2018年4月8日日曜日

2012/11/30のweb誌「詩客」時評より


2012年11月30日掲載「詩客」自由詩時評|小島きみ子

死を想え、そして「生きよ」。
 
 ラテン語のメメント・モリとは、「死を想え」という警句。東日本における震災と原発事故からずっと、何でもないような貌をして生きているのだが、「いま・ここ」で、自分の現実をしっかり生きることによって、死を想え、そして「生きよ」。という新たな感受性を立ち上げることができたらいいと思う。子どものいじめや、虐待、国土と人体への夥しい危機的状況。今の日本と日本の社会に大切なことは「命」という視座に立つということに尽きると思う。
 

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201210月から11月の詩集について


 植村勝明詩集『王国記』(土曜美術社出版販売)
 「王国記」と「わが神学」の二つが合わさった詩集。個人的には、「王国」や「神話」が好きな人にはたまらなくおもしろいけれど、なんのことかわからない人もいるかもしれない。帯文には、ちょっと怖いことが書いてある。気にせずに、どんどん読んでしまった。後書きも、詩篇の続きのようで実におもしろい。詩人はすでに「失望」も「絶望」もやりつくして、「このあと王の政治は国民からその血を取り戻すことである」と巻頭の最終行で記したのだと思う。心して、読み進みたまえ、ということかな。詩篇「ゼラニウム」
14P.4行目を引用。「先の王が戦場で深手を負って倒れたとき、牧童出身の兵士がその傷口を見慣れない草の葉で覆った。蠅がたかるのを防ぐためである。王は、結局助からなかったが、終わりに臨んでその植物を故国に持ち帰るように命じ、「通りが花でいっぱいだ」と言うや息絶えた。」


 野村喜和夫詩集『難解な自転車』(書肆山田刊)
 32篇、200P.詩人の旺盛な創作力と意欲的な詩活動に敬意を表したい。なかでも「探求」という作品に戦慄する。(1932年9月12日、ロンドンのとある十字路でのこと、)そのことに戦慄する。《奴らを高く吊るせ》このフレーズが、7回出てくる。中性子の核分裂の様子が描写される。3.11にリンクする渾身の作品。


 小川三郎詩集『象とY字路(思潮社)』
 21篇の作品を収録。本を作るという技術も凄いと思う。右からページが始まって、目次が左から始まる。作品タイトルが左ページに入って、捲ると右ページから作品が始まる。ページに1枚の無駄もないデザイン。墨の流れを思わせる表紙デザインのソフトカバー。渋い装丁の1冊。作品の始まりから、生きていることが冷たく淋しい私が居て、いまの現実は疾うに終わってしまった世界なのに、詩人以外は誰も気がつかずに暮らしている、そんな世界。幸福とか希望とかを求めていくと、やっと出会えたその場所は、ポッカリ虚無の穴があいていて、吸い込まれていくように思う。そんなイメージが沸いてくる詩集。



 柴田千晶詩集『生家へ』(思潮社)
 作品は2章に分かれ、17篇を所収するソフトカバーの125P。巻頭の「春の闇」から。「春の闇バケツ一杯鶏の首」の句に導かれていく散文詩。「鶏の首」も「赤い鶏冠」も血なまぐさく怖い。立ちすくみつつ進んでいくと、「雁風呂」の中に、「海問へば「ものみの塔」が日傘より」の句。この句、好きですね。夏は、日傘の「ものみの塔」が歩いている。でも、ここに出てくるのは、「拝島さん」という男性。「ものみの塔」と「拝島さん」は関係ないらしい。感情の連鎖みたいものがあるのだろう、きっと。冒頭に掲げる俳句が、鮮明な印象を先ず与えて、詩的な物語が繋がっていく。「恐怖」という感情の連鎖が導く「詩情」。そこからふいに立ち上がってくる「詩」。「ゆめ」や「まぼろし」を強烈なイメージでつないでいるのは、詩篇ごとの冒頭に掲げられる「俳句」という定型の言葉の強いイメージ。これによって、ぐいぐい物語が引っ張られ、ここはどこだ、と周囲を見渡すと、「生前の世界」らしい。生きていたときの記憶だと気が付くのだ。いまは、もう死んでいるのですよ、わたしたち。生きていた現実って、怖いことばかりでしたね。そんなふうに思った。


 ブリングル詩集『、そうして迷子になりました』(思潮社)
 読みやすい。これは、大人の絵本だな、と思う。落ち着いている。ユーモアがあって知的だ。倉橋由美子の『大人のための残酷童話』を思いだした。現実世界では、
3人の子のお母さんだが、とてもかわいらしい感覚があちらこちらに出ていて、それがとてもみずみずしく新鮮。新鮮ということは生々しいことなのだが、「現実」が気持ちよく書かれていて、大人のための文字だけの絵本だなと。「ほらかあさんもうこんなになまくび/朝一番かりたてのなまくびほげた/最前列のなまくび/ぼくのたいせつなサックをはめた/こんもうの大改革/なまくびだいはっせい/鳩も群がった/ぼくのたいせつなサックやぶけた/なまくびにわらわれた」(なまくびスローモー64P)なんて、迷子さんのなまなましい現実であった。

 疋田龍之介詩集『歯車VS丙午』(思潮社) 疋田さんの詩は、大阪芸術大学の「別冊・詩の発見」の雑誌で初めて読んでから何年かが経つ。その当時、涼しい言葉使いで、いい感覚していると思った。今回の詩集の中では「豆腐滋雨」などは、可笑しさと悲しみが最初からあって、いちばん好きな作品。表紙と表紙カヴァーの関係もおもしろい。表紙カヴァーの裏面と表紙の波線模様がなかなか「いき」であった。



 ヤリタミサコ詩集『私は母を産まなかった/ALEEENMAKOTOと肛門へ』(水声社) 
 視覚的にすばらしい本。表紙カヴァーは写真家の萩原義弘さん。ブックデザインは四釜裕子(しかまひろこ)さん。もちろん、詩という作品があっての詩集だが、詩篇に挟まれて登場する写真が、言葉と文字をさらにその言葉の肉の襞へいざなってゆく。現象とはイメージである。といえば当然すぎるが、言葉の襞、母を産まない、その肛門へと、言葉はいざなわれてゆくのだろう。そうした愛の襞を美しく贅沢に現象させて「見せた」詩集。

 秋川久紫詩集『戦禍舞踏論』(土曜美術社出版販売)
 詩人の第3詩集。ブックデザインも 和風で個性的。詩篇は「緋」「菫」「銀」「翠」の章から成る。散文詩もあるが比較的短いものがまとまった26篇。後書きまで92P.後書きは詩人による解説。詩篇ごとの内部ルールを作り、連ごとに文字数を制限し、相似形やシンメトリーといった視覚的な効果を狙ったとある。音楽性や絵画性、映像的、演劇的な側面を重視したいともある。意欲的な挑戦。各章ごとの扉は、装飾的なデザインであるけれど、文字が文字の規約を逃れていく感覚について、前半の「緋」はおもしろいと思う。後半の詩篇は観念的な部分も見受けた。 


 相沢正一郎詩集『プロスペローの庭』(書肆山田)    
 21篇の作品を所収する71P.上製本。著者6冊目の詩集。シェイクスピアの『テンペスト』のプロスペローの言葉。「われわれ人間は夢と同じもので織りなされている。はかない一生の仕上げをするのは眠りなのだ。」(小田島雄志訳)が、扉に置かれている。この、プロスペローのセリフは、私も詩集「その人の唇を襲った火は」に所収した長篇詩「JESUS LOVES ME」の中でも後半で用いた。「夢」に現れる経験も人間の知覚に刻まれていく。シェイクスピアの時代のイギリスの現実社会は労働者にはかなり厳しい生活の現実があった。そんな彼らに楽しい夢を見させたのがシェイクスピアの演劇だった。現実逃避ではないが、ファンタジーの場所で息を抜くことが、実際の厳しいリアルをやり過ごすものであった。今の日本もそうなのだと思う。
71P.「水は夢のように指のあいだから零れ落ちてしまう、しばらく手につめたい痕跡をのこしたまま・・・・。コップに歯ブラシを差し込んだまま、わたしは鏡の前から身を引く。」のだ。


 岡野絵里子詩集『陽の仕事』(思潮社)
 2007年からの詩篇25篇をまとめた詩集。全体が穏やかな温かさに満ちていて、恢復していくこころのように、その言葉を受け取った。68P.から「恢復期」の部分を引用する。「朝ごとに/私たちは砕かれ/そしてまた満たされる/焼きたてのパンと共に/鮮やかに切り分けられる私たちの日//少しずつ/私たちは恢復していくだろう/まだ目覚めない者の夢/聴こえない声よ/だが/陽が止まる/新しい私たちの日に/気がつけば/夏になっている//」



 細野豊詩集『女乗りの自転車と黒い診察鞄』(土曜美術社出版販売)
 助産師であった母との思い出の詩集。明るくて爽やかで、幸福な読後感がある。職業を持っていた母が、自転車に乗って颯爽と妊婦のところへ駆けつけていく。その暗い夜を弟と二人で待つのだが、母いつも明るく帰ってくるのだ。「へい、ただあいま」と。中上哲夫の帯文には「わたしはどこから来て、どこへ行くのか、数々の出会いと別れをくり返しつつ、世界を漂泊する魂の詩人」とある。詩篇の終わりの方の作品に「できることなら象のように」がある。「できることなら象のように/密林の奥の/だれにも知られていないところへ行って/ひそかにおれの軀を横たえたい」とあるのは、南米を漂白したこの詩人らしい呟きであると思う。






 1968年に出版された吉本隆明の『共同幻想論』が何故、当時の学生に熱狂的に支持されたのか。その時代を生きた人々は、団塊の世代と呼ばれた人々だった。彼らの魂に与えた影響は何だったのか。1968年という年は、510日に勃発したパリ5月革命に言及しなくてはならないだろう。

(注:フランスのパリで行われたゼネストを主体とする民衆の反体制運動と、それに伴う政府の政策転換を指す)

 パリ5月革命から世界中に学生の騒乱が起こり、日本においても全国の都市で大学紛争が広がっていった。それは人間の「魂」と「精神」の生成への挑戦だったと思う。西洋哲学とキリスト教ゲルマン語圏の視点に立つ「愛」と、日本の土着の神と仏教との融合から生まれた日本の「信」というものは、どこまで密接に現在の日本人の生活と日本語のなかに棲みついているのだろうか。考えを深めていきたいと思う。



 親鸞の「人なきところに座す」「樹下に住む者」のように知の極まる場所、限りなく「非知」へと向かう場所に、道化の仮面を被って、現実と幻想を繋ぐ者となること。愚者にとって愚はそれ自体であるが、知者にとって愚は近づくのが不可能なほど遠い最後の課題である、という場所。仏道の「聖なる行為=遊び」に到達する場所は、詩という世界の場所でもあるだろうと思う。


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