高塚謙太郎・新詩集「Sound &
color」(七月堂)
詩集タイトルが「Sound &
color」であるのに、タイトル詩はなくて、本文の内容にも英文は出てこない。裏から始る目次の次に、本人からの9行のメッセージがある。「言葉がもつ幾重もの意味の層が常に揺れ続けることで色がひろがり、私たちの脳である種のリズムが生まれてくることも確かで、韻律といった場合、単なる音韻上のリズムをさすわけではなさそうです。」とあり、タイトルは彼の詩の思想〈幾重もの意味の層が常に揺れ続けることで色がひろがり〉を現した文字と意味なのだろう。
それにしても、本文の前の扉には「やすらいはなや/やすらいはなや」とある。これは、なんだろう。検索すると、「やすらい祭(やすらいまつり)は、京都市北区で行われる祭の一つである。特に、今宮神社で行われる大祭として知られる。踊りを奉納する。桜の花を背景に神前へ向かい、激しく飛び跳ねるように、そしてまた緩やかに、「やすらい花や」の声に合わせて踊る。」とある。これから始る日本語の平仮名詩四十一篇の前に「やすらいはなや/やすらいはなや」と掛け声をかけて始る詩集。なんとも、古い時代に死んだ人々が飛び跳ねてこちらがわへ蘇ってくるようではないか。
それなのに、表紙画は電車のつり革がぶらさがり、明るい黄土色の日差しが射している。どんな、声がこちらがわへ蘇り、どんな声があちらがわへ行こうとしているのか。詩集全体に充ちているのは、日本語の平仮名の柔らかさと、哀切である。それは、愁いと述べてもよく、桜の花が散るのを惜しむような、古い時代からの憂愁という感情だと思う。
人は死ぬ、戦争が始って戦地で命を落とさなくても必ず死ぬ運命にあるのが、人の命というもの。だからこそ、「すこしくちびるをとがらすだけで/あなたはわたしにあたたかい/あたたかい戦争が終わりなく窓からまどへ/つたっていったさきに本がとじられる/もうよむものなどどこにもない/こんな安楽なこともない/こころやすらかにわたしたちは/しあわせにのびおよんでいる気ぶんで/いまあなたからくちびるをはなす(わたしたちはのびている)」のだろう。〈しあわせにのびおよんでいる気ぶん〉という感情には、必ずやってくる死の意味に立ったうえでの、生きることをやり過ごす日常の、人間のやるせなさの言葉の芯が現されているし、その奥底に隠されているのは、現実の日本社会への批判があると私は感じる。
政治的な言葉で批評するのではなくて、作品「わたしは本ののどになりたい」で書いているように、「書くという血」が「書くという知」を動かして、愚かさを「ころすためにうごく」という、そんな現代詩を書く詩人でありたいと思う。もう少し、時間をおいて纏まった詩集評を書きたいと思う。この国の平和と安全を、作品「かみさま」みたいに、芽吹かせていきたいものです。
人は死ぬ、戦争が始って戦地で命を落とさなくても必ず死ぬ運命にあるのが、人の命というもの。だからこそ、「すこしくちびるをとがらすだけで/あなたはわたしにあたたかい/あたたかい戦争が終わりなく窓からまどへ/つたっていったさきに本がとじられる/もうよむものなどどこにもない/こんな安楽なこともない/こころやすらかにわたしたちは/しあわせにのびおよんでいる気ぶんで/いまあなたからくちびるをはなす(わたしたちはのびている)」のだろう。〈しあわせにのびおよんでいる気ぶん〉という感情には、必ずやってくる死の意味に立ったうえでの、生きることをやり過ごす日常の、人間のやるせなさの言葉の芯が現されているし、その奥底に隠されているのは、現実の日本社会への批判があると私は感じる。
政治的な言葉で批評するのではなくて、作品「わたしは本ののどになりたい」で書いているように、「書くという血」が「書くという知」を動かして、愚かさを「ころすためにうごく」という、そんな現代詩を書く詩人でありたいと思う。もう少し、時間をおいて纏まった詩集評を書きたいと思う。この国の平和と安全を、作品「かみさま」みたいに、芽吹かせていきたいものです。
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