2013年5月1日水曜日

高塚謙太郎詩集『カメリアジャポニカ』書評

  オンデマンド出版のその本は、ベッドの下に落ちてしばらく眠っていた。だが、そこに書かれていたものへの、私からの返信は熟成されて、いま届けられる。声ではなく、文章で。この詩集を初めから最後まで一気に読んだ方を尊敬します。

  この本は、223Pの大冊で購入してから、80Pまで読んで疲れて、眠りこけて、行方知れずとなり、ようやく出てきました。前半61P.までは、詩人本人の註が本文の下段で語られていて、もう一つの詩が、翻訳のように輪唱のように進行していきます。
 
 
190P.からの「屏風集拾遺」はこの詩人の感覚の美しさと言葉の強さが溢れています。輪郭をもたないかすかな物に触れて、感じて、その感情の揺らぎを「感情で」表現しています。
 
194Pかよい路
「みそらにあらゆることそのものを茫洋とよびながら、ペダルを幾度もふんでいた。ながれるものが風だけとはおもいたく、それだけでみえる空が思い出へとはけていく。
 表現するとは、言葉を操ることではなくて、その物や人の気配を、感情で感じ取らせることです

186P引用。
「蜂起:傘のながれる川にながしてみる炎というものを、あおぐことのうつしさ。ねむりからさめたせせらぎに音をひたしてみる。とてもたかい死にみえる。みえはじめる。ひとつきするまでのわずかな時代をめぐる夏の話だった」
 日本語で感じる感情の美しさを持っている、男性詩人です。

198P
「吉四六(きっちょむ) ぼくの永遠はきみが作ってくれたんだ  ノヴァーリス(青い花)


霧が伸びてきた。防空に見せて群青の敷石を歩いた。さもなくば、天井にひそむ吐息を、はるか向こうに消えている道に流し続けている村落は、今も静かに見わたせる。軽めの砂煙と見紛う。」


ノヴァーリスの青い花の引用の入り口がいいと思う。ノヴァーリスが現れるとは思わなかったのです。ここに存在するのは、「気」というもので、とりとめのないように見えてそうではない、高塚謙太郎の静かな「こころ」「魂」「息遣い」「気配」を、33のフラグメントで触れる。そして知るだろう。「詩情」というものが立ち現れる幽かな空間の言葉の場所がここに有ることを。

 


 

 

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