2017年詩誌「エウメニデス」書評より転載。
八重洋一郎詩集『日毒』について
2017年4月2日発行。コールサック社。
石垣島の詩人・八重洋一郎の詩集が届いた。真っ赤な表紙に黒い文字で「日毒」と血書されていた詩集だった。扉も裏表紙も血の海の赤だった。この国の空しくそらぞらしい、政治経済を批評することは、暗澹たる闇の深淵へ自分自身が突き落とされるように、八重洋一郎の詩集「日毒」を批評することは、そらぞらしい正義の知ったかぶりの言葉を書き連ねるに過ぎないように思う。詩集所収の「日毒」と「手文庫」の二編の作品を引用する。石垣島の地中深くに封印されたことばを、じっとり喉に写しとり沈黙の声を受け取りたい。
ある小さなグループでひそかにささやかれていた/言葉/たった一言で全てを表象する物凄い言葉/ひとはせっぱつまれば いや 己の意志を確実に/相手に伝えようと思えば/思いがけなく いやいや身体のずっとずっと奥から/そのものズバリである言葉を吐き出す/「日毒」/己の位置を正確に測りの対象の正体を底まで見破り一語で表す/これぞ シンボル//慶長の薩摩の侵入時にはさすがになかったが 明治の/琉球処分の前後からは確実にひそかにひそかに/ささやかれていた/言葉 私は/高祖父の書簡でそれを発見する そして/曾祖父の書簡でまたそれを発見する/大東亜戦争 太平洋戦争/三百万の日本人を死に追いやり/二千万人のアジア人をなぶり殺し それを/みな忘れるという/意志 意識的記憶喪失/そのおぞましさ えげつなさ そのどす黒い/狂気の恐怖 そして私は/確認する/まさしくこれこそ今の日本の闇黒をまるごと表象する一語/「日毒」
「日毒」という一語の凄まじさが何処から来るのかと、問うとそれは作品「手文庫」で明かにされる。祖母の父の「手文庫」から出てきた血書「日毒」であった。
その時すでに遅かったのだ/祖母の父は毎日毎日ゴーモンを受けていた/にわか造りの穴(ミィー)のある家/この島では見たこともないガッシリ組まれた/格子の中に入れられ/毎朝引きずり出されては/何かを言えと/迫られていた そしてそれは/みせしめに かり集められた島人たちに無理矢理/公開されていた 荒ムシロの上で/ハカマはただれ血に渇き 着衣はズタズタ/その日のゴーモンが過ぎると わずかな水と/食が許され その/弁当を 当時七歳の祖母が持って通っていたのだ/祖母の家は石の門から/玄関まで長門(ながじょう)と呼ばれる細路が続いていたが/その奥はいつも暗く鎖され/世間とのあれこれはすべて七歳の童女がつとめた・・・/こんな話を 祖母は 全く/ものの分からない小さなわたしにぶつぶつぶつぶつつぶやき語った//祖母の父は長い厳しい拘禁の末 釈放されたが/静かな静かな白い狂人として世を了えたという/幾年もの後 廃屋となったその家を/取り壊した際/祖母の父の居室であった地中深くから ボロボロの/手文庫が見つかり その中には/紙魚に食われ湿気に汚れ 今にも崩れ落ちそうな/茶褐色の色紙が一枚「日毒」と血書されていたという
人を人とも思わぬものの所業は、すでに人を失ったものの仕業。知と愛を取り戻すために現代詩の詩法はあると思う。言霊を錬成してゆきたいと思う。
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