(エウメニデス35号より転載)Lesson
さて、一つの方法としてわたしは水底を求めた。
水はわたしを引いて道を開けた。Ekstaseだった。何故ならそれは(わたしはわたしじしんからぬけだす)というギリシャ語のexistamaiに由来するので。
淵、ではわたしより先に来ていたバロツク的な装いの「方」がいらしたのでフロイト的サイコセラピー的な自己紹介をしなくてはならなかった。
(現実の破壊と生の起源とは無への帰還でしたので。)その「方」は(フーン)と言った。
閉じていた二枚の頭の翼を広げながらここでの過ごし方として、琴の音が聞こえても上昇してはいけないと念をおされたそれは精霊に恋をすると再びの死を遣りなおさなくてはならないのだという。
もはや。外部ではなく世界の内部だった。それを忘れたらわたしはこの世からもあの世からも消えて無くなるのだ。
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