詩集評 小島きみ子
(一)
福田拓也詩集『倭人伝断片』(思潮社)
*息絶えて、なお亡命する詩篇
詩集『倭人伝断片』は、巻頭に「「倭人伝」断片」の作品がある。このタイトルを見て、すぐに思い浮かぶのは『魏志倭人伝』のことで、ブリタニカ国際大百科事典に拠ると、中国・晋の陳寿(233〜297)の手による三国志の一部で、三世紀ごろの倭人社会の様子や風俗を描写し、外交記事も収め、朝鮮半島から邪馬台国までの国々が記されている。中国の歴史書のなかで日本に言及しているのは、後漢の班固の撰した『漢書』 (120巻) のなかの地理志が最古である。
作品の「「倭人伝」断片」は散文詩。ほぼ六行の構成で六連ある。タイトルと本文の間に「草木茂盛し、行くに前人を見ず。」の『魏志倭人伝』からの引用の一行がある。この一行を引き継いで第一連が始まる。文体は、内心との問答のようでもあり丈高い、草の生えた道とも言えぬ道を、「石の積まれた空から成る聖地」を、案内人に従って歩いて行く。道案内人は若者。何処を目指しているのかというと、此処は日本では無くて「アリゾナ」であるが、意識は果てなき果てを浮遊し漂白している。第三連では、山の岨道を辿る。〈いつしか緑に覆われた古墳の入口の石段から壁伝いに漢字の字画の中に、それは果てることなく続く壁の連続で、〉、〈その狭いしかし果てしなく続く迷路の壁の中で、〉。第四連では、〈わたしはあの人と一緒になった、倭人伝という書物には草深いわたしたちの集落に文字はないと書かれていたというのがあの人の口癖だったっけ〉と続く。〈あの人〉とは、だれを差しているのだろうか。第一連の案内人の若者とは別の人であるという気配が漂う。文体になにかが憑依していく。憑依したものの息と、こちらの息があえばよいと思う。
〈あらゆる字画を辿り、漢字の風景そのものとなった、そこでは木々の葉は風にさやぎ鳥が囀り、私は風景に目を開かれ、しかしわたしの体は新たな文身を無数に施され傷だらけになっていた、さまざまな部位が余計なものとして切除され、空に血のにじみ出る暁闇にわたしは息絶えた、〉第一連最終行で〈やがてかがよい現われてくるものがある、〉と述べるその〈かがよい現われてくるもの〉の漢字の文様と風景のなかでわたしの体は息絶え、そしてなおも、著者であるかれは、『倭人伝』の書物なかに、人間の体の拘束を解かれて入っていくのだった。書物のなかの文字になるとは、倭人伝のなかを漂白する魂、そのもとなったのだろう。それほどの憧れと陶酔が倭人伝にはあるのだろう。歌となってあるという在り方も、その歌のなかの声と文字のなかに入る。入るという感覚は、喪われる、ということで、喪われると同時に、蘇る在りようの断片が、ここでは散文詩として書かれている。
案内人に誘われて、〈果てしなく続く迷路の壁の中で、わたしはあの人と一緒になった、〉とは、なんという幸福だろうと、思う。最終連最終行〈字画をゆるやかに辿る者たちを光らせる斜面ごと空に歌として上昇する白い肉を模造する國見という視点まで、〉。
詩集は、「「倭人伝」断片」の他に十六の作品を所収する。巻頭から二番目の「香具山」は、見開き二頁の散文詩で、冒頭小見出しにこのようにある。〈歌としてわたしの死骸がいわば裏返された鏡の裏側の文字を知らない歌の光輝く風景を國見する天乃香具山という視点が死骸の無数の傷口から開かれて来たのだった、〉とは、「「「倭人伝」断片」の最終行を引き継いでいるのであるが、此処は、JR桜井線の香具山駅で降りて、〈哭澤目指して延々と歩き続けていた〉とある。作品は歌の裏側を歩く。こうして、それぞれの断片はすべてが「死後」である。さまざまな意味の文字群が紙から解かれて、ほぐれて崩れ、わたしというものも地にばらまかれる、わたしという肉体も、実は文字で固められたテキストであって、意味をほどかれて、自由になる。だから散文詩の終末が読点で繋がっていくのだろう。
転調は、「灰の裸体、光の灰」からで、文字の息継ぎが変化する。⒕の散文に行分けが混ざる中の9.の第一行目に「言語は限りない亡命だ、訓読という尻尾をひきずりながら言葉を口にすることで亡命を図る」は、言語と言葉の違いだろう。⒒の一行目〈顔の連鎖が語の連鎖となるとき、言葉の連なりの展開される場は天とも地ともつかぬ鏡の裏側に想定される、したがって顔たちは自分の顔を見ることがない、〉とは、どういうことだろう。古代の鏡は銅鏡で顔は鮮明には映らなかった。だが、顔が鮮明に写るとき、顔の意味の信実を知ることになる。鏡の顔(=言葉)の信実を知るとき、破壊と蘇生が同時に始まる。後半「住吉行」は〈マルクスの一ページから飛びだしたかのような〉に始まり〈現れては消える/列島の幻〉まで十九ページに亘る長篇詩である。《歌に絶えざる死をもたらす道行き》であった。
(二)
福田知子詩集『あけやらぬ みずのゆめ』(港の人)
* ふりわけられし水のエートスのゆくえ
福田知子さんの作品は、詩誌「めらんじゅ」で読ませていただいてきた。彼女のお父さんの作品がなぜかわたしは好きで読んできた。詩集全篇が詩の対象に、まごころで寄り添っているのだが、今回の詩集は、『あけやらぬ みずの夢』というタイトルに沿って前半に六篇の水の詩、後半に四篇。中どころ「雨の底から 樹の底から」五篇と「夏に出会う」六篇の行分け詩で構成される。行分け詩は、水の流れが浸みるように言葉がやってくる。巻頭詩の「ふりわけられし水」には、私も慣れしたしんだノヴァリスの青い花のイメージが流れる。〈見えるものは見えないものに触っている〉そしてエートスのゆくえが最終行で暗示される。わたし自身と同じようなイメージを追求している詩人の言葉を探求していく。〈どこにいくのだろう/私たちのはかないゆめ/ふりわけられし水/の エートスは〉。
読み進んでいくと、幾つかの慄に出会う。作品「川の視線」では、〈水の気配に呼びとめられて歩く 朝/水音は一雨ごとに懐かしい詩人の声になる/響いてくる風音は 秋枯れた草叢の少し向こう/網の目になった虫たちの塒からの伝言/(省略)/近づき 流水にそっと手を浸せば掌は影でみたされる/その水の その川の その視線の 何年も昔から――/この星の愛の深さによって生み出された慄き それら視線〉。作品 「海」では、〈この星は憶えているだろうか/いくつもの魂を宿しては破壊する/ もはや人びとが忘れてしまった/海の/光に満ちた憤りの深さを〉。
慄きと憤りは、「はなびら」という作品で鮮明になる。二〇一一年三月十一日の東日本大震災での東北の津波災害を想起させる内容である。
アイリは姉 死んでいる/ジュリは妹 生きている〉〈津波がごおっとやってきて/はなびらのように魂 抜いて・・・った〉〈あいする人がいること/はたらく場があること/この二つがあるとひとは生きられる/ならば/あいするひとをつくろう/ジュリは死んだアイリをあいするひとにした/ならば/はたらく場をつくろう/お母さんは死んだアイリのオムライスをつくるためにはたらいた/アイリの魂 どこへいったの?津波とともに海の彼方に帰ってしまったの?//ちがう ちがう とジュリは言う
福田知子さんは、心を籠めて人間の痛みと悲しみに寄り添っている。
他者の痛みに寄り添うということは、作者の自身の心も痛みに刻まれていくことで、そのような詩を書くには大きな愛の力が必要とされる。愛の偉大さは、傷ついた者であるとき、傷ついた者を救うことができる。日本に留学して帰国を目前にして拘束されて獄死した尹東柱へ寄せた詩篇、スペイン内戦の際にファランヘ党員によって銃殺されるという悲劇的な最期を遂げたガルシア・ロルカに寄せた詩篇の他に、彼女の愛猫「あも」の死に寄せた作品「わたしはかつてレモンの葉脈を」には、命の愛おしさがあふれている。愛をくれた「あも」が居たという喜びと悲しみが、レモンの葉脈の文字が、レエスのように翻り、読む者もまた涙が尽きない。全篇を通して、ゆるぎない良心を受けとった。その温かな余韻と、愛猫「あも」を喪った嘆きを、永遠の喪の愛として受け取った。
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