2017年2月21日火曜日

「朔太郎とベンヤミン」について



 坂部恵 著(哲学書房)『モデルニテ・バロック――現代精神史序章』

 第1章の2・56Pに「日本のモデルニテ・萩原朔太郎と九鬼周造」のことがあります。
萩原朔太郎(1886ー1942)と九鬼周造(1888ー1941)は二歳違いで、同世代に属しています。この二人をどの方向から見て論じるかというと、「実存主義はモデルニテの一様相ということができる」ということです。坂部さんの提案はとても魅力的です。それは、実存主義の第一世代というべき人々、ヤスパース(1883ー1969)ハイデガー(1889ー1976)とも同世代に属するのです。ベンヤミンは(1892ー1940)ですが、朔太郎と資質や素養の面でとても近いところにあり、朔太郎とベンヤミンの共通の根として、ボードレールが考察されるということです。萩原朔太郎を考えるとき、あらたな視点を与えられたように思います。そして、「九鬼周造にとってのパリはボードレールのパリでした」。ハイデガーの時間性は「水平のエクスターゼ」、九鬼の時間論は「垂直のエクスターゼ」です。(このつづきは、114Pから。)後半では北村透谷の評論「徳川時代の平民的理想」が随所に引用され、「自由と霊性」について述べています。
「霊性」=スピリチュアリテイですが、記憶の古層について述べているようにも思われ、とても興味深いです。


「世界を生成することばの形而上学を継ぐバロックは、一つの時代の終りに立ち会う者の生と思考のスタイルとして、モデルニテと通低する。モデルニテとは時間と時間を越えたものとの総合だ。世界は今モデルネの喪の中にある。エリウゲナなどヨーロッパ霊性と、ヒンズー的想像力の嫡子である空海を結ぶ霊感の源から、新たな歴史の次元を組み上げる。」と、いうわけで、いろいろ思い出したので、つづきを考えよう。


*引き続き読破するテキスト










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