*最高の悪は最高の善の一端である。(ニーチェ「ツァラトゥストラ」より)
広瀬大志さんに、2016・7・24のエウメニデス朗読座談会で、連載のミステリ作品の背景を語っていただいた。父上が亡くなったとき、初めてその書斎に入って鉱物の蒐集品を知ったということでした。なんだかゾクッとした。ミステリとは、知らない領地に足を踏み込む事です。そのミステリの世界に棲んでいる複雑な恐怖の実体は、精神の内的世界と肉体の外にあるのです。詩集の帯に書かれた〈詩のモダンホラー〉を探索してみたいと思います。表紙には、「死んでるのか? 」「それ以上よ」とあり、現代という時代の極悪非情そのままにカッコよすぎると思います。
作品「メルトダウン紀」の一行目に〈体質は肉体の外にある〉とあります。強い断定の一行目。さらに〈風景は必ず/詩に忘却される思考を/たどって死ぬ〉と。これは長い詩です、詩行をたどると、おそらく〈結果の原因は/過去にはない〉のであって、〈たどって死ぬ〉しかありません。強い死が迫ってくるのです。「メルトダウン紀」の恐怖に耐えられますか? この詩は、2011・3・11以前の2003年に発行された詩集『髑髏譜』に所収されているのです。
「実体」という作品では、〈ただ現象だけが救済されていくだろう〉と一行目から、どうだ、これでもかと情け容赦なく、恐怖に追い込んでいく言葉の速さ。〈精神よ、空爆は人を殺す〉人間は情けない弱いものですから、「参りました」と言いたくなってしまうところですが、〈生きて行く者と死に行く者の表情を輝かせよ。/記憶は実体を観測する装置であり、それを見つけるこ/とができる。/言葉の図形は、此岸にとどまり続けるだろう。/「私という」実体のために。〉この詩句には非情な現代においてなお、強靭な生きることへの意思の喚起があります。
死んでいる以上にしたたかに、「アニーバーサリー」では、〈善か悪かは悪が決める〉のです。なぜなら《最高の悪は最高の善の一端である。(ニーチェ「ツァラトゥストラ」より)》と、私もまた考えるからです。
最後に、散文の『ぬきてらしる』は傑作だと思う。コクゾウムシの歴史をこのように研究し、探求した人はいないだろう。人間という種族の精神に飛び移った〈ぬきてらしる〉の内的環境世界が、広瀬大志という詩人の人間の口を借りて述べられたのです。