楓の小枝を立てて 小島きみ子
春が来ると子どもたちは楓の木の下に、楓の小枝を立てた。
落ちて死んだ小鳥のために。
すでに別の物質になってしまった羽毛をさすりながら、
「死」は「冷たく固まる」のだと掌で覚えた。
小さな、小さな。
穴を掘って、穴を掘って。
土をかけて、土をかけて。
楓の小枝を立てた。
楓の木の下には、小さな楓が芽を吹いて、
小さな楓の森ができた。
枯れるものも、成長するものも、
それぞれの掟にしたがって命を育んできた。
「土は偉大だね」
形はなくなるけれど、別の命にして返してくれるのだもの。
薔薇が咲き、百合が咲き、豆の蔓が伸びて、
紫蘇の葉が茂り、葱も芽を出す。
朝の空が明るくなった。
小鳥の声が甲高く早口になって。
(卵を生んだのだ、きっと。)
明るくて、少しヒステリックで。
(雛が孵ったのだろう。)
陽が昇るのが待ち切れずに騒ぎ始める。
(餌を運んでいるんだ。)
もうじきだね。
子どもたちが屋根のうえから飛び立つ。
(もうじきだ。)
(わたしの子どもたちも巣立って行く。)
春は逝きながら。春は新しく生まれる。
小枝を立てて。
小枝を立てて。
新しい春を。
受けとるために。
★今は、まだ土は凍っていますが、春になるとハナカエデの木の下には、秋にプロペラの種子を飛ばした、種が芽吹きます。ぐんぐん成長して8月には30センチくらいの幼木になります。けれども、この種が芽吹く頃は、小鳥たちの産卵期で雛も孵ります。屋根から落下して、硬くなっている雛のお墓もこの土のしたです。そこから、種は芽吹きます。自然は、命をこうして返してくれる。私たちが命を守るためにできることは、この自然の循環を守ることではないだろうかと思っています。小さな庭を、いつも大切にしていること。そんなこと。
2014年1月20日月曜日
2014年1月3日金曜日
On Giving 与えることについて
新年ですので、これからの一年の生き方を模索する参考になるかと思われるジブラーンの「与えること」いう詩を神谷美恵子の翻訳で紹介します。
ハリール・ジブラーン(★ハリール・ジブラーンは、Khalil Gibran、1883年1月6日 - 1931年4月10日はレバノン出身の詩人、画家、彫刻家。英語読みからカリール・ジブランとも呼ばれる。キリスト教マロン派教徒です)の「On Giving=与えること」という詩を神谷美恵子さんの翻訳で紹介したいと思います。神谷 美恵子(かみや みえこ、1914年〈大正3年〉1月12日 - 1979年〈昭和54年〉10月 22日)は、ハンセン病(神谷生前時は「らい病」と呼称されていた)患者の治療に生涯を 捧げたことで知られる女性精神科医で、哲学書の翻訳でも著名である。神谷さん翻訳のマルクス・アウレリウスの「自省禄」はとてもすばらしいです。ギリシャ語を学んで日本語訳するその過程が、医師であり母であり、研究者であって。なお、「ハンセン病」の治療にもあたったその姿勢が、人として女性として尊敬してやみません。
与えること 神谷美恵子訳
少しだけ持ちながら、全部を与える者がある。
彼らは生命と生命の恵みを信じているから
その金庫が空になることはない。
よろこびをもって与える者がある。
彼らにはそのよろこびが報いなのだ。
痛みをもって与える者がある。
彼らにはその痛みが洗礼となる。
与えるとき痛みもおぼえず。
よろこびも求めず、
徳をも意識しない者がある。
それは彼方の谷でてんにんかの花が
芳香を大気に放つにも似ている。
彼らの手を通して神は語り、
彼らの眼の背後から
神は大地に向かって微笑みたもう。
On Giving
And there those who have little and give it all.
These are the believers in life and the bounty of life,
and their coffer is never empty.
There are those who give with joy,
and that joy is their rewards.
And there are those who give with pain,
and that pain is their baptism.
And there are those who give and know not pain in giving,
nor do they seek joy, nor give with mindfulness of virtue;
They give us in yonder valley the myrtle breathes its fragrance
into space.
Though the hands of such as these God speaks,
and from behind their eyes He amiles upon the earth.
ハリール・ジブラーン(★ハリール・ジブラーンは、Khalil Gibran、1883年1月6日 - 1931年4月10日はレバノン出身の詩人、画家、彫刻家。英語読みからカリール・ジブランとも呼ばれる。キリスト教マロン派教徒です)の「On Giving=与えること」という詩を神谷美恵子さんの翻訳で紹介したいと思います。神谷 美恵子(かみや みえこ、1914年〈大正3年〉1月12日 - 1979年〈昭和54年〉10月 22日)は、ハンセン病(神谷生前時は「らい病」と呼称されていた)患者の治療に生涯を 捧げたことで知られる女性精神科医で、哲学書の翻訳でも著名である。神谷さん翻訳のマルクス・アウレリウスの「自省禄」はとてもすばらしいです。ギリシャ語を学んで日本語訳するその過程が、医師であり母であり、研究者であって。なお、「ハンセン病」の治療にもあたったその姿勢が、人として女性として尊敬してやみません。
与えること 神谷美恵子訳
少しだけ持ちながら、全部を与える者がある。
彼らは生命と生命の恵みを信じているから
その金庫が空になることはない。
よろこびをもって与える者がある。
彼らにはそのよろこびが報いなのだ。
痛みをもって与える者がある。
彼らにはその痛みが洗礼となる。
与えるとき痛みもおぼえず。
よろこびも求めず、
徳をも意識しない者がある。
それは彼方の谷でてんにんかの花が
芳香を大気に放つにも似ている。
彼らの手を通して神は語り、
彼らの眼の背後から
神は大地に向かって微笑みたもう。
On Giving
And there those who have little and give it all.
These are the believers in life and the bounty of life,
and their coffer is never empty.
There are those who give with joy,
and that joy is their rewards.
And there are those who give with pain,
and that pain is their baptism.
And there are those who give and know not pain in giving,
nor do they seek joy, nor give with mindfulness of virtue;
They give us in yonder valley the myrtle breathes its fragrance
into space.
Though the hands of such as these God speaks,
and from behind their eyes He amiles upon the earth.
2013年12月6日金曜日
(夢のなかで夢見たものに、)
★洪水企画の池田康さんが発行する「虚(そら)の筏」6号に参加しました。2013年12月の最新の作品です。
(夢のなかで夢見たものに、)
小島きみ子
そして、銀杏の木の下で、
死ぬのには、もってこいの小春日和の日でした。
立冬ですね。
あなたの柔らかな声が、
そのことばが、去りゆく夜のユリの舌であったとは、
やはりあなたは、覚めて、冷めていく冬にふさわしい。
(夢のなかで夢見たものに、)(夢の中で願ったものに、)
私のことばが、追いつかないのです。
木枯らしが吹く前の穏やかな、
土曜日でした。
あなたの、りんりんと響く声を見ていました。
澄んだ空を覆い尽くす金色の漣でした。
愛し続けるというこの烈しいストレスをこえると、
あなたは居るのか居ないのか。
あの雲をこえて、
(ゆふやみは みちたづたづし つきまちて いませわがせこ そのまにもみむ(万葉集712))そんな歌を(夢の中で夢見たのに、)。
(夢の中で願ったのに、)。
(夢の中で夢見たものに、)は。
2013年11月30日土曜日
11月に届いた雑誌と詩集。
11月に届いた雑誌と詩集
前半に届いたものは、facebookで紹介済みです。とりあえず、11月中旬以降に届いた雑誌と詩集です。ご恵送ありがとうございます。無事に届いています。書名の紹介によりお礼といたします。
①
雑誌。「折々の no.30.」。広島市の松尾晴明氏が発行されている。いつも送ってくださっている、万亀佳子さんありがとうございます。「連弾」の短い文章を読むのが好きです。2012年・日本現代詩人会の関西大会でお会いした万亀佳子さん。お元気そうでなによりです。
②
〈ひとり雑誌〉「KYO峡」。詩と批評の現在へ。北川透氏がひとりで発行する雑誌。購読料の領収書を創刊号のあと送ってくださって、2号がでました。詩・評論・エッセイ・編集後書まで32P.「連載評論第2回。吉本隆明の詩と思想 序章」をこれから読ませていただきます。
③
門林岩雄詩集『面影』土曜美術社100人の詩人・100冊の詩集。1934年大阪府生まれの京都在住の方です。日本詩人クラブなどに所属されています。
④
伊淵大三郎詩集『宇宙の青いいのちの星』土曜美術社100人の詩人・100冊の詩集。1932年山形県生まれの山形市在住の方です。山形県詩人会を2000年に設立されて、「樹氷」という雑誌を主宰されています。
⑤
『長島三芳詩集』。土曜美術社の新・日本現代詩文庫113.敗戦直後の第2回H氏賞詩集『黒い果実』の詩人。2011年9月に九三歳で他界されています。かつて、第二次世界大戦のとき一兵士として戦場を知っている詩人でした。1939年の『精鋭部隊』からの詩篇が巻頭におかれて、後半にエッセイも収められています。解説は、平林敏彦・禿慶子の両氏。
⑥
ガニメデ59号。12月1日発行。定価2100円。後書まで411P.いつもは巻頭にある、たなかあきみつ氏のコンスタンチン・ケドロフの翻訳詩篇が329P.から始まっている。(わたしは静けさに達した・・・・)。良い書き出しだ。こんなことを言っては身も蓋もないが、暫くぶりで本格的な本物の詩人たちの詩を読む。誰が本物かは言いません。今は12月29日、そして、武田肇氏の読切り本格ミステリー(そのように書いてあるので)「火曜日のマリア」が387P.から。
⑦
tab.No,40.(編集発行は倉田良成)。興味深い詩人たち12人。送ってくださった平井弘之さんの「丸い鞄と谷津柱」を先ず読んでいます。
⑧
馬車。No,49.女性詩人たちの雑誌で、詩を読みながら、皆さんのご家族のことやご本人のことが、そこはかとなく伝わってくる。親しむ深い雑誌です。ゲストは男性詩人がきていますね。考えてみると、男性だけの同人誌ってないのではないかな?そういう場所へあれば、ゲストで呼んでいただきたいものだと思います(笑)。
⑨
関中子詩集『空の底を歩く人』。土曜美術社100人・100冊の詩集。1947年横浜生まれで、現在も横浜市在住の詩人。日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会所属。 あとがきに、「薄い詩集を作ることが願い」とある。後書まで94P.で、28篇の詩を所収する。やわらかさ、おだやかさ、いつくしみ、という言葉が自然と感じとれる詩で、自然体で語りかけてくる。
(僕らは同じ一つの)
「詩と思想」12月号。53P.掲載作品です。
(僕らは同じ一つの)
小島きみ子
(僕が君のようだったのなら。君が僕のようだったのなら。/僕らは同じ一つの/貿易風の下に立っていたのではなかったか?/僕らは別人同士。)(Paul Celan『ことばの格子』)
そして、すべては白い冬闇のなかへ埋まって無くなっていくのだ。わたしたちは、ツェランの詩句のように(僕らは同じ一つの/貿易風の下に立っていた)のに、どこで間違ってしまったのか。あまりに一つで見分けることができないほどに溶けていた。あなたはわたしに、わたしはあなたに。絶望への意識と感情のうえを通り過ぎて、引き戻されて、また姿を無くして、神を見失ったあのときのようだった。何度でもそれが喜びのように、坂道を下り坂道を上り、野茨が咲き、コスモスが咲き、そしてすべては白い冬闇のなかへ埋まって無くなっていったのだった。
もう、二人の翳が無くなっているのも知らずにいた。いとおしかったあなたは、あまりに、わたしそのものだったから。二人の胸は溶けて重なっていたから。魂そのものになっていたから。さようなら。あの青い月影の伸びているところ。ひと房の髪のように、ひとすじの涙のように、帰っていくしかなかった、葦の原のどこを探しても、あなたは居ないはずなのに。子猫が指を甘く噛むように、あなたは何度も何度もわたしの心を甘く噛んだ。あんなに、近くに居た夏だったのに。二人の翳が無くなっているのも知らずに名前を呼び続けた。あなたは、あまりにもわたしそのものだったから。
もはや、あなたは夕暮れのルビーオレンジの雲に隠れてしまった。僕は手を振っていたのに、どうして手を振ってくれなかったの? だから、戻っては来なかったとでも? 坂道は、小鳥が運んできたアカシアが繁みを作って、あなたの家はまるで大きな塚のようです。わたしは、ここで、待っているからここでこの坂道でこの庭でこの家で。きょうは青い月夜ですから、向こうの宵闇へ行けたら行くのに行くことは叶わない。あなたは夕暮れのルビーオレンジの雲に乗って手を振る。(僕らは同じ一つの)空しさの中へ帰っていくしかなかった。・・・帰っていくしかなかった。空しさの尽きるところまで(僕らは別人同士。)だったから。
2013年11月19日火曜日
「虚(そら)の筏」4号・5号より。
★洪水企画の池田康氏が発行する「虚(そら)の筏」4号・5号に掲載されました、作品「仮面の湖」と「夏よ」を公開します。紙版での発行は4号を「詩と思想」詩誌評で花潜幸氏、5号を「現代詩手帖」詩誌評で瀬崎祐氏に解説をいただきました。ありがとうございました。
仮面の湖(「虚の筏4号」掲載)
たゆたう湖の聖なる水鏡
剥がれ落ちる表層の上に付加される仮想の仮面をもって
変革していく私という人格の人称
空だけが知っている空
私は木に変身することだってできる
けれど、翻す光自身は
色彩言語の意味を知っているのだろうか
神はほんとうに「光、あれ」と言ったのだろうか
神もまた人のペルソナの下に
その仮面を隠したのではないのか
人とともに在るために
木を映す湖の冷ややかな水面には
空の青さも、雲のかたちも、私というものの姿も
私が見ているように彼らに見えているわけではなかったが
彼らのなかに私は混ざっていたし
私は彼らのなかに溶けていた夏よ
夏よ(「虚の筏5号」掲載)
夏よ
きみは
いつのまにか過ぎていったね
シャラの木の茂みを揺らす風の向こう
橡の木の下のベンチに
オレンジ色の正午の光がきている
プールから上がってきたばかりのきみは
何の躊躇もなく
クローバーの上に寝転ぶ
わたしの足元で
いくつものキスを投げる、きみ
耳の産毛が光っていたね
わたしの指にこぼれる
木の葉のざわめきと
腕に這う幾つもの嘆きの舌
それはまるで
すべらかなパスカルの言葉のようだった
(人はきみの自然な文体を見ると、すっかりおどろいて、おおよろこびするのだよ。なぜなら。一人の著者を見るのを期待していたところを。一人の人間を見渡すからさ。)
そして
秋の図書館の窓ガラスに
きみのあのヒヤシンスヘアーの翳が映っていた
風がひどく高鳴って
ああ、もう、本など読めなくて
目を上げると
ほんとうにもう、きみはいなかった
2013年10月11日金曜日
10月前半の詩誌・詩集
★詩誌・詩集のご恵送ありがとうございます。
●橄欖・第97号(日原正彦さんより)。同人5人の雑誌。奥様を亡くされたあとの日原さんの悲しみや寂しさが伝わってくる。日原さんと同じ東京の同人誌に入っていたことがあった。その時に名古屋で同人会があって、奥様にもお目にかかった。仲良しの二人だった。日原さんが、黙々と詩を書き、詩誌を発行する姿が静かで熱かった。
●季刊詩誌阿吽a-hum第9号(たなかあきみつさんより)。創刊号から、たなかあきみつさんが送ってくださっている、表紙画がとても贅沢な雑誌。もちろん内容もたなかさんの翻訳詩や注目の新人詩人たちの興味深い詩作品がズラリ。阿部嘉昭さん、河津聖恵さんの作品も注目ですね。おもしろかったのは、☆松本秀文さんの贋作『世界の構造』です。
●阿部嘉昭詩集『ふる雪のむこう(思潮社)』。昨年に続いてのオンデマンド出版の詩集です。オンデマンドに2年続けて挑戦というところにも注目しました。二行聯詩72篇の長篇札幌抒情詩のように感じました。難しい構造ではなくて、言葉使いも極めてシンプルで淡々と札幌生活が綴られていきます。読み終わると雪の寒さがじんわりと滲みてくる静かなたたずまいの白い詩集です。単身赴任ですから静かさの中に、寂しさも感じられます。あらゆる思いや物が、ふる雪に冷やされていくような感覚があります。好きな作品は、最後の「一哀のあと」などでした。
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