2019年12月3日火曜日

噴水と私

画像

噴水の画像は、twitterのフォロワーさんである、「ゆたりやの亭主

@yasumine0318」 さんにお借りしました。ありがとうございました。


噴水と私
  


ひと夏を、詩を書くために噴水の水を見飽きるほど見ていたことがある。
それは、フランスの作曲家モーリス・ラヴェルがパリ音楽院在学中の一九〇一年に作曲したピアノ曲《水の戯れ》の煌く水を、詩で顕したいと思ったからだった。


ラヴェルの曲では、「亡き王女のためのパヴァーヌ」も好きだけれども、ラヴェル独自の作風へと昇華するきっかけとなった作品といわれている《水の戯れ》をピアノ曲と、現実の水の戯れを、夏の詩の中に書いてみたいと思った。


《水の戯れ》は、リストの「エステ荘の噴水」が、下敷きになっているといわれている。リストの「エステ荘の噴水」も聴いてみなくてはならない。
そんなわけで、ある夏の夏休みは、ピアノ曲を聴きながら過ごした。


ピアノという楽器の特徴と演奏法についての文献も読んでみた。
ラヴェルはピアノがあまり上手くなかったとされているようだが、ピアニストになれるほどではなかったということであって、ピアノ演奏のレベルが低かったわけではないという。


それで、とても興味深かったことは、「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、弾きながら楽譜を書いているが、《水の戯れ》は、弾きながら書いていないということです。
それは、弾きながら書くときに現われる手癖というものが無いということなのです。



ピアノという楽器を弾きながら楽譜を書くことは、イメージを遠く飛ばすが、そういう部分がなく、単純な和声進行の部分が多い、けれども、噴水の水の上がるさま、落下するときの光の煌きは、単純な繰返しゆえに水の軽やかさが見事に表現されていると思う。







2019年11月30日土曜日

初冬のスワッグ他の写真


初冬のスワッグ
素材:アケビの蔓。ヘクソカズラノ蔓。野茨の枝。ノリウツギの枝。綿の花。




冬薔薇。レオナルド・ダ・ヴィンチ。15個咲いています。
葉っぱはもう冬の霜が降りて傷んでいます。





(1)黄色の小菊が霜が降りてオレンジ色の寒菊に変化。
とても美しいです。





(2)




冬のタンポポ
秋からたくさん咲きました。たくさんの綿毛の種子を飛ばしました。




美しく紅葉した眩しい花楓。
風で散ってゆくので、もうじき終わります。




南天が色づいてきました。





今年最後のルバーブ収穫。
天候が不順で弱ってしまったルバーブ。
なかなか収穫できませんでした。





美しい秋の葉っぱ
ギンドロ。




美しい秋の葉っぱ






蔦の葉で、デザインする。









モクセイ科のヒイラギが白い花をつけていました。
傍を通ると良い香りがしますよ。





















11月29日までに到着している詩誌詩集




1129日までに到着している詩誌
Zero」第13号、「揺籃」第16号、「千年樹」第80号、「アンブロシア」第49号。ご送付ありがとうございました。誌名を記して御礼とします。



朝倉宏哉『叫び』(砂子屋書房)|
詩として差し出している作品の言葉がとても良く伝わる本です。後書きを読むと「千葉市詩話会に初出し、会員の鑑賞、批評を仰いだものである」とあります。合評会での切磋琢磨の批評によって到達した部分もあると思いますが、重くなく、軽くなく、やわらかく言葉がこちらがわへ手渡されます。44P,「こころの姿」から。「こころが折れる と言う/ こころは棒のようなものなのか/折れるとき/ぼぎっと音をたてるだろうか/どのようにして復元するのだろう(省略)」








越路美代子『あしあとの海辺』文化企画アオサギ
@gdJ8qJQSAavNm9G
 |「ユビキリ ゲンマン/イッショニ マタ/出逢イマショウ/おお/記憶と 言う/〈Magie )!」48P.「昼さがり」より|やさしい音楽の調べが言葉と言葉の行間に奏でられています。*Magie は、仏語で「魔法」の意。



2019年11月27日水曜日

「僕らの罪と/秘密」


4年前に公開した詩篇「僕らの罪と/秘密」。2018年に制作した詩集『僕らの「罪と/秘密」でできた金属の本』と斜線の引き方が違う。どうして変更したのかは、まったく思いだすことができません。精神と心理は、専門家では無いので知識がありませんから、「わたしじしん」を、「わたしが」見つめ直すしか方法が無い。興味深いなあ、私の内部に存在する「あなた」とは、20151127日に感じて見ていた、「私の内部に存在する」ものが「あなた」という「あなた」とは輪郭を変えているのだ。私の内部とは違う、「あなたの内部」では新しい感情が生成されている。それは、言葉を裏切るものへの怒りです。怒りを、言語意識に高めていきたい。そうでなければ、言葉を素材にして現代詩創作の現場いるものの存在が危機的そのものになると思う。




僕らの罪と/秘密         小島きみ子
今や、恐るべき虚無と絶望の芸術の時代が始まるのです。
私の内部に存在するあなたとは誰か。なぜ存在があって、無があるのではないのか? なぜ私の知っていることがあるのか? という問いを発してみようと思う。ジル・ドゥルーズでは、人間=男であることの恥ずかしさ―この生成変化は、彼女がその権利を主張することもできよう状態とは何の関係もない、と言うのです。眼差しで殺すことが出来たら、眼差しで妊ませることができたら。道路は死体と妊婦でいっぱいになるはずだ。と言ったのはヴァレリーでしたね。
彼は、脳に水を溜めたまま絶食をして逝った。
列島はもはや盲目の暗闇にすぎない。昼夜の区切りのない破廉恥な社会であり、市民全員が白痴とみなされ、日常的絶望は曲がりくねった時間に呑まれ、世界の暗黒ユーモア詩集は、移ろいゆく相のもと、仮装の森の美術館「罪と/秘密」の木の下に展示されているという手紙をくれたのでした。
僕の言葉は、もはや僕だけのものではありません。
今の僕は死後であり、あらゆる空間に空気のように入り込んでいく純粋な原子番号38状態です。僕は、すべての人の言葉を持っていて、ロランバルトがテキストの快楽で述べたように、同一の位置に局在する二重の機能を合わせて成立するひとつの違反活動を想像してみてください。しばらく待っていてください。僕はもうじき今夜にもあなたの傍に局在します。
あなたが指摘した僕のプラトン的微笑み。
それは、幼年時代の思い出の映画の横顔でした。あのシラノドベルジュラックの「必然性」なるものは、常にモンマルトルの、常にアポステリオリのレモネードでした。僕にとって、あなたと僕の、舌と襞は、僕らが愛した、あの猫とこの猫とその猫の野獣の舌でした。純粋と、瞬間的の永遠の熱狂へと、連鎖する夜の百合の舌でした。旧い手紙の断片を紐解いて、罪と秘密を解き明かし、夜を語りあかし、真珠色の沼地へと封印されるのです。
複数の人称を持つあなたと僕の層、膜。
自ら受胎し生育する僕の内に潜むあなたを、再びあなたの層へ。あなたと僕の(受精卵)という膜を突き抜けて。必然的な物語として、精神脳髄意識に存在する虚無と絶望の層。僕らが、今もなお死に続けていることへの、永遠の愛という喪の始まりは、僕らの罪と/秘密。

Lesson (エウメニデス35号)


画像に含まれている可能性があるもの:空、雲、木、屋外、自然




(エウメニデス
35号より転載)Lesson 




 さて、一つの方法としてわたしは水底を求めた。

水はわたしを引いて道を開けた。Ekstaseだった。何故ならそれは(わたしはわたしじしんからぬけだす)というギリシャ語のexistamaiに由来するので。

淵、ではわたしより先に来ていたバロツク的な装いの「方」がいらしたのでフロイト的サイコセラピー的な自己紹介をしなくてはならなかった。

(現実の破壊と生の起源とは無への帰還でしたので。)その「方」は(フーン)と言った。

閉じていた二枚の頭の翼を広げながらここでの過ごし方として、琴の音が聞こえても上昇してはいけないと念をおされたそれは精霊に恋をすると再びの死を遣りなおさなくてはならないのだという。

もはや。外部ではなく世界の内部だった。それを忘れたらわたしはこの世からもあの世からも消えて無くなるのだ。

2019年11月24日日曜日

自転車にのるクラリモンド|石原吉郎


石原吉郎のことを地元紙が特集を組んで連載したのはいつだったのかなと調べてみると、2009年だったらしい。そのときの新聞からのコピーです。シベリア抑留生活は想像を絶するものですが、ここにあるのは、ママレードには愛。〈ものがたりがはじまった/町には空が/空にはリボンが/リボンの下には/クラリモンドが〉と、愛はうつくしいな。

自転車にのるクラリモンド|石原吉郎(文章くらぶ195512月)


自転車にのるクラリモンドよ
目をつぶれ
自転車にのるクラリモンドの
肩にのる白い記憶よ
目をつぶれ
クラリモンドの肩のうえの
記憶のなかのクラリモンドよ
目をつぶれ
 目をつぶれ
 シャワのような
 記憶のなかの
 赤とみどりの
 とんぼがえり
 顔には耳が
 手には指が
 町には記憶が
 ママレードには愛が
 
そうして目をつぶった
ものがたりがはじまった
 
 自転車にのるクラリモンドの
 自転車のうえのクラリモンド
 幸福なクラリモンドの
 幸福のなかのクラリモンド
そうして目をつぶった
ものがたりがはじまった
町には空が
空にはリボンが
リボンの下には
クラリモンドが

2019年11月23日土曜日

星に呼ばれて










星に呼ばれて

星の声が落ちてきました 
見えてしまう人には見えてしまうのでしょうか 
あなたによばれて 母によばれて 
湖に出て小舟をこぎました


小舟を降りて 
湖のほとりを 
あなたとの思い出の 
白いアルバムを抱えて歩いて行くと 
母はもう準備をしていたのでした 
わたしの長男が生まれて 
ひとつきが過ぎたので 
お宮参りに行くと言うのです
子どもに着せる 
水色のベビードレスと 
わたしが着る 
夏の着物を 
桐の箪笥の前に出して選んでいたのです 


私の姿を見つけると 
すぐに母は「お風呂に入れなくちゃ」と言うのです 
子どもはまだとても小さいので 
新米ママのわたし一人で世話ができそうです
子どもに 
産着を着せて 
藤籠に下ろすと 
もう寝息をたてている 
庭に落ちる樹木の翳が濃くなると 
さっきまで世話をやいていた母が 
それらの翳のなかに入っていく 
の葉の翳よりも小さくなった母が青い闇のなかで息をする


 
「七五三はどうするの?」
「まださきだから」
「それまで生きていられるの?」
「だいじょうぶだから」
「そう?」
「そうよ」


とおくで大きくなった息子の声がする 
ママ、ママ! 
ああ おかあさん 
わたしたちはだいじょうぶだから 
ここで、待っていて 


《暖かい布のように 私は夜を身にまといたい
その白い星と その灰色の呪いとともに
昼の鴉を追い払う そのたなびく先端と
孤独な沼沼で湿った その霧の総飾りとともに》
    (ゲルトルート・コルマル・「変身」より)