中原中也のソネットから「一つのメルヘン」を紹介します。
この詩は2013年3月の短詩型文学祭・現代詩部門の座談会で60分間のスピーチを行ったものです。参加者に朗読してもらいながら、「読むこと」によって理解するという講座にしました。何度も読んでいくうちに解っていきます。
4行構成の14行詩ですが、韻を踏んでいるわけではありません。敢えていえば、彼方、小石、河原の「K」の音。もっとも重要なのはオノマトペで「さらさら」。河原は小石ばかりで水が流れているわけではありません。「さらさら」は「陽」が射している音なのです。二連目の「やうで」の重なり。ここでも「さらさら」に注意をはらってください。一連では「陽」。二連では粉末の珪石の「音」。三連は転調があって、「蝶」という存在の影は、命。レーベン(命)と存在(being)が重なってきます。四連は蝶という存在は失われて、いままで流れていなかった川床に水が「さらさら」と流れ出す。
どうですか。この河原には、「水」はないのです。「さらさら」と射している「陽」は、水のように川床に流れています。流れていない水を流れさせたのは、「蝶」です。現在に存在しているのではなく「過去」からやってきた「命」です。過去の時間に在った水の流れが「いま・ここ」に現れているわけです。それは「詩人の目」を通してだけ見える「命」と「存在」の現れです。「現れ」とは仏教用語で言えば「現成(げんじょう)」ということです。
一つのメルヘン 中原中也
秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。
陽といつても、まるで硅石か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました......
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