2015年8月23日日曜日

「夏の思いで」コラボレーション

2015年8月23日(日曜日)にSNSにポストした、フラワーアト「夏の思いで」に、twitterのフォロワーの嶋田 龍一(らら、夏の風のなかに)さんが、とてもステキな詩をコラボレーションしてくださいました。ありがとうございます。twitter上に放置しておきますと、この電子文字は融けるように泡となってしまいますので、ブログにアップしました。twitter上での詩は、140字の規制があり、とても難しいのですが、今年の高原の夏の思い出の花々が、「青い目の人形」に抱かれて星の空へと、妖精の物語を語ってくれるのかもしれません。嶋田さん。ありがとうございました。


フラワーアート「夏の思いで」
この桐の箱の中にあるオレンジの花は帝王カイザイク。普通のカイザイク3種類。センニチコウ4種類。薔薇が3種類。薔薇のドライリーフが底に敷き詰めてあります。センニチコウが70個ぐらい入っています。セロファンをかけて、壁掛けになります。






詩:嶋田 龍一(らら、夏の風のなかに)さん

函の中の夏の花 
色彩は閉じられ 
時間は止まっている 
生命は色鮮やかなままに死を迎え 
季節は移ろう 
青い目の人形を入れて 
蓋を閉じれば 
夜空に飛翔するかもしれない 
夏の終わりの美しく寂しい星屑のなかに











2015年8月20日木曜日

書評 『木島始詩集 復刻版』(コールサック社)

 




『木島始詩集 復刻版』(コールサック社)について

 逢いたかった詩人がいますが、その人は2004年に亡くなってしまいました。2001年に拙詩集『Dying Summer』が山室静・佐久文化賞を受賞した信濃毎日新聞の記事を、軽井沢の山荘でお読みになった木島始(1928~2004)氏です。お祝いの葉書をくださって返信をしたのに、訪ねて行けば良かったと悔やまれます。詩集と同時に発行した詩論集『思考のパサージュ』が日本詩人クラブの「詩界賞」の最終候補に残ったときの選評も、とても温かくて励まされるものでした。今も、文章を書いているのは木島始さんの励ましの言葉があったからです。

 この夏(2015年8月)に、『木島始詩集 復刻版』がコールサック社から発行されました。奥様の小島光子様からご恵送いただきました。ありがとうございます。戦後70年の現代の社会状況は、息苦しい限りです。このままでは私たちの生活が破壊されてしまうような危機感を感じています。

 『木島始詩集 復刻版』は、全篇が瑞々しい人間の生命の声が響いている。世界が平和でなければ、日本の平和もない。敵が攻めてくることを仮定した戦争法案などは、無用なものです。他国が戦争をすることを許さない。日本が戦争に加担する事を許さない。それが世界に誇れる「憲法9条」です。これを改正しようとする、政治家と政治を許してはならず、止めなければなりません。日本の戦争は、侵略戦争でした。それによって他国の人を苦しめ、日本人を苦しめ、たくさんの人間と国土を破壊しました。戦争は絶対に許してはなりません。

 「世界の平和」と「戦争反対」この気持ちを、多くの人々の胸にストンと落ちていくようにする。これが、現代の日本の詩人の詩活動であるはずです。弱い言葉は弾に撃たれますか?銃に弾を込める前に、本当の人間のDNAに、言葉は訴えかけることができると思います。それが、『木島始詩集 復刻版』であると思います。

 巻頭の「起点―一九四五年―」を引用する。すべてが核心であると思う。この詩は、奥様の「復刻版に寄せて」を読むと、当時十七歳であった木島始が原爆投下当日、岡山の旧制第六高等学校生で、疎開工場の屋内で光を受け、屋外で茸雲を見たこと、広島から担がれてきた人々を徹夜で看病した体験から、一九五二年に書かれた詩である。一九四五年の夏の熱気は、人間が破壊され、滅ぼされた拷問でした。日本の平和への願い、生きるべき道はこの日を忘れないことではないでしょうか。


「起点―一九四五年―」



手にふれるものは
みな熱い

ねじまがった
真鍮の
ボタンと
帽子の
校章だけが
これだ
これが彼の
屍骸だと
生きのこった
ぼくらに
わからせた
あのときの
火傷するような
恐怖の焔と
濛々の煙りと
熱気と
屍臭とに
みちみちた


一九四五年

夜ごと
夜ごとに
日のくれるのも
遅いとばかりに
遠吠えのような
はるか
かなたの
爆音を
深く
ふかく
吸い込んでゆき
いつしか
暗黒の圧力を
そなえるようになった
あのころの
夜空の
不吉さ
夜空の不気味さ


(後半を省略する)

2015年8月16日日曜日

八月の詩誌

八月の詩誌。
















①歴程no,594。
 歴程同人の名簿が奥付の前に掲載されていて興味深かった。今まで同人の方が誰なのか知らなかったので。発行人の新藤涼子氏が現代詩人会より2015年の先達詩人として顕彰された。

 浜江順子さんの「黒い波」がいい。見開き4P.書いているが、この躍動と緊張の力強い言葉のリズムが途切れない。息切れしない。見事だな、と思う。小気味良いほどの、「波」を言い当てていて、言葉が波を現している。イメージなどではない。波になっているのだ。凄いな。


②叢生第199号。
 関西で発行されている同人誌。
「小径」という1ページのエッセイがおもしろかった。2段組で上段が今井直美男さん、下段が秋野光子さん。編集後記も良い。散文がしっかり書けている雑誌は、詩は当然ながら良い。


③青い階段.NO.107
 12P,に「招待」という坂多瑩子さんの作品がある。先輩女性詩人の作品によって知る事の一つに、お料理の知識がある。ここでもトンカツのパン粉の保存方法が、「おとこをひとり招待」することに絡めて書かれている。

 パン粉をばらまいてしまった/トンカツ用に/パン粉を解凍していたのだ/パン粉は一度開封すると味が落ちる/冷凍がいい/賞味期限ものびる/あたしもずいぶんと生きてきた/冷凍保存は難しい/お金もかかりすぎる/それで会いたい人を/ひとりずつ招待することにしよう/おとこひとり/トンカツ一枚/それなのに/台所がパン粉だらけになってしまった(省略)」

④風都市.第29号
 瀬崎祐さんの個人誌。ゲストは長嶋南子さん。

 長嶋さんの作品からも、女性の日常や、社会との折り合いについて学ぶことが多い。「ムシ」とは作品中では、ツツガムシというムシが出てきますが、ツツガムシとは、ダニの総称です。「ツツガムシ病」という病気名を聞いたことがありますね。なんと、この病気は聖徳太子の時代から日本に存在するダニに寄生された病原体が体内に侵入して発症する病気です。「ツツガナクお過ごしですか?」の意味は「ツツガムシ病に罹らずにお過ごしですか?」から転じた挨拶なのです。
長嶋南子の作品の1連目と3連目を引用する。

「なにごともなく過ごしてきたつもりだった/そんなことはないと/わたしのなかのツツガムシが身をふるわせる/すると生家の庭にあった/いちじくの実が落ちる// 分相応になったとムシが笑う/息子は赤ん坊になり/わたしは若い女になって/おっぱいを吸わせている/つつがなきや」

いかがですか?あなたの身辺は「ツツガナキ」日々ですか?


⑤WHO'S第114号。
 発行人は中村不二夫さん。
この号は、樫村高氏の追悼号で、同人の方々が故人との思い出を語っている。WHO'Sを読むのは、久し振りだ。たしかこの雑誌は、無教会派のクリスチャンであった樫村氏が編集長だった。追悼文を一色真理さんと原田道子さんが書いている。お会いしたことのない樫村氏のことが、静にこころに沁みる。

作品では、徳永大さんの「頌歌」がとても印象深かった。前半の終わりどころに、「人は独りではないのだよことばが生きてあるかぎり」とあって、お盆の日であるけれども、慰められた。

⑥ぱぴるす.112号。
 岩井昭さんが送ってくださっている。おそらく「中日詩人会」に所属するメンバーの同人誌ではないだろうかと思う。

 岩井昭さんの作品。「あぶくのぽっこり」より。池の水面ではじける「あぶく」に「いっしゅんのこうふくのような」希望を見出しているところが、岩井さんの詩心の尊敬するとこと。それは、なんでもない日常の永遠を慈しむ穏やかな心情があればこそ、「水中を浮上する/あぶくのなかで希望がふくらんで/その過程は仮定ではない/いっしゅんのこうふく/のような」と見詰めているのだ。


⑦ERA.第三次4号。
 川中子義勝さんが編集・発行する、中堅から熟練までの詩人たちの実力が示されているなあと思う雑誌。しばらく読んでいませんでしたが、第三次となって出発して4号。

 池田順子さんの「春と棺」。
「ちょっとそこまで と/出かけたきり/父は/帰ってこない/忘れものですよ/あとを追いかけた母も/帰ってこない」
そんなふうに、だんだん誰もいなくなっていく。物語でもなんでもなく。わたしが暮らす街もそんなふうに人がいなくなり、空き家になっていく。人は死して返らず。

「去年の春/一昨年の春/うっすらと降り積もりはじめる/ものたちを/棺に収めて」


2015年8月11日火曜日

夏の思いで

 信州佐久高原も8月1日から3日まで、35度をこえる猛暑日が続きました。8月8日の立秋を過ぎてから気温が下がって32度くらいとなりました。朝夕は涼しい風も吹くようになりました。日中は相変わらず暑いです。 この夏は、2015年7月16日から23日まで「フラワーアートと現代詩」展でした。7月19日は、くろさわギャラリーに詩人たちが集まってステキな朗読会を開く事ができました。ありがとうございました。詩誌『エウメニデス』の発行も終わってようやく一段落しました。「夏の思いで」の写真を順次アップしていきます。お立寄りください。

(注)★写真撮影は、小島きみ子です。

フラワーアート展の始まり。


作品展のテーマ「森の輝き/あるいは森の哀しみ」
第一のテーブルオブジェ













第二のテーブルオブジエ「森の輝き」


テーブルのオブジェ。
ハートのセンニチコウ2つ。


「高原の朗読会」テキスト




7月19日
朗読会の始まり。
「ひとつの息が生まれるとき」フラワーアートの連作。



ひとつの息が生まれるとき    小島きみ子

バラの葉陰では、
静かな蝶の声がする。
あの細い昆虫の脚が、
バレリーナのように、
花びらの上に止まる。
あなたの指の上に、
止まるようにそっと止まる。
ひとつの息が生まれる。
聞き取れないような。
ブルーリボンを結ぶときのような、
繊細な指が、
息と息が、愛について語りあう。

小島きみ子の詩と百瀬雄太さんの歌とのコラボ。
ギター演奏中。




作品「さよなら」を朗読する一色さん。
会場からの「さよなら」の声も混ざって。
佐久の詩人が5番目のさよならを出遅れたようです。








朗読用の衣装に着替えての生野毅さんの朗読。




出演予定ではなかったのですが、会場に2013年の小島とのコラボ作品「薔薇静か」が展示されておりましたので、最後に朗読をしてくださった、広瀬大志さん。


「薔薇静か」のコラボ作品。



フラワーアート最終日の会場の様子。
勅使河原冬美さんとのコラボレーション。
連作「森の輝き・森の哀しみ」
赤松のマツボックリのグラデーションが木のテーブルの上で、
幻想の森へ連れて行ってくれます。


勅使河原冬美さんとのコラボ。
作品1.




オブジェ・シダーローズ連作。




私の手と、「薔薇の埋葬」
レオナルド・ダ・ヴィンチと黒薔薇。
最終日。この日、搬出ギリギリの時間に訪問してくださった、洪水企画の池田康さんにお手伝いしていただいて、搬出の荷造り。新幹線と小海線を乗り継いで到着した池田さんのギャラリー滞在時間は、約30分。小海線小淵沢経由中央線で神奈川県へ帰っていきました。




最終日。
搬出が始っているテーブルです。
真ん中にあるのは、勅使河原冬美さんとのコラボ作品。



高原の花たち。

7月の雨降り花(別名・ホタルブクロ)










センニチコウ・オレンジ




センニチコウ・ピンク


ジニア・レッド


ジニア・ピンク
花に来ている昆虫はだれでしょうか?



マイクロアスター・ブルー


ピンクのユリ

   7月の黒薔薇