2015年2月7日土曜日

2015年1月の詩集と詩誌

2015年1月の新詩集と詩誌
1月末日までにお届けいただいた、詩集と詩誌等の紹介をします。


★1月の詩集





1.細田傳造詩集『水たまり』(書肆山田)。
 表紙の文字は金色ですが、撮影すると白く光っています。金色は、白い光であったかと納得します。タイトルの「水たまり」は巻頭から5番目にあります。今までの最年長で中也賞を受賞している、細田さんのプロフィールを知らなかったのですが、少年の日の記憶の水たまりを「詩」にしたことに「はっ」と胸を打たれます。その水たまりは、泥水ではなくて、詩の奥行きは深く「雨上がりの/どろみちを帰る」後ろで、金色に光り輝いているのです。「みずたまり」の全行を引用します。「雨上がりの/どろみちを帰る/かつとしが兵隊の話をしている/校門を出て/ずぅーと兵隊の話をしている/かつとしがお父さんの話をしている/おまえの父ちゃんは戦争に行ったのか/かつとしがきく/首をふる/ばかもーんさんごくじん/たたんだ唐傘でかつとしが突いてくる/おれは頭突き/そのまま組みついて/ぬかるみにたおれ/大きなみずたまりで戦った/どろんこになって首をしめあう/ちょうせんじんのこどもがふたりけんかをしている/まわりでおとなたちの声がした/かつとしの力がぬける/おれの力がぬける/かつとしがすすりなく/あしたの二部授業は遅番で/またかつとしといっしょだ//

2.冨上芳秀詩集『かなしみのかごめかごめ』(詩遊叢書)
 後書きまで、103Pのペーパックスの詩集です。1P.に一篇ずつの散文詩。上田寛子さんの表紙画と9枚の挿画が、富上さんの詩の言葉のうえに、また違うイメージをふくらませていくように感じます。挿画には、詩とは別のタイトルがついているからです。扉に「茉莉に」と書かれています。たしかお嬢さんを亡くされたように記憶します。最後に置かれた作品「薔薇」より
「その人は花に埋もれて眠っていました。まだ、二十八歳なのに、もう永遠に齢をとらないで、若く美しいままの姿で、横たわっているのです。」





★詩誌・文化通信・俳句誌等


















1.ロシア文化通信『GUN群 』

 たなかあきみつさんが送ってくださった、ロシア文化通信『GUN群 』第45号を読んだ。エッセイ;サハリンで生きる民族のために ニヴフの作家サンギの思い;田原佑子ほか。たなかあきみつさんの翻訳詩は、ヨシフ・ブロツキイの「スペインのダンサー」は4行19連。「ダンスとは傷口からの出血だ」

2.自由律俳句誌『蘭鋳』創刊号

 表紙画と装丁はtwitterフォロワーの琳譜さん。特集「長律」での矢野錆助氏の文章を興味深く読んだ。私は碧梧桐のファンである。畠働猫の「秋」より「何を食べても君はいない」存在していたものを失う寂しさ、儚さ。1行の前衛詩であると思う。#蘭鋳

3.『潮流詩派』創刊60周年 240号(1955年結成)

 編集発行人の村田正夫氏がご健在の頃、私が長野県佐久市岩村田で詩を書いていることを何かでお知りになって、雑誌を送っていただいたことがある。交流が途絶えていましたが、昨年より奥様が送ってくださいます。同人には存じ上げている方が何人かおられます。鈴木茂夫さんが書評時評。雑誌評は勝嶋啓太さん。特集は「魔」。2段組で、それぞれの主題に沿ってじっくり書き込んでいるというのが、この雑誌の書き手の印象です。
雑誌の表紙写真、見返しの写真は「福島の汚染土の黒い袋」です。以前からtwitterなどでこの「黒い袋」を見てきました。1袋の容量1トンということです。積み重なって借り置き場に置かれて、袋が破けていくと、汚染は除去されないのは誰の目にも明らか。絶望の黒い袋。近くに民家がある。放射能は高いはずと思うのですが。

4.『榛名団』13号冬号

群馬県の富沢智さんが編集発行する。連載エッセイは木村和夫さんの「萩原朔太郎の作品と共に」連載6.敷島公園のことが書かれている。現在は薔薇園と聞いている。行ってみたい。川端進さんの「あの時の朝のような」を読む。昨年、『バッコスの唄』という個性的な詩集を発行されている。

5.『どうるかまら』2015年1月 17号

 発行人は、倉敷市の瀬崎祐さん。西日本の力のある詩人たちが結集している。タケイリエの若手から岡隆夫、秋山基夫や境節までバランスのとれた執筆人で、それぞれが読ませる。今回、秋山基夫は書いてはいないが。岡の「きゅうりのしる!」詩形を見るだけで楽しい。タケイリエの「遠い国」よい。誰とは挙げることなく、それぞれが、連の構成、1Pの紙の使い方も個性がある。用いている言葉の深さと多種類の意味のおもしろさ。このおもしろさが「現代詩」だと思う。詩のおもしろさをもっと伝えることだ。現代詩は難解などという、聞き飽きたし、言い尽くされた言葉を、詩の面白さで組み伏せてしまえばいいのだ。

6.『アダムサイト 27』

 三条市在住の横山徹也さんの個人誌。物理の元高校教師であったと記憶する。詩の言葉に無駄が無い。中上哲夫が寄稿している。群馬の詩人「富沢智」へのオマージュだが、これらの関係が私にはさっぱり理解できていないので、なんとも言えない。横山徹也の作品が5篇。中綴じの自家製本で、シンプルであるがなかなかの出来栄えの16P.

7.『街景』第三号

 台東区在住の長谷川忍さんの個人誌。表紙の裏側に長谷川さんの描いた風景画。中綴じでカラー写真は長谷川さん。カットは丸山あつしさん。編集後記まで13Pですが、妥協のない、しっかりとまとまった雑誌。
詩作品2篇と、連載エッセイ③は、永井荷風の随筆のことを書いている。「永井荷風の歩いた街」で、「深川の散歩」、「寺じまの記」、「方水路」のことが、ゆったりとした語り口で書かれている。永井荷風の『断腸停日乗』は、永井荷風の日記で、1917年9月16日から、死の前日の1959年4月29日までの、日本の激動期の世相とそれらに対する批判が書かれているものです。読み物として、近代史の資料としても興味深いものです。
作品「かわき」より。「はじめに/水があった。/睦み合う時も/交わり合う時も/対峙し合う時も/赦し合う時も/憎しみ合う時も/傍らには/流れがあった。//」編集後記に「今号は、水を背景にした詩を選んでみた」ということで、荷風の随筆を辿ったエッセイも水の周辺となっている。

8.『駆動』第74号

 飯島幸子さんが発行人。同人は多くが都内在住の方々で、存じ上げているお名前は2人。表紙絵を描いていた画家が逝去したと後書きにある。年齢の高い同人の雑誌。30Pに金井光子さんの「生きる」という作品がある。「百三歳の誕生日を迎えられた/新老人会の会長/(省略)会長の笑みのポスターを近くにおいて/いつも眺めていると/あと十年は生きられるだろう…と/生きる勇気が湧いてきた」

9.『風都市』第28号

 倉敷在住の瀬崎祐さんの個人誌。瀬崎さんの作品が2篇。ゲストは森山恵さん。森山さんの「道、歩く人―エル・カミーノ」がとても素敵だ。昨年、彼女は父親と聖地を巡礼した。そして無事に帰国した。「祈っていてください」という手紙、「あなたのことも祈ります」という手紙。そんな心優しい彼女だった。作品は、ツェランから引いた詩句が、示されているが、その詩句に重ねられた、聖地巡礼のひとあしひとあしが、悲しくて美しい。(茨は(傷口を求め この詩句が痛くしみてくるのだった。そして、やわらかな黄色のエニシダが(エニシダのかがよい、黄色く、崖は(空にむけて膿を流す、

10.季刊『びーぐる』第26号

 特集は「詩とエロス」。アンケートには、編集の山田氏まで27人の詩人が解答してそれぞれに頷かされる。小島きみ子の文章は30P.にあります。新作詩がすばらしく良いので、タイトルを挙げておきます。林美佐子「ユリの花」、野村喜和夫「ヒメのヒーメン」、四元康祐「M」、高階杞一「先生の花」、小池昌代「伝説」。詩人の個性とは、かようにも豊かなものかと感心するくらいにそれぞれの言葉や、詩の誕生する場所の土壌が豊かで深いのだ。


11.詩誌『侃侃』23号

 詩作品、エッセイ、田島安江さんの書評による、101Pの雑誌。定型封筒に入る大きさ。巻頭の山村英治さんの「からんころん」は最初が行わけ、3~11行の散文。と使い分けながら、詩情がある。船田崇さんの「ぼんぼん峠」はリズミカルで多少饒舌です。赤鬼や青鬼はすでに使い古されてはいるが、飽きずに最後まで読ませまるのは、力でしょう。食べたり食べられたりした詩の鬼の技。

 12. 『hotel第2章』 no.35

 詩作品13篇。実力の大人の詩人たちの作品を堪能できる。海埜今日子さん、森山恵さんが、ここでも新詩集発行後の詩篇を発表していて「書けるという力」を示している。詩集評は根元明、川江一二三さんが「海埜今日子詩集」「伊藤浩子詩集」について書いています。「すぴんくす」の書評とあわせて読むと興味深いかと。私もこの詩集の書評は、「詩と思想」12月号で書いています。

13. 『すぴんくす』vol.22

 佐伯多美子・海埜今日子さんによる2人誌。ゲストの木村裕氏が、作品と海埜今日子詩集評を寄せている。海埜今日子詩集『かわほりさん』の違う角度の評を読んだ。「意味の焦点を結ばない」フォークロア。よい感じ方だと思った。海埜今日子の詩から感じる「感覚」は、自然を通って人間の内側で、人工の物にしているからだ。

14. 『詩遊』No.45

 昨年、後半からお送りいただいている雑誌。私は、この雑誌の表紙画のファンです。ここに書いている人々は、大阪文学学校で学んだ人々と聞いています。2段組の紙面構成ですが、下の段は上の段の三分の一ですが、下の段に良い作品もあります。『詩遊』の誌名が示すように、あまり肩の凝るようなものはありません。心の中に沸き起こった「しごころ」を自由闊達に解き放っているなあ、と思う。それでいいと思います。下の段に書かれた林美佐子さんの『この村』は、いい詩だなと思いました。「全てが書き割だったと知りました」私も同じ思いをしたことがある。

15. ドルフィン創刊号

 広瀬弓さんとカニエ・ナハさんの2人誌、創刊おめでとう。お2人は「現代詩手帖」投稿の同級生ということです。投稿とは、こういうことが大切かな。入選○○回です、ということよりも、そこでであった選者や詩友と、あらたな展開をしていくこと。そうした「行為」が大切と思います。作品は、カニエさんが3、広瀬さんが2.カニエさんの「h.k.i」を興味深く読んだ。最終連「せかいよ/今日私は/どれだけあなたの苦しみを苦しめたか」h.k.iとは破壊だろうか。現在の世界の苦しみは、破壊的で絶望的だ。広瀬さんの作品は、タイトルだけでいろいろな想像世界へ連れていかれる。「土墳の丘」 「なす、月、詩人」。「土墳の丘」は、「賽の神」を訊ね歩く。土まんじゅうを畑の人に指さされるのだが、古地図は見えなくなって「賽の神」は行方不明というもの。土の底を探すのはなぜかわからないが、「埋められたものの名前」が道路工事によって見えなくなるとき、見たくなる名前かもしれない。

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