本を読みつかれて、窓の外を見ると、白い帽子を被った女性が二人、お互いをいたわりながらこちらへ向かって歩いてきます。もう、かなり年配の女性たちです。近くのグランドでマレットゴルフの試合があったようですから、その帰りなのでしょう。
七年まえ、亡くなった叔母を思いだします。戦争で夫を失った彼女は、一人息子を大切に育てて、彼はそんな母をいたわりよく勉強してこの地方の優良な企業へ就職して、たいへん重要なポジションで働き、今年退職した。叔母はマレットゴルフが大好きで、その道具を息子からプレゼントされて喜んでいた。こんなに明るくポプラの緑の葉に、オレンジ色の光がリボンのように射す日。叔母は、息子を会社へ送り出してから具合が悪くなり、病院へタクシーで行き、お昼ごろには意識不明となり、私が夕方の六時ごろ行ったときは、もうすつかり諦めて、こころの準備をしなくてはならなかった。子どもが一人しかいなかった叔母は、私を娘のように可愛がってくれたから、叔母の急変を従兄が知らせてくれたのだ。次の朝早く起きて、病院へ行くと、彼と妻は交代で叔母の脚をさすっていた。叔母の脚は、生きている人のように暖かかった。心臓のペースメーカーは、直線を表わしているだけだった。家へ叔母を迎える準備をしなくてはならなかった。医師が来て、「もう呼吸はしていません。心臓の機械に電流を通しているので、胸が動いているのですが」と言った。従兄は、「ありがとうございました」と、言った。すぐに、電流が止められた。彼と妻と私は処置室で、叔母の死に至る病名と治療とを聞き、死後の処置が始まった。叔母は美しい表情をしていた。すべてをやり遂げて満足そうだった。医師と看護士に任せて、私たちは忙しく自分のやるべきことをやるために部屋を出た。
ポプラの葉叢が今度は薄いシフォンのワンピースのように揺れる。人が、死を怖れずに還ってゆくことができるのは、この緑の光のなかに迎えられるという幻想を夢見ることができる力があるからかもしれない。「なぜ、あなたは詩を書くのですか」と、今、問われれば、「死を怖れないために」、と思う。中原中也の「山上のひととき」を想いだす。
山上のひととき 中原中也
いとしい者の上に風が吹き
私の上にも風が吹いた
いとしい者はただ無邪気に笑ってをり
世間はただ遙か彼方で荒くれてゐた
いとしい者の上に風が吹き
私の上にも風が吹いた
私は手で風を追ひのけるかに
わづかに微笑み返すのだった
いとしい者はただ無邪気に笑ってをり
世間はただ遙か彼方で荒くれてゐた
(未発表詩篇・1935・9・19より引用)
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