2013年5月31日金曜日

「冬の詩集」・三冊

(第九十回「詩客」詩時評)

        
 
 二〇一二年十二月初めから二〇一三年一月上旬に手許に届いた冬の詩集の中から、今回は三人の詩人の詩集について述べます。

芳賀稔幸詩集『広野原まで(コールサック)』について

 芳賀稔幸さんは、福島県いわき市在住の詩人。詩集は、3・11以後の雑誌に発表した作品と、今回の詩集のために書き下した作品で構成されている。三章からなる一一〇Pの上製本。裏表紙カヴァーの見返し部分の文章に「ひろのはら」とうたわれている辺りは、広野火力発電所の白い巨塔が望める旧警戒区域の検問所があった。解除されたとはいえ、北上が許されるのは、国道六号線で六?足らず。」とあります。「ひろのはら」とは、私の小学校のころの音楽の「みんなの歌」という副教材に「汽車」という歌があって、そこに歌われている場所がこの「広野原」でした。詩は、三二Pに「広野原まで」があります。第二章の後半部分を引用します。「忘れるな、福島原発は第一だけではない/いまだ廃炉が見込まれてはいない/若しも第二が冷温停止を成せなかったならばー/いずれにしてもヨウ素131被曝は免れなったのだ/どれほどの被曝線量だったかさえ不明なままだ/東電は自主避難の賠償金の名目にすりかえて知らぬ顔だ/(省略)」

あとがきには、「楢葉の警戒区域が解除された。はたしてどこまで行けるか。国道6号線のJビレッジへ右折する辺りが旧警戒区域検問所のあったところだ。警官が大勢交替で常駐していて、パトカーや、車窓に鉄線を網のように張り巡らせた大型車が、車道を塞ぐように並べられていて、バリケードのさらに奥で行く手を遮っていたものだ。」 詩篇「神様へ」の2連目を引用する。「寝たきりの布団は海水で濡れて冷たすぎます/どうか、ふかふかで温かで真っ白い布団のなかへ/くるんでは下さいませんでしょうか」神の子羊たちが、あのようにたくさん受難に遭ったのだ。震災瓦礫が広域で焼却処理されているが、あの瓦礫は放射能の有害物質であるとともに、震災に遭った人々の遺体の欠片が含まれているとしたら、現在の補助金というお金がついて回る広域焼却がそれで良いのかと思う。瓦礫を処理しなくては建物が建たない、という復興は復興ではない。「どうか、ふかふかで温かで真っ白い布団のなかへ/くるんでは下さいませんでしょうか」という詩人と現地の人々の思いや、震災で亡くなった人々の傷ついた遺体の哀れに日本人は哀悼の気持ちを持ち続けなくてはならないと思うのです。


 鈴木東海子詩集『草窓のかたち(思潮社)』について
「形の字」になっていくということ。

 鈴木東海子さんの新詩集『草窓のかたち(思潮社)』の表紙画は、バーバラ・ヘップワース(イギリスの女性彫刻家)のスクリーン・プリント「オーキッド」。ヘップワースの彫刻を巡って、ロンドンからケント州のセント・アイヴイズへの旅であり、これと並行して小説の中の主人公の手紙なども出てくる。詩の中の物語が始まる「詩旅行」を楽しみたいと思う。入沢氏の栞文から引用すると、それに加えて、中世のチョーサー著すところの『カンタベリー物語』をなぞるようになされた、現代のカンタベリー巡礼であるのだ。ということ。作品中には、バーバラ・ヘッブワースの彫刻作品が次々と出てくる。作品はPC.でネット検索すると見ることができる。また、カンタベリー物語について、読んでいない読者は、(註)を参照してください。私は、一つの詩句に導かれて次々と現れる、物質としての言葉に大いに興味がある。入沢氏が帯文で言う「複数の次元」がなまなましく読者の現前に現象されてくる。「彫刻が現れる詩集」ということもできるだろう。

*(註)バーバラ・ヘッブワースは、イギリスの女性彫刻家。ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートに学び、そこではヘンリー・ムーアと同窓でした。人間の胴体を意味する「トルソ」と題されたこの作品も、金属で造られ、抽象的・構成的なかたちをしていますが、そこには生命感が満ちあふれ、人間のぬくもりさえ感じられます。(安達一樹「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞一九九〇年六月十三日掲載より引用)

*(註)『カンタベリー物語;The Canterbury Tales』とは、十四世紀にイングランドの詩人ジェフリー・チョーサーによって書かれた物語集である。当時の教会用語であったラテン語、当時イングランドの支配 者であったノルマン人貴族の言葉であったフランス語を使わず、世俗の言葉である中英語で物語を書いた。(引用wiki)

 鈴木東海子さん自身が、彫刻の制作をされていたので、それで、九十年代には列車を乗り継いでカンタベリーに行ったということだ。バーバラ・ヘッブワースの彫刻と、「カンタベリー物語」を歩く旅が、詩の中で始まるのです。ワクワクしますね。いったい幾つの物語が詩篇のなかに出てくるのでしょうか。それでは、詩のページを開いてゆきましょう。 作品は、「みどりの序章」から始まって、「窓の第1章」、「窓の第2章」、「窓の第3章」、「窓の第4章」、「草窓の結章」までの作品数は二一篇、これに続いてプロフィールや註も作品世界に深く浸ることができるもので、おもしろい構成。この詩物語のなかへ、カンタベリー物語を歩ませながら、鈴木さんの歩行を「草兎」の目で楽しんでいくことになる。

1 「みどりの序章」

アヴヵ丸で過ごす薄暗いロンドン生活から、彫刻家の手紙を読み解いていく。小さな文字で真っ黒に塗りつぶされているようなノートを開けて。みどりの藻の匂いがする苦い液体を飲んで。ここに出てくる書名は『アラビアのロレンス』。懐かしいですね。トーマス・エドワード・ロレンスの自伝『知恵の七柱』からロバート・ボルトが脚色し、「戦場にかける橋」のデイヴィッド・リーンが監督した七〇ミリスペクタクルです。この序章には、こんなふうに書かれています。『アラビアのロレンス』は毎週一万冊も印刷されて読者の目に届きます。吐く息も揺れて眠りの髪まで揺れて爪に力が入ります。〈草のみどり、ポプラのみどり、月桂樹のみどり、エメラルドのみどり〉と詩人が牧歌的に歌っている。この序章の後半で、詩人は眼差しの方向をこんなふうに書きます。〈視ているものを。〉〈遠くのものを。〉この眼差しの歩行を探っていきます。
 ロンドン大橋を渡りきると「サザーク大聖堂の時計が見える」。サザークはカンタベリー巡礼のロンドンの地名で宿屋タバルトから出発する。《うずくまる人のようで《人であるが人であることなく《人形であるが人形であることなく・・・ヘッブワースの「一つのかたち」が立っています。火力発電所であった吹き抜け空間をもつ美術館のスロープ。そして、「風景の成長のなかでこえるのだ」
「穴のある形(1931)」そもそもこれが、ヘッブワースの彫刻の作品タイトルなのだとわかると、この詩集の読み方がわかってくる。「三つの形(1935)」。これらの作品を通過して、街の真中のヒースに踏み込んでゆくと、子どもの影が喋りだす。《ぼくはここで/草兎になるよ。ヘップワースの作品「三つの形」のなかから生まれた卵。卵から生まれた子どもが、草兎になる。草色になって隠れているから「草兎」。「穴のある形」の抽象から、兎の足で蹴られた具象。「トルソ? ワイルドの背中」とあるように、オスカーワイルドの家は不在で、旅の人とすれ違う。さっき、すれ違ったの「トルソ?.ユリシリーズ」から抜け出した男のようだ。「ぼく」が再び詩人に語りかける。《ぼくに/血をかけて。/もう一度。もういちど。ここまでが作品の場所を尋ね、作品と出会い「ぼく」に出会う、「みどりの序章」だった。なんて魅惑的な「草兎」と「ぼく」だったろうか。

2. 「窓の第一章」

骨董市の路上に並べられていた古い絵から始まる。絵からの手紙。「朝食のテーブル」絵と、東の国の詩人の言葉。ここにあるリンゴの絵と窓の外に飛び出した詩人。「草の形見函」。この詩はかなり長い。〈干し草山殺人事件〉十月の土曜日の骨董市から始まる。沈み彫りの文体で小説をかくつもりだった、という「沈み彫り」とは何か。そして、セント・アイヴスへ。ヘッブワース美術館へ。1968年と1934年の彫刻作品を詩で見ながら通過する。バリー列車に乗って野兎の丘へ。〈草の駅〉〈鐘の駅〉〈橋の駅〉そして大西洋を飛び越える。


3.「窓の第二章」から一気に「草窓の結章」へ

お兄様(=ベン・ニコルソン)にあてた手紙のあたりから散文詩風なスタイルになるとともに、この詩旅行は最終段階へと向かう。ようやく詩集のなかの複数の次元から浮き上がってくる。レリーフのような物質がはっきりと心に描かれてくる。言葉でその輪郭が現象される。「見えて」くる。詩篇「形・断章」の後半に「水の眠りのように。細かく細かく細かい字に。/形の字になって。」のように、ここに現れてくる。「音信の庭」でそれはますますはっきりとした詩人の思いと、ヘッブワースの彫刻を刻んだ指とが触れあっていく。花が声を出し、感情が色になって、指をつつむ、その先に立つ「煙」。記憶の煙景として。セント・アイヴスの彫刻家のアトリエの庭で。そしてさらに、「犬のいる場所=カンタベリー街道」で中世の笛吹き男と灰色の犬を見る。「朗読の人」のなかでは、シルビア・プラスの「親切」が吉原幸子訳で書かれる。さまざまな次元の朗読の「声」が高揚して、沈黙へ歩行する。「野を歩く女達は/母であったかもしれない/少女であったかもしれない/沈黙することは/全部であったかもしれない/朗読するように/歩くのであった。「水分」を」最終章詩篇は「海のかたち」=ボーツミア海岸へと続く。「海の形(1958)」の彫刻作品のうえに詩人の「海のかたち」が被さっていく。《待っているよ。/めぐっているね。/くずれてしまいやすい砂の/くたれてしまいやすい草の/青いくぼみに形の重みもゆだねて/草の眼に虹がかかる。》プラスの詩と吉原幸子の声が重なっていく。


 倉田良成詩集『横浜エスキス(ワーズアウト刊)』について
倉田良成の「幻想的体験」詩集。

 昨年の夏に発行された『グラベア樹林篇』は、おもしろかった。そのことは、夏に書いたので、その前の『小倉風体抄(ミッドナイトプレス)』についても少し書こうと思う。そうでないと、この詩人について理解することができないように思う。この詩集が、昨年の夏に届けられたときは感想を書いている時間がなかったからだ。今年の正月に再読。詩集で扱われる小倉百人一首は、三五篇、こうして読んでみると全部知っていた。十四ページに「龍田の川の」がある。『永承四年内裏歌合によめる  あらし吹三室の山のもみぢばゝ龍田の川のにしきなりけり  能因法師』これが、冒頭にあり、散文詩が一文字空けで行替え無しで三三行続く。初めの一行は「その秋、彼女と私は都内で唯一残る路面電車に乗って休日を過ごす計画を立て、まず深い青空にさらされてある早稲田の乗車場から二両連結の小さな電車に乗り込んだ。」で始まり最終行は「わたしたちはいったいどこへ還るべきなのか。筑波まで行く、ユリカモメよ。」で終わるという具合なのだ。このように、この詩集のスタイルは、まず冒頭に小倉百人一首の歌を引く。

 そのあとを、散文で現代の倉田良成の分身が、歌の中を歌とは関係なく「旅」をする。時空を超えた詩情漲る魂の浮遊、とでも呼べばいいだろう。ロマンチックで、残酷で、悲しくて、最後にはこんなさびしい人間の生命自体を愛おしく思う、そんな終わり方になっている。寂しさや悲しみ、苦しみや痛み、その哀れな人間の姿の滅びていくさまと、「はかなさ」という花の花びらを一枚一枚剥がして、詩という紙の上に文字起こししてゆく。というのが、倉田良成のスタイルのような気がする。これは、「魂の浮遊」を扱った詩的な体験記録なのだろう。「詩的な」という意味は倉田にとっては「幻想的な=夢遊病的な」体験であり、よく言われる「非現実的な=現実」を意味する。だからこの幻想的体験は「詩」なのだと思う。

 さて。『横浜エスキス』の表紙は群青の海。詩人が暮らす横浜沿岸の暮らしが語られているかと思えば、登場人物は日本人だけれども特定できない外国の情景が浮かび上がってきたりもする。作品は巻頭の「水の女」のトリニダード・トバコからやってきた男のパフォーマンスの音楽について「無窮動なリズムのうちに、悦ばしいような悲しいような、無限の明るさの中で涙が出る」に始まって「青空で鳴らされる鐘」まで、三四篇。「青空で鳴らされる鐘」だけが自作詩のみで引用詩はない。あとは全作品が見開き一ページ内に収まるという構成。右の半ページで詩論詩風な詩を書き、左の半ページで引用作品を載せる。これを「詩」というには強引かもしれないが「詩論詩」と呼べば右のページの散文は詩としての抒情を滾らせている。「詩」へ向かう、「詩」を想いだす、「詩」が立ち上がる、その瞬間の神の美技(みわざ)がある。自己脱出の寸前の気配、手繰り寄せる糸が血流になるとき、そんな詩的世界の時空がここにはある。読者は限りない純粋な抒情を受け取る。掌と指になじむ冊子の紙という物質が急にそこに存在する人間の影となって支えきれなくなる。夜には湿気を帯びてくるペーパーバックスの柔らかな紙が、まるで詩篇のなかの人々の吐息のように悲しみの涙のように、しっとりと落ちてくるのだ。「本牧へ」では「われわれ」と「わたし」を登場させ、船の職場で「わたし」がパイプの詰まりを修理してみせる。そこで見る、冷たい宝石のような笑顔。「嵐は数えることをしないが/運命は一瞬の光でおまえたちを数える/待ち遠しいぞ 世界の終りが/(省略)」と鮎川信夫「戦友」を引用する。この左半分にある散文と引用詩を繋ぐ物質は、「運命は一瞬の光でおまえたちを数える」の「光」を連想させる「冷たい宝石のような笑顔」だ。連想と連想を繋ぐときに現れる言葉の物質の「核心」が、群青色の海の色とともに立ち上がる、倉田良成の『横浜エスキス』だった。

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