2025年2月6日木曜日

書評 野村喜和夫『薄明のサウダージ』

書評 野村喜和夫『薄明のサウダージ』(書肆山田2019年5月20日発行) サウダージはポルトガル語および、ガリシア語の語彙の一つで、「saudade」と表記されます。ポルトガルでは正確には「サウダーデ」と発音し、「サウダージ」はブラジルで使われている発音です。サウダージには、一言では表せない複雑な意味が含まれています。郷愁、憧憬、思慕、切なさなどの意味を含んでいますが、それらの言葉はサウダージのほんの一部の意味しか表すことができません。サウダージはそれだけ多面的な意味を持つ言葉だといえます。戻れない過去や離れた相手に対する「寂しい、悲しい」という気持ちだけではなく、「懐かしい、楽しかった」なども含まれ、思い起こす気持ち全般を表します。この他にも、叶わないものに憧れる気持ちを表す場合もあり、その意味はこの言葉でしか表現できないとされています。 この詩集の詩篇のタイトルには総て括弧が付いています。私も最近の作品のタイトルは総て括弧を付けています。私の理由と、野村さんの理由は違うと思いますが、それは此処では述べません。「薄明」については、web検索するとご本の言葉があって、「薄明」が好きだからということが述べられていた。「サウダージ」につては、これも検索すると真理子夫人のブログがヒットして、複雑なニュアンスを持つポルトガル語であると述べられている。  扉には、タイトルの無い九行の詩が添えられています。天上から零れてきた、花びらのように美しく香りたかい。「もう遅い/狂ほしく茫々と/菫のミルクが立ちこめてくる/ような 薄明のひととき/惑乱を/さがす/手つき/を集めてわたくし/とせよ」 / 第一番(薄明を遊びつくせ)から第十二番(薄明が終わるとき)までの眠り 「薄明とは/空に巨きな/魚が浮かんでゐたりしたらすてきだと思ふこと」という詩句で始める、薄明のサウダージ。この場処で十頁二行。「私よ/薄明を遊びつくせ」と。遊び尽くす薄明とはどのような薄明の時間なのか。どのような色彩の薄明なのか。そのことが、とても柔らかく、優しく、歌われていくのです。タイトルの総てに括弧が付せられていて、薄明のサウダージ第一番から第十二番まで。夜の臍1~12まで。跳ね月クロニクルⅰ~ⅻまで。眼多リリックは特別で番号は付されておらず四頁に及ぶリリックが歌われる、轍の私に沿ってⅰ~ⅻまで。閾をひらく1~12まで。薄明のサウダージ異文状片第一番~第十二番。(薄明を遊びつくせ)に始まり(薄明が終わるとき)まで、百六十七頁を想い出を思い出すように歌い尽くし、やり尽くし、遊び尽くし、嘆き尽くし、これは真昼の眩暈であったのか、夢の現実であったのか、菫のミルクが立ちこめてくるような薄明のひとときへ、帰っていく。この詩集を読みながら、目眩して、何度も睡眠障害のように眠りに陥り、目覚め、また眠り、夜を睡り朝に睡り昼を睡り、ようやく(薄明が終わるとき)に辿り着いた。さはさはと眩暈よ、散れ。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。