(mama)
けざやかな、光の舌を背中に感じる金曜日。ラナンキュラスの羽毛が舞い上がる、冬の幻。言葉の震えのように啓かれていく、あなたに啄ばまれた背中のGaze
《すみれいろの空だね》小鳥の声が、投げkissのように目に沁みるのは、病院の屋上から手を振るあなたの声が、聞こえてくるように感じるから。
白衣のうえを、翻るGazeのうえを、点々と飛んで、屋上から手を振る(mama)《ここから見送るから》手を振るあなたに手を振りながら、その夜に逝いたあなた。あなたの兄も、姉も、あなたと同じ病気でしたね(mama)桐の花が咲いたよ(mama)あたらしい糸を染めなくていいの?
夢のなかで糸を紡ぐあなた、機を織るあなた、一本の糸であなた自身を縫い上げた(mama)若いあなたを夢中にさせたもの。白い蚕たちが蛹をめざして透明に変体する、めくるめく夏の真昼。だれに知られることもなく、草のなかを歩く時は重なる罠のようだった指。指は、鳥の言葉で、二人の足に絡む草を結んだ。それは、創造される無限の網目のように、わたしたちの未来の、時間をも絡めとった。
《約束》という記憶。《約束》だよ、じゃんけんに負けたら、ずっと僕についてくるって。(ずっと僕についてくるって…)そんな《約束》をしたのは、勿忘草の咲く小川のほとり。そして、その人は。丘の上に立つサナトリウムの、白い林檎の花が咲く季節に。飛び交う紋白蝶のように、紋白蝶のように。この林檎の丘を白くまぶしく飛んで、それっきりでした。
なぎ倒された野の花の草いきれ。セピアいろの、無限の網目のなかへ落ちていったとき、窓ガラスに張り付いていた、黄色い鳥の羽。
あれは、鳥の王の墓に零れていた、ラナンキュラスの羽毛。鳥のことば。言語の網の目の《記憶》。樹の虚(うろ)の衷から、琥珀いろの慕わしい声でわたしを呼ぶのは、だれ? たくさんの鳥の声が、
聞こえるのは誰かを弔うため? 凍える、そらの震えが、冬のポプラにとどくとき、喪屋で眠るあなたの魂に新しい産着を着せる。great chain of beingの指の先。けざやかな、光の舌が背中のGazeを剥がす、羽毛の皮膚をそよがせる冬のまぼろし。うつくしい、千年の沈黙が、わたしの背中の羽毛を発情させる。(mama)わたしたちの子どもが生まれるためには、だれかが死ななくてはならなかったのですか。たとえそれがあなたであったとしても、わたしたちは愛し合わずにはいられなかった。
暁の、つる薔薇が匂う庭に、黄色の羽根を、徴のように落として行った(mama)鳥の遊びの日。奇蹟は、あなたを、再生するために。わたしはあなたを、わたしの子どもとして孕んだのですね。二人の足に絡む草を結んだ、great chain of beingの指の先。あなたがわたしにしかけた罠。言葉の震えのように啓かれていく、一枚のGaze白い林檎の花が咲く季節に、飛び交う紋白蝶のように。紋白蝶のように。
注)1.ガーゼ(ドイツ語: Gaze、英語: gauze)とは、細い木綿糸(コットン)を漂白して目の粗い平織りにした柔かい布[1][2]。古典的な創傷被覆材[3]。日本では綿紗(めんしゃ)とも呼ばれる。通気性に富み、吸湿性も良いので、汗のほか、手術時に血液を吸収させるのに用いられる。
注)2.(mama)という作品は、詩集『天使の羽はこぼれてくる』2008年。私家版。モデルは、亡母の姉です。母とお見舞いに行き、また来るねと病室を出て、ふと振り返と空から声が聞こえてくる、なんと屋上で叔母が手を振っているのです。
屋上には、たくさんの繃帯が洗濯して干してあり、風に翻っていました。幅の広い長い繃帯で、あれはいったいどんな患者に使ったのだろう。ナースの見習いは、ナースセンターに行くと、洗濯した繃帯の繃帯巻で忙しかったですよ。良く、そんな光景を見ました。叔母は、骨折して入院していました。よい、思い出です。
うぐいすの里からアケロンの川を渡って|小島きみ子
ポプラの並木を通るとき、激しい息苦しさに襲われるのは、そのためだったとでも言うように、あの日あなたの横顔に絶叫した。あなたの横顔は、中世の芸術家が彫刻したその石の像のように、お母様が膝の上に抱いていたその人だったからです。わたしの髪はあなたの足に注いだ香油を拭うほどに長くなりましたがあなたはもはや変容を遂げたあとでした。
思えばそこは、うぐいすの里でした。シロツメクサ、すみれ、すみれ、たんぽぽ、レースフラワー、しろいモクレンの道が見えてきました。昔、カラオケボックスがあった廃ビルの角に卯の花が咲いていると教えられていましたが、ほんとうにありました。あとはなんの草かわからない青紫の草が眼の高さで繁っていました。そこを曲がって。
この道でよかったのですか。どうしていとも容易くあのような言葉を信じてここまで来てしまったのか、庭のペチュニア・ヴィオラセラに黄色の蝶が何匹も来ていて、こんな光景を見るのは初めてでした。あなたの好きな花でしたから、きっと何かの前触れかもしれないという予感がしていました。
いつかの今頃でした。午睡から覚めると葡萄の甘い香りが漂っていて、あなたはふざけて《きょうは死ぬのにもってこいの日》と言いましたね。あれから、わたしたちの間に成就された出来事を、物語に書き連ねようと思いましたが手を着けることができませんでした。今年の二百十日が過ぎてからどうしてもそれを遣り遂げようと思うようになりました。その二日後に、秋の風に戦ぐポプラの並木であなたの美しい葡萄色の瞳に出会ったからです。わたしは驚いて車を徐行させました。懐かしいあなたの胴体から上が歩いていたのですから。名前を呼ぼうとしたのですが、あなたの名前は岩石のような、辺境の地にあったお堂のような名前でしたから、それは長たらしく珍しいもので直ぐに声にはならなかったのです。すでにあの頃から灰色の髪のあなたは、信号で止まった私の車の前を他人の相貌をして行き過ぎました。言葉もなく涙が零れ落ちましたが、もはやわたしには涙を拭う指先が欠落していました。
この手紙が、旧いあなたのアドレスを辿ってメールボックスまで送信されるのかどうかもわかりません。けれども書かなくてはなりません。昨日、「ラズベリーの丘」であなたのお母様が生命維持ボックスから削除されました。もう生命保存延長保証期限を二週間も過ぎていましたから、何も残ってはいないのですが、あなたに宛てた手紙が記憶保存ケースのなかに残留物としてあります。これもあと一時間後には溶解されます。今や、麗しい太古的残滓であった有機物の生命連鎖の記憶は削除され続けるのです。宇宙の書誌に記憶される一行の番号のみ。それにしてもあなたは、いつ帰還したのですか。邦の偉大な存在であったお母様は歴史のあらゆる文脈から削除されました。
なぜ、あなたは「ラズベリーの丘」のあの墓所の近くにいたのでしょうか。あなたが傭兵として志願した日、わたしの身体の中であなたの子どもはまだ幼芽のような存在でした。神の言(げん)を伝えに来たのはあの五匹の光かがやく黄色の蝶でした。彼らの金色の触覚がわたしの左脳に御言(みこと)を伝えました。それを誰が信じたでしょうか。子どもは不思議でした。何の外皮も纏わずに植物のように生まれたのに、だんだんと身体の付属物が増えていきました。わたしたちとは、反対の方向で育っていきました。育つ、懐かしい言葉ですね。かつては生命のある有機物のすべてに被せられた言葉だったのですから。
わたしは、彼が十三歳になるまでは生存することができます。明日の正午です。あなたが、地球を襲う悪魔との戦いに挑んでくれたことの邦からの報償です。わたしのスピリットはその後も完全に喪失されはしないけれど、子どもが人間としての完全なプロポーションを保持したときには、邦をコントロールするエネルギーがわたしを喪失させるでしょう。あなたのお母様と同じように、わたしは無になる。この手紙を書くことでやっと思い出しました。あなたが絶望のなかで選んだ唯一の希望を。夏が逝き、北の空に鳶の群れがやってくるとき、あなたは風に戦ぐポプラになると言いました。それがあなたの望みだった。母の骨のうえに僕を被せてくれないか、とあなたは言いました。それはあなたの本当でした。成就とは、のちの世の悲劇を回避するために、いまのこの世の悲劇を最期まで遣りぬくことでした。(テバイの王のように?(いいえ。(ルメによる福音書の詩の形にも似て記されている詩句のように。(あした生まれるであろうラズベリーの丘に住むきみ(きみは希望の光、暗黒と死の陰とに住む者を照し、わたしたちの足を平和の道へ導く(きみは穏やかに成長し、ふたたび母が現れる日まで、荒野にいるだろう
わかりません。ここからどこへ行こうとしているのか。深い草が暗い川のように続いて、まるでアケロンの川のようなのです。けれども私の罪はなんでしょうか。ここからどうしても草の川を渡って、そうです帰るのです。あなたの「無」を遣り通すために帰るのです。耳元でそのときウグイスが鳴きました。「ヤブコギ」と。そうです、くらいくらい草の川を泳ぐように漕ぎました。わたしを照らす光が見えました。戻れると思いました。わたしの血流のうえを草が戦ぎました。廃ビルの角に卯の花が白く咲いていました。しろいモクレンの道が見えてきました。そしてシロツメクサ、すみれ、すみれ、たんぽぽ、レースフラワー、この道を渡れば戻れます。メールボックスにあなたからの手紙が届いていました。きょうからあなたの「無」を遣り通すための永遠の「喪」が始まるのです。
愛するヴィオラセラ。僕を思い出してくれたのだね。ありがとう。「ラ ペニュルティエーム」。最後から二番目の音節に何の意味があるのでしょう。君と出会ってから今日までの、言葉の誕生と死を、その生を考えています。僕たちの言葉は、どこから来てどこへ行くのでしょうか。僕たちの愛は、確かに言葉の羽根が軽く脳髄の楽器に触れる「無」の音に過ぎないのでしょう。未知の微妙な声に過ぎないのでしょう。けれどもそのかすかな書跡こそが、人と言葉の軌跡であり、君と別れて死す僕はなお詩句の中に生まれ、死に続けるのです。今も僕ときみの間で「ラ ペニュルティエーム」として輪廻転生しているのです。愛するヴィオラセラ、いま僕は風に戦ぐポプラとなったのだよ。
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