2013年6月25日火曜日

エル・グレコとマニエリスムの美


 

 私の好きな画家にエル・グレコがいます。きょうは、エル・グレコとマニエリスムの美について紹介をしたいと思います。

 

 マニエリスムは、「窒息しかかっていたルネッサンスの古典回帰に、新しい命を与えた」のです。ミケランジェロや、ラファエロの後期の作品の中にも、既にマニエリスムを思わせる技法がみられます。三大巨匠の手によって、完成の域に達していたルネッサンス芸術に、新たな可能性を見出そうと、試行錯誤の末の賜物としてのあり方が、マニエリスムでした。画家の主観によって引き伸ばされた人体、炎の光のように揺らめく非物質的な空間は、劇的な緊張感を演出し、見る者の内面を上方へ、上方へ、つまり天へと引き上げようとするかのようです。

  

 グレコはエーゲ海に浮かぶクレタ島が、生まれ故郷でした。トレドにやって来たのは三七歳の頃。宮廷画家になるという野心を秘めていました。そのグレコに与えられたのが、大聖堂からの仕事だったのです。それは、聖具室の祭壇を飾る絵の制作でした。聖具室は、僧侶達が法衣などを保管し着替える場所です。この部屋に相応しいテーマとして考え出したのが、『聖衣剥奪』だったのです。一五七七年、グレコは制作を開始します。宗教画には、一つの目的があります。中世は、文字を読めない人が多い時代でした。宗教画が、聖書の代わりを務めたのです。そのため絵のモチーフは、聖書に基づかなければなりません。教義の解釈を誤ることも許されません。聖書を読み、時には断食をし、瞑想に耽ります。 



1 『胸に手を置く騎士』El Caballero de la mano en el pecho

プラド美術館の公式ページに行くとこの有名なエル・グレコの絵が紹介されています。
「手の指を開き、中指と薬指だけを閉じなさい。罪が犯される時。困難に出会った時。絶望の淵に立たされた時。その手を、痛み続ける胸に当てなさい」。この言葉は、イエズス会の創始者イグナティウス・デ・ロヨラが著した『心霊修養』という本の中の一節です 
「キリストの不思議な手の形」。苦しみと悲しみに打ちひしがれた時、生きていくために。その謎を解く鍵が、この本に記されています。イエズス会の創始者イグナティウス・デ・ロヨラが著した『心霊修養』というグレコの愛読した本です。 困った時には、この手の形。誰かがあなたを救ってくれる。
 
 


 

2 『聖衣剥奪』

グレコの絵が再評価されたのは、三百年後の一九世紀半ばの事でした。トレドのシンボル大聖堂に『聖衣剥奪』はあります。『聖衣剥奪』は、キリストが十字架にかけられる直前の姿です。グレコは、本来粗末な外套を宝石のように輝く赤で描きました。これから磔の刑を受けるキリストと、取り囲む男達の混乱と緊張。三人のマリアが、息を呑みながら十字架を見つめています。

全身全霊を打ち込んで神に仕え、世俗の欲望を捨て、絵に向かいます。画家は、神の意思を伝える道具になるのです。スケッチを重ね構図を作り上げます。高価な鉱物の顔料を買い求め、自ら絵の具を作ります。こうしてグレコは、『聖衣剥奪』に取り組んでいったのです。
 

 ご興味のある方は拙著『人への愛のあるところに(洪水企画)』を手に取ってお読みいただければ嬉しいです。出版社には残部がありませんが、購入希望のある方は、「詩誌・エウメニデス」のメッセージボックスからご注文ください。http://jarry.sakura.ne.jp/eu/
拙著『人への愛のするとこに』洪水企画・2011年発行。
この本の帯文は、詩人の松尾真由美さんです。
「表象の深層にせまろうとすれば音楽も美術も哲学も召喚される。 小島きみ子の詩への問いかけは、 我々を光のもとへとともに歩もうとする言葉の連なりであり、 その在るものへの探求は、理知と愛で満たされている。(松尾真由美)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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