2月後半から、3月後半までにお送りいただいた詩誌の紹介をしていきます。
これから届くものも、順次書いていきます。
1.『K Y O 峡 第7号』詩と批評の現在へ。
北川透さん編集製作の〈ひとり雑誌〉です。「吉本隆明の詩と思想」評論代7回目。
26ページに「広島の原爆ドーム」のことが書かれています。60年代に原爆ドームの建物の傷みがひどくなって、永久保存のプランが持ち上がったとき、市民の間から「取り壊せ」という声が持ち上がったという。原水爆禁止世界大会のことも噂に聞いて知ってはいたが、それ以上には知らなかったことが、書かれていてきょうみ深い。なぜ、原水爆禁止運動は分裂したのか、当時の社会党と共産党のことも「そういうことか」とわかった。私は広島の八月に行った事もないし、行く予定も無いが、そのとき二十一歳の私の女友達はたったひとりで、「折鶴」を持って出かけた。「暑かった、疲れた」と言ったきり、何も語らなかった。…・『K Y O. 峡』まだ、全部読んでいない。
2.『雨期 64号』
所沢在住の須永紀子さんの編集発行。詩とessayの雑誌。4P.に原口哲也さんの「みっつのソネット」がある。私は、こういう詩は好きなので、引用してみます。3つのうちの2つめの冒頭。〈…Mignonn,allons voir si la rose〉薔薇を見にいきましょう お嬢さん/きのうはあなたのペチコートの下に ひそんでいた蔓と蕾が/ふたりの背丈を超え 建築の壁面を這い登って上空へ届き/雲のようにたれこめて 天をおおいつくしていないかどうか。」
3.『歴程 no.592』特集 2014年歴程祭〈未来を語れ〉
2014年の「歴程賞」は高橋順子さんの『海へ(書肆山田)』だった。あとがきの「鬼区」を読むと、「三好達治賞」とのダブル受賞。9名の選考委員で、選考委員長は野村喜和夫氏。それで、お祝いの言葉やら挨拶は省略するとして、40 P.に、鈴村和成さんの「方麻痺だってね」がある。「方麻痺だってね。/顔半分が黒かった。/直列だったよ。//左側が黒く塗られてたっけね。/荒い粒子だったな。/へろへろ笑っているやつ。平板なやつ。あいまいなことを垂れ流すやつ。」
4.『環 第152号』
名古屋市の若山紀子さんが編集・発行する雑誌。12P.から、若山さんの「地の底で」
「白い障子に/陽の蔭がさしてきて//わたしの魂が/すこしうごきだす//ゆうべの考えが素通りして/まっしろになった朝//胸にもやもやするものが/くすぶっていて//哀しみが落ちてくる//知らないところで人が消える/人が囚われる」
5.『折々の NO.34』
発行人は松尾静明さんですが、編集は同人6名。3P.万亀佳子さんの「戻る」「あなたなんか嫌いと言う/私もそうよと言えばよかった/女の置いていったフルーツゼリーは/やっぱり傷んでいた/製造年月日も確かめずに食べたのは/まだ言葉に未練があったのだ/その夜から蛇苺の目をした猛禽が/胃の腑を掴んでは/私を食いちぎろうとする」
6.『まどえふ 第24号』
札幌の水出みどりさんが編集発行する季刊誌の春号。女性だけの雑誌で、読むたびにそれぞれにそれなりに、それぞれの個性が固定していると思う。悪い事ではありません。詩を書く事は楽しみです。詩を趣味として楽しむことは、生活を潤滑させるのですから。
7.『藍玉 20号』
愛知県に暮らす、男性二人が編集発行する「二人誌」。編集する水野忠政さんの「お馬鹿さん」11P.から。「考えたことはあるんですか//(死ぬことは)/地球が止まってしまうこと/なんですよ//止まってしまって/待っていても/何も来ない//今日も来ない/明日も来ない」当然のことですが、考えたことありますか?当然のことが無くなることは恐怖です。死は絶望ですし、恐怖ですが、当然のことが消えるのです。
8.『ガーネット VOL.75』
この雑誌からは、H氏賞が二人出ているな、などと思いながら読む。A4版、後書きまで72P.です。嵯峨恵子さんが「定年」という詩を書いている。彼女と私は同年なので、定年が近い。石垣りんさんの詩を引用している。石垣さんの詩、上手いなあと思う。「ある日/会社がいった。/あしたからこなくていいよ」で始まり、嵯峨さんの個人的見解へと進められていく。最後のほうに、「私は会社にも仕事にも期待したことがない/仕事を生甲斐にはしなかった/わからんなあ/辞められるならいつでも辞める/周囲で男性社員でもそういう社員が少なくない/今や」で終わる。「辞められるならいつでも辞める」のであるが、それができないのは、労働者として当然で、生きてはゆけないし、創作活動もできません。
9.『ぽとり 第37号』
和歌山県にお住まいの武西良和さんの個人詩誌。季刊誌ということです。昨年からお送り頂いています。特集は「白について」で、詩と万葉集の解説から構成する「白」について。〈オピニオントーク⑧〉に書かれていることがとても興味深い。「谷川雁が詩を書くことを止めたのは、「行動で書かれた詩」を発見したからではなかったか。行動の詩こそ必要だと。」なるほどと思う。私は、「詩は行為することだ」と思っている。だから、感性とか感受性とかいうものをあまり信用しない。それらは、未熟な時代の思考を支えるかもしれないが、長続きはしない。詩は言葉という素材を用いた藝術表現であるとすれば、藝術では暮らしていけない。労働によって行為しなくてはならない。行為とは民のなかへ出て行く肉体労働であると思う。言葉を行為する。失望とゼツボウの繰返しの中で。言葉の背後に思想を持たない言葉は、行為することができない。私は、ある新聞記者にいわれたことがある。「現代詩は、現代詩を書いている団体の自己満足にすぎない。わたし達には届いていない」。現代詩の現代とは、戦後の戦争の反省の上に立つ言葉だ。口語自由詩をもって現代詩とはいわない。雑誌の内容とはかなり、逸れたが、谷川雁の『農村と詩』についても書かれているので。
10.『4 B. 9号』
1枚の厚手のA4の色上質紙・裏表印刷を三つ折にした詩誌。坂多栄子・中井ひさ子・福原恒雄・南川隆雄の4人の同人誌。4人とも同じような時代を生きてきた人々ではないかと思う。長く人間を生きてきて現実を見渡すと、すでに異界の入り口がぽっかり開いているのではないかと思わせる作品。幻影でもなんでもなく、老いると見えてくる現実のなかの現実を超えている異界。ではないのかと思う。見えるということは、現実の上に創造が被さることだと思う。福原恒雄の作品冒頭部分。「一人の部屋で/一人/であのじいさまが死んだ」とは、未知なる時間の自分自身のことであるだろう。
11.『イリヤ 15号』
尾崎まことさんが、年2回発行する雑誌。左子真由美・佐古祐二・尾崎まことの3人の雑誌。表紙は尾崎さんの写真ですが、Face bookでアップしている写真の一部かなと思ったが違うのかな。ハイヒールの足元の蔭が印象深い写真が雑誌の中にもある。佐古祐二さんの作品に「初めて」があります。「先生 まりやが俺のことずっとにらんでるから気味がわるい/そう じゃ 気をつけてみておくね/(なるほど まりやの視線の先にはたけしがいいつもいる)/たけしくんのことが気になるの?/(まりやはみるみる真っ赤になる)/中略。(後日 校庭で)/にらんでごめんね/あぁ/(それでも まりやはたけしのことを時どきにらんでしまっている)」ああ。そういうこと、あったような気がする。いつもなんでいじめられるかわからなかった。参観日のあと、その男の子のお母さんが母に言った。「家では、娘さんの名前ばかりいうんですよ」って。そういうことありますが、思ってもいない相手だとやはり「気味が悪い」のよね。これはどうしようもないのです。
12.『しばりふじ 参』
広瀬大志・海埜今日子・伊藤浩子・相沢正一郎の四人の雑誌。表紙のしばり富士が粋ですね。三号だけに三つの富士がそそり立つ。この雑誌の世界は、魔界ではないが異界である。通常の思惑、日常の常識、非常識などという常識の世界を飛び越えている。四人の詩人の言葉がそれぞれに、「詩の言葉」として力強い。失望する現実のもろもろを「飛び越えて」いるのだ。
「あとがき」の広瀬大志さんの言葉に痺れた。全部は書かないが「詩は救済ではない。詩は同調ではない。詩は誠意ではない。詩は思想ではない。詩は意味ではない。詩は伝えではない。詩は役割ではない。詩は目的ではない。詩は理由ではない。詩は翻訳ではない。詩は羞恥ではない。以下省略。」広瀬大志よかった。
13.『そうかわせみ、Vol.13』
この雑誌は、一色真理、相沢正一郎、伊藤浩子、岡島弘子の四人の雑誌。このごろの伊藤浩子さんの作品に注目しているのですが、ここでは、「秋の窪みを」という比較的普通な言葉が使われていて、読んでわかる作品。すぐれた詩は、現実の世界を予見するものだが、この三行にはギクッとした。「遠くの街では新しい市民が老いた兵士の首を掻き切ったと子どもたちがはやしたてている」と。詩の言葉は、あらゆる藝術の最前衛を行くものだ、と思う。2015年は、1月から人間が生きてゆくことに絶望するような事件が起きている。
14.『虚の筏 11』
洪水企画の池田康さんが発行する、B4.裏表印刷の詩誌。八名の詩人が参加しているが、ここでも海埜今日子さんの平仮名詩が読める。彼女の旺盛な創作力に敬意を払う。昨年発行された詩集『かわほりさん』の書評でも書いたが、日本語の意味をズラすというような単純な段階ではなく、言葉が意味ではなく「おと」であったときの原始言語の感情で書いている。それを感情で受け止めるのが海埜今日子詩だたと思う。作品は「ひ、と。」
15.『ACT Vol 392』
仙台演劇研究会の通信。通信ですが、なかなか内容のあるものです。B4,を中折にした簡易なものです。巻頭詩は、三林美晴「ディスティニーチャイルド」、ブックレビュー、アート・アトランダムではエルンストのエッセイが書かれている(!)、高橋英司氏の「和合亮一の詩」というエッセイもよい。ミュージックプロムナード、仙台演劇研究会の「珍しく良質なアメリカ映画」という映画評など、紙面構成や書き手を揃えていて、おもしろかった。