小島きみ子|鳶と流体と(ソラ)と
わたしと彼は、街の工場で流体の研究に熱中していた。作業服は機械油に塗れ、クリーニングに出すのに忙しかった。創造とは、触れ合うことだった。わたしたちは、愛が始まるときのように、新鮮な生き物としてあった。
(春の鳶が頭上にやって来ました。2018/03/11の朝でした)
(春の鳶が頭上にやって来ました。2018/03/11の朝でした)
火山の噴火のあと、十一月の恵比寿講の街はひどく傷んで、その景色が外国の芸術家によって、青い布で覆われた日。ブルークレストの巨木を超えて高い位置に張られた布の皺の波模様から、(ソラ)と明るい音階が降って来た。(ソラ)とその音を真似して口笛を吹くと、「音」は、鳶の翼に乗って、わたしの肩に乗った。耳元で甘く「僕だよ、おいで」と言うので、わたしはその「音」の唇に唇を重ねた。表皮が剥がれるような冷たい鳶の息が舌の上に流れ込んだ。初めて知る動物の匂いが、気道から肺を満たして血流から脳のなかに(そらいろ)の鳶の像が描かれた。創造の第一段階だった。
(写真提供:鳥見徒躬於 )
(写真提供:鳥見徒躬於 )
かつては、古い鉄族であったわたしが、すべらかな震えの機械油で削られて、やわらかく輝いた。慣れ親しんだ恋人の気配をようやく察知したが、鳶の姿は今までの記憶には存在しないものだった。プラズマ溶射によって新しい皮膜が形成されたのだ。わたしは、彼の中にもいるし、わたしの中にも彼はいた。確かに波の揺れのなかにいて、波と呼ばれる流体そのものだった。わたしたちは創造のなかに閉じ込められようとしていた。
(写真提供:鳥見徒躬於)
(写真提供:鳥見徒躬於)
(ソラ)はわたしをも(ソラ)と呼び返し、その声は今までに無い深い愛撫でさえあった。これが電磁波というものの愛し方かもしれなかった。まさか。わたしたちが創造したものは、電磁波の愛?(わたしたちは)すっかり嬉しくなって、もっと優しくもっと美しくもっともっと…・・とさらに深い深い愛になろうとした。そんな満ち足りた気持ちを、ぐんぐん引っ張っていくものがあった。心の中に何かが生まれて、飛び出していくような。美しいものへ向かっていく気持ちがあった。口笛を吹いて(そらいろ)の高速流体になっていく像がすぐに描かれた。わたしたちは、冷たい獣の匂いで融合と拡散を繰り返しながらさらに激しい光沢を求めた。わたしたちは、金属として、どのような部分からも結合することができた。
(写真提供:鳥見徒躬於)
(写真提供:鳥見徒躬於)
いつしか日が暮れた。熱射の青い布のなかでいくつもの唇が発する(ソラ)という音響に包まれて、(そらいろ)のソケットのその繋ぎ目にわたしはわたしの唇の影を押し当てて、ゆるやかに彼を覆う。彼は、疲れた翼状片の網膜のうえに、変形したその鉄族流体の(ソラ)を増殖させている。経験とは、変化を遂げることだ。(そらいろ)の流体は、次々と困難なものを連結する。壊れた街、壊れた感情、壊れた…壊れたものへの愛。
それなのに、なぜだろう。壊れたものを修復するための流体であるのに、もう、わたしはヒリヒリするのだ。彼の充血した眼は、もはや、わたしを映すことができなかった。わたしたちは、再び別の何かによって壊されるのだ。生きるものたちの世界の掟によって。結合している像に何かの力がかけられている。わたしたちの愛は、別の愛されるものへと向かうのだろうか。わたしたちが創造したものは、愛ではなかったのか。この苦しみは、愛であるがゆえの苦しみではないのか。
(写真提供:鳥見徒躬於)
(写真提供:鳥見徒躬於)
(ソラ)と名づけた、ブルーの波と光の流体。壊れたものの血流のなかに流れ込んで、その傷んで破壊された愛しいものを、あらたなる像へと回復し得る力に変化する連結器、高速気流の流体なのに。ああ、つないでいる手の指先が、たまらなくヒリヒリするのだ。愛しい、ということは、壊れやすいということだったのか。この喜びがこんなに苦しいなんて。わたしたちを引き離す別の波がもう押し寄せている。もっと強い、もっと高い位置の(そらいろ)の鳶の唇が必要なのか。新生とは、物質の変状を体内に取り込むことではなかったのか。ああ、マテリアルの手が、プラズマ溶射の皮膜を剥がそうとしている…。
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