2013年4月21日日曜日

同時代の芸術家たち



1 朔太郎とベンヤミン

 萩原朔太郎(一八八六~一九四二)と九鬼周造(一八八八~一九四一)は二歳違いで、同世代に属しています。この二人をどの方向から見て論じるかというと、「実存主義はモデルニテの一様相ということができる」ということです。坂部さんの提案はとても魅力的です。それは、実存主義の第一世代というべき人々、ヤスパース(一八八三~一九六九)ハイデガー(一八八九~一九七六)とも同世代に属するのです。ベンヤミンは(一八九二~一九四〇)ですが、朔太郎と資質や素養の面でとても近いところにあり、朔太郎とベンヤミンの共通の根として、ボードレールが考察されるということです。萩原朔太郎を考えるとき、あらたな視点を与えられたように思います。そして、九鬼周造にとってのパリはボードレールのパリでした。ハイデガーの時間性は「水平のエクスターゼ」、九鬼の時間論は「垂直のエクスターゼ」です。

 この文章の参考図書に坂部恵さんの「モデルニテ・バロック――現代精神史序章(坂部恵著・哲学書房)を挙げておきます。第1章の2・五六ページに「日本のモデルニテ・萩原朔太郎と九鬼周造」のことがあります。後半の第Ⅲ章では北村透谷の評論「徳川時代の平民的理想」が随所に引用され、「自由と霊性」について述べています。「霊性」=スピリチュアリテイですが、記憶の古層について述べているようにも思われ、とても興味深いです。

2 クレーの天使
  パウル・クレーのプロフィール:(Paul Klee, 1879年12月18日 - 1940年6月29日)は、20世紀のスイス出身の画家、美術理論家)クレーは1916年から1918年まで第一次世界大戦に従軍。1921年から1931年までバウハウスで教鞭をとった。彼は芸術理論にも通じ、多くの理論的著作を残している。 1931年から1933年までデュッセルドルフの美術学校の教授をした後、晩年の数年間は故郷ベルンで過ごした。最晩年は手がうまく動かない難病にかかるが、背もたれのある椅子に座り、白い画用紙に黒い線を引くことにより天使などの形を描いては床に画用紙を落とす事を繰り返したという。なお、その天使の絵に心を打たれた詩人谷川俊太郎は「クレーの天使」という詩集を出している。 http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%A4%A9%E4%BD%BF-%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC/dp/4062663694/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1366714479&sr=8-1&keywords=%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%A4%A9%E4%BD%BF


「芸術は見えないものを見えるようにする」と主張していたクレーの作品は、通常のキャンヴァスに油彩で描いたものはむしろ少なく、新聞紙、厚紙、布、ガーゼなどさまざまな支持体に、油彩、水彩、テンペラ、糊絵具などさまざまな画材を用いて描いている。サイズの小さい作品が多いことも特色で、タテ・ヨコともに1メートルを超える「パルナッソス山」のような作品は例外的である。2005年6月には故郷ベルンに彼の偉業を集大成した「ツェントルム・パウル・クレー(パウル・クレー・センター)」がオープンした。
ヴァルター・ベンヤミンの『歴史哲学テーゼ』で語られる高名な「歴史の天使」論は、クレーの『新しい天使』に触発されたものである。ベンヤミンは、ドイツからの亡命途中ピレネー山中で自殺するまで、この絵を携行した。 


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