風と光と詩論の場所
2024年8月29日木曜日
あなたの手の影
2021年10月9日土曜日
横浜の詩人・下川敏明さんより詩集『楽園のふたり』をFB,で紹介して頂きました。
2021年8月25日水曜日
大阪の詩人・今野和代氏のFB.投稿記事転載しました。
2021年8月23日月曜日
詩集『楽園のふたり』柴田望(詩誌「フラジャイル」発行人) 批評文 転載しました。
2021年6月19日土曜日
「山鳥の」花と斎藤秀雄さんの俳句とのコラボレーション
「山鳥の」花と斎藤秀雄さんの俳句とのコラボレーション
額にいれました。
山頭火に「だまって あそぶ 鳥の一羽が 花の中」という句があります。私の誕生鳥ヤマドリと、春の押花額をいくつか制作してきました。ヤマドリは、春の季語。俳句をされている、斎藤秀雄さんの山鳥の句と押花を纏めました。4つ作っていただいたのですが、「山鳥が写真の枝を踏みにけり」「山鳥の廊下がうすく見えてくる」の句で、押花の画面を作りました。
斎藤秀雄さんの句「山鳥の」
山鳥の目の高さから生まれくる
山鳥の深さの闇へ手を入れる
山鳥が写真の枝を踏みにけり
山鳥の廊下がうすく見えてくる
2021年6月1日火曜日
花と短詩のコラボレーション
春の思いでの、Pansy押花、Viola押花の作品と、twitter.のお友達、天野行雄さん、斎藤秀雄さん、白島真さん、鳥見 徒躬於さんと「花と短詩・俳句」のコラボレーションをしました。お立寄りください。
高原より
●スミレ熱強の狂熱のスミレ咲く小径を スミレの名を呼びながら 独り歩いて来た
●ビオラソロリア アロエの鉢に混ざって発芽して雪の日も咲き続けた あなたが此の場所に居たので 憎しみと悲しみの純愛の愛の変容を知った 最後の春だったBlue.と名乗った人よ
●押花の作品とコラボレーションしました。
規定は、百文字程度。4行程度で。
個展会場が見つかれば、テキストも飾りたいので、短めの詩、俳句をお願いしました。
1番の押花赤い部屋のヤマドリ。
2番桃色と黄色の部屋のヤマドリ。
3番橙色と黄色の部屋のヤマドリ。
●ヤマドリは5月1日生まれの私の誕生鳥です。ハンコをtwitterのフォロワーさんに制作していただきました。花の中にいる、鳥のイメージで押花を制作しています。本当は個展を開きたいのですが、web.で公開しつつ、先ず詩と歌とコラボします。押花には、小島きみ子の作品タイトルを付けていますが、自由に変えてください。
1番 赤い部屋のヤマドリ
●天野行雄さん
3番のフラワーアートとのコラボレーション
「 水源より 」
物言わぬひとつの地平にボクを関連づける
森の水源から所有の徴を載せた笹舟を放つ
不思議を負うヤマドリはパンジーを届けに来たよ
空といのちを飾るものたちを繕って土曜日を流れる
3番のフラワーアートとのコラボレーション
「山鳥の」
山鳥の目の高さから生まれくる
山鳥の深さの闇へ手を入れる
山鳥が写真の枝を踏みにけり
山鳥の廊下がうすく見えてくる
●白島真さん
1番のフラワーアート作品とのコラボレーション
「赤い部屋のヤマドリ」
花びらを吸うと憶いだす
生と死のうらおもて ひりひり
大勢のなかの二人きり
ヤマドリが歌う誕生歌
花のふくらみからこぼれ落ちる
しらしら
●鳥見 徒躬於さん
1番「赤い部屋のヤマドリ」
あの山鳥の尾羽のやうにわたくしの命もまた果テがないやうな氣がしてゐた若き日日にはただ鳥影を追ふのみのゆふぐれもあつた橋の上から川明りのなか塒に急ぐ鳥鳥のその黑い姿を數えてゐた鳥鳥はたれかのいのちの姿だと思うた
2番 「桃色と黄色の部屋のヤマドリ」 1行3文字詩
よるの
はての
とりの
こゑを
ひるの
すゑの
とりの
それに
かさね
あはせ
われの
なかに
つもる
こゑの
いみを
さとる
2021年3月25日木曜日
カボチャンの大冒険|詩人とは言語の巨人になることです。
子どもたちが小さかったころ、上の子が7歳くらいで下の子が保育園へ行っていたころ、とにかくこの二人を早く寝かしつけないと自分の勉強どころではなくて、空想御伽噺を作っては寝かしつけた。タイトルは「カボチャンの大冒険」。スイカなのだけれど、名前はカボチャンで、宇宙で生まれたカボチャンが何故か日本の山の谷から転がり落ちてきてさまざまな地球的経験をして宇宙へ帰るというお話。子どもたちには結構受けて、話しているうちに自分も一緒に寝てしまうこともしばしばだった。
言葉のセンスというものが、どのように作られるかは、幼児教育に多いに係ってくるものです。朝はこの二人にご飯を食べさせながら、「じゃ、お母さんはお仕事に行ってきますからね。」だった。そんなで、二人は、これから地球における「カボチャンの大冒険」が始まるのだ。
さて、「詩人」とはどういう人をいうのでしょう。
そして「詩」とはどういうものでしょうか。言語活動とはどのようなことをいうのでしょうか。どのような言語を選び取って社会活動をしていくか、どのような色彩言語を身に纏って自分をデザインしていくか、言語の輪郭とは人間の衷なる輪郭にほかならない。言語の外に立って言語の内を覗くとは、言語の無意識を意識に反転させることで、この現代の社会環境の社会言語の背景を表層の実相を纏いながら、深層のペルソナとどのようにレンジさせていくか。その言語の力を技として身につけたものが「詩人」と呼ばれるものに成っていくのだろう。詩人とは、言語の巨人になることだ。と、思うのです。自分ではとうていなれない大きな虚像を言っておきましょう。