北海道の詩人柴田望さんが、エウメニデスⅢ 59号の批評文を寄せてくださいました。
詳細な解説、嬉しく思います。詩作品への理解、詩集批評文への理解、ともに「言葉への愛」の力、無くしては到達できません。
詩は、現実の時間を追うことが理解では無くて、詩の空間が存在して、言葉を越えて、画像の作品イメージ(脳内映像)と批評が導き合うとき、至福の瞬間が来ていますね。言葉にとっての至福の空間は、「音楽になっているとき」かもしれません。私にとっての音楽の喜びは、音が描く像ですから。それは、作者と読者の「響き合い」です。ありがとうございました
詩誌「エウメニデスⅢ」第59号(2020年1月30日発行)を購読させて戴き、先月届いておりましたのですが、ようやく読むことができました。詩三篇、書評、散文、30ページに込められた広大な詩世界。
高塚謙太郎氏の「音をつれて」を、ラフマニノフ、モーツァルトのソナタ、ドボルザーク等、様々なピアノ連弾曲を聴きながら何度も拝読。「舫いは雫のしたに降りていて」…「舫い(もやい)」とは船を綱でつなぎ止めること。二人の弾き手の呼吸をつなぐ、飼い主と犬、姉と妹(弟?)による航行に奏でられる街のビジョン。「目は凝らされる方から 静かに」 店の窓、少女の笑顔、日差しの進行、水の流れ、国境の通り、山なみ、音として立体的に浮かびあがるよう。
小笠原鳥類氏の「牛の首の版画 牛の音の図鑑」。「牛」「テレビ」「ピアノ」「版画」「図鑑」「粘土」「恐竜」「馬」「木」「魚」…何度も繰り返し登場する詩句のレコードの回転によりイメージが醸成されている過程、錬金術空間を体験させられる詩法は、詩誌「まどえふ」の橋場仁奈さんの諸作品の詩句の繰り出し方も共通するように感じました。会社で一つのプロジェクトに携わって、何度も同じ言葉が登場する会話を、限られた少人数と交わしていることがあります。語彙(関係者以外にはわからない専門用語)は増減を繰り返しつつもだんだん変化して、突如、問題解決の啓示が降りてくること。「いろいろな熱帯魚図鑑があるなあ。熱帯魚が、小さな虫なんだ/虫を食べる。「牛の先祖の化石の出る黄色い崖」が/黄色い絵の具だ。あの土が、絵の具になるんだ、絵の具の材料である/黄色い、ひまわりの、絵を、描いて、回転、している……」 太古の化石や鉱石が神秘的な発色の画材に。
小島きみ子さんが丁寧に書かれた〈書評〉に導かれ、昨年発行された下川敬明さんの詩集『雨 その他の詩篇』(土曜美術社出版販売・2019年8月17日)を再読。「一如(いちにょ)」の思想と感受性、「存在の連鎖」の観念の基盤となる「一にして全」、ペルセウスの母ダナエのクリムトの美しい絵のこと、新たな発見とともに下川敬明さんの詩作品への理解とイメージを深めることができました。一昨日25年を迎えたオウム真理教事件、死刑確定者の刑執行を題材にした「1+12=0」や北朝鮮からの大陸間弾道「Missile」。世界の悲しみを、雨が洗う。小島きみ子さんが「人が人を愛して、愛する者を守って生きる決意をするとき雨はふたりを、溶け合ってもはやこの瞬間を逃れることのできない一つのもの(一如)として表現している。」と評された『雨 その他の詩篇』Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ各章冒頭の「雨」と題された下川さんの作品に登場する「きみ」と「ぼく」の俤が、「エウメニデスⅢ」第59号の小島きみ子さんの詩作品「秋の小箱」の「あなた」と「わたし」に重なる瞬間を感じました。
「花と花が/地上に有るように/人と人も/この地上に/有るものだから/ただひとつの 心と魂だった/離れて響きあう愛の声だった/ただひとつの 心と魂だった」(「秋の小箱」)。
W・B・イェイツがWind among the Reeds 『葦間の風』で「薔薇」にたとえた、生まれ変わりの後でもこの世で出会う「大切な人」。「離れて響きあう」… 私たちが暮らす時空では、「引き合う力(万有引力)」と「引き離す力(万有斥力)が混在している。生と死の、虚と実の空間が重なりあう、宇宙の中心のような出会い、接するゆらぎを詩は捉える。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。