2015年7月31日金曜日

EumenidesⅢ.48号写真詩コラボレーション「Blue」

Eumenides第三期48号・特集『Blue』について。

 昨年の春より『Blue』というタイトルでスミレやビオラ、ムスカリの写真を何枚か撮影しました。昨年摘んだビオラは九九本でしたが、今年の春は一〇九本のビオラを摘みました。ポプリにするとレースのサシェにほんの少しです。この小さな花は、小さいが故に「大きな安らぎ」を持っています。人の苦しみや悲しみは、たった一人の愛を愛する小さな愛によって支えられるものです。一人の力は弱い。弱いからこそ、「弱さを知っているのです」が、大きな権力を持っている人は「ひとりの弱さを知らない」が故に傲慢なのです。副題「エピタフ」は、ギリシャ語エピタオスを語源とする「墓碑銘」の意味です。小島きみ子と漆原正雄によるコラボレーション『Blue』は、愛を愛する小さな花の戦争反対の意思表示です。ビオラの写真は、ブログ「風と光と詩論の場所」にカラー写真で公開します。そして、この『Blue』は(0)から(7)までの写真詩として、二〇一五年一二月に長野県佐久市のカフェ&ギャラリー「パンの花」で二人展を開催します。誌上でのコラボレーションは四九号で(2)・(3)を連載します。



EPITAPH(0)

漆原正雄

あなたに道を訊ねた日の午後は、空気がひんやりとつめたくて、
遠くのほうでアコーディオンの楽隊、それから祈祷をしらせる鐘のおと
往来には人影を待つそぶりもなく、
帰るあてのない鳥たちが地図の破片をついばんでいる
ああ、あれはなんという子守唄だったのだろう
私たちは、率直に、かつ清潔に、ことばをかわしながらも、
まるで孤島に打ちあげられた難破船のようで、
たえず何かをふりこぼしていて、
――どうでしょうか、もうすこしだけお散歩しませんか?
――いいえ、しばらくこのままの姿勢でいましょう







漆原正雄
EPITAPH(1)

いまはもう
だあれもいない私の部屋
カーテンのすきまから射す朝の遮光
――なぜあなたがここにいるのだろう?
見渡す限りの深い、深い闇の炎症
そこから救いようのない淋しさは
巻尺ではかるように
春の、みずいろの、暦のこえにまねかれて
――なぜおまえがここにいるのだろう?
ひとしずくの潮騒を飼いならす
眠りのとだえていくほうへ
目覚めていくものの淋しさ
――見分けがつかなくなるまで、にぎやかに接吻をしましょう、ここで





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