骨のうえに僕を被せてくれないか、とあなたは言いました。それはあなたの本当でした。成就とは、のちの世の悲劇を回避するために、いまのこの世の悲劇を最期まで遣りぬくことでした。


(テバイの王のように?(いいえ。(ルメによる福音書の詩の形にも似て記されている詩句のように。(あした生まれるであろうラズベリーの丘に住むきみ(きみは希望の光、暗黒と死の陰とに住む者を照し、わたしたちの足を平和の道へ導く(きみは穏やかに成長し、ふたたび母が現れる日まで、荒野にいるだろう
わかりません。ここからどこへ行こうとしているのか。深い草が暗い川のように続いて、まるでアケロンの川のようなのです。けれども私の罪はなんでしょうか。ここからどうしても草の川を渡って、そうです帰るのです。あなたの「無」を遣り通すために帰るのです。耳元でそのときウグイスが鳴きました。



「ヤブコギ」と。そうです、くらいくらい草の川を泳ぐように漕ぎました。わたしを照らす光が見えました。戻れると思いました。わたしの血流のうえを草が戦ぎました。廃ビルの角に卯の花が白く咲いていました。しろいモクレンの道が見えてきました。そしてシロツメクサ、すみれ、すみれ、たんぽぽ、レースフラワー、この道を渡れば戻れます。メールボックスにあなたからの手紙が届いていました。きょうからあなたの「無」を遣り通すための永遠の「喪」が始まるのです。


愛するヴィオラセラ。僕を思い出してくれたのだね。ありがとう。「ラ ペニュルティエーム」。最後から二番目の音節に何の意味があるのでしょう。君と出会ってから今日までの、言葉の誕生と死を、その生を考えています。僕たちの言葉は、どこから来てどこへ行くのでしょうか。僕たちの愛は、確かに言葉の羽根が軽く脳髄の楽器に触れる「無」の音に過ぎないのでしょう。未知の微妙な声に過ぎないのでしょう。けれどもそのかすかな書跡こそが、人と言葉の軌跡であり、君と別れて死す僕はなお詩句の中に生まれ、死に続けるのです。今も僕ときみの間で「ラ ペニュルティエーム」として輪廻転生しているのです。愛するヴィオラセラ、いま僕は風に戦ぐポプラとなったのだよ。


2020年4月5日日曜日

すみれすみれと歌ってみた




Love for Pansy









ビオラトリコロール 青と白






ビオラトリコロール 青と黄色




ビオラトリコロール 青白黄色3色






ミニバラスカーレット と ポリアンサ


実生のビオラ
ビオラソロリア・プリケアナ


ビオラソロリア・プリケアナ  美しいスミレ色




実生のビオラで、葉の形が上と同じ種類。花の色が微妙に違う。
ビオラソロリア・プリケアナ。変種かな。


ビオラソロリア・パピリオナケア 上とは別種類。葉の形が違う。









付録
食材の野菜をカットします。
冬葱ホワイトスター カットしておきます。