2019年5月15日水曜日

2019_0515 きょうの花とミドリ



Viola Blue






結球するタイプのレタスの成長
小松菜





小松菜のみどり





ようやく咲き始めました。スズラン










スズラン






Viola Blue







野生のカタバミの側に、鳥の羽のように、落ちているのはタンポポの綿毛







2019年5月10日金曜日

2019年5月9日木曜日

2019_0509


2019/05/09   Love for Viola









Viola  lemon yellow









昨年はパールブルーであったものが、ブルーに変化。








濃いブルーは毎年咲くビオラ。
園芸種を今年購入した薄いブルーは2種類の色に変化して咲く。


ゴギョウ、ビオラソロリア。
ビオラソロリアはアメリカの外来種。庭に根付いている。
ゴギョウは、万葉集にも歌われている。古来の花。


可愛いですね。
昨年のパンジーの種子が零れて咲いたと思うのですが、ビオラの大きさ。
とても小さいです。先祖返りしたのかな。








ビオラ・トリコロール



2019年5月7日火曜日

写真詩 2019_05



写真は、twitterのフォロワーさん。
babooshka.さんです。



夢のなかのような、
夢のような現実が、
過ぎて行った、
レンゲソウと、
電車と、
真昼の。

2019年4月30日火曜日

20190430のBLUEなど。

2019年4月30日は、天皇が退位する日なので元号では平成が終わる日です。雨が一昨日と昨日と降って、気温が著しく下がって寒い1日です。午後1時の庭の温度は16度です。
庭の「BLUE」










A4 サイズ。Pansy フラワーアート。






A3サイズ。Pansy フラワーアート。





A3サイズ。Pansy フラワーアート。





ゴギョウ。スカシユリ。ビオラソロリアの寄せ植え。




いつも5月1日は咲いてくれた鈴蘭。
今年は、まったく出遅れてしまった。
雪や雨が不足して、3月4月は「乾燥注意報」が出ていた。
山火事も多発。水分の不足は、発芽を遅らせた。





ミックスレタス。とても重宝します。
育苗箱で発芽させたもので、葉を摘んでサラダにします。




ブルービオラ。1本だけ発芽した水菜。

2019年4月19日金曜日

「接触(タッチ)」








詩誌Eumenides Ⅲ 41号より。

接触(タッチ)
小島きみ子



*これは三田ゆき乃(スノウ)と青池芳彦(ブルー)のひと夏の電子書簡です。風にカラカラと戦ぐポプラのように、スノウとブルーの言葉をあなたの魂に届けます。


〇〇一
こんばんは、ブルー。きょうはとても暑い日でした。久しぶりに外で友人と食事して、いろいろな話をしました。帰宅してからアメイジング・グレイスを聴いていました。黒人奴隷貿易商であったジョン・ニュートンが一七七二年に作曲したこの曲は、深い悔恨と神の赦しへの感謝がこめられています。そして、考えていたのは「空しさ」についてでした。コレヘトの書にも書かれているそのことです。「空しさ」(vanity)と共に根底に流れているのは「永遠」(eternity)です。人生は空しくとも、人には永遠を想う心が備えられている。そして「主の言葉は永遠に変わることがない」と。そこに希望と救いがあると。私たちには最終的に次の言葉が用意されていると。「主を信じる者は、だれも失望することがない」(ローマ1011)「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」(コリントⅠ1558)神と共に歩む私たちの人生に無駄なことは一切ないことを知らされると。そして全てが「空しさ」から「永遠」へと変えられていくのだと、友は語りました。あなたはどう思いますか? 私は本田美奈子さんの歌声で聴く(Amazing Grace)がとても好き。(アメージング グレース 何と美しい響きであろうか 私のような者までも救ってくださる 道を踏み外しさまよっていた私を神は救い上げてくださり 今まで見えなかった神の恵みを 今は見出すことができる)



〇〇二
こんばんは、スノウ。「空しさ」(vanity)と「永遠」(eternity)については、絵画でも考えることができると思う。何かいいものが見つかるといいのだけれど。ヴァニタスは現世の財産や知識は全て虚しいものであり、時は全てを奪い、死には現世のどんなものも逆らえない、という事を意味しています。ヴァニタスとは、旧約聖書の「伝道の書(コヘレトの言葉)」冒頭の一節のラテン語「ヴァニタス・ヴァニタートゥムVanitas Vanitatum」に由来するのです。「生のはかなさ」つまりヴァニタスという概念を目に見えるかたちで表しているのです。十七世紀のオランダではこのテーマは非常に人気があり、いろいろなヴァリエーションで表現されましたね。十七世紀に向かえたオランダ絵画の黄金時代にも、この骸骨の寓意が好んで用いられていました。
イエスの生まれた時代は帝政ローマ全盛のころであり、イスラエルはすでにその支配下にある時代でした。そんな時期のユダヤ人社会にあって、イエスは全ての人に福音を告げようとしていました。宗教的な捉え方も出来ますが、歴史上優れた文明にはそれに先立って、優れた思想が、優れた思想的リーダーが存在していたともいえます。それから「悔い改めよ」という言葉ですが、この言葉を最初に用いたのはイエスではなく、洗礼者ヨハネです。この人は預言者イザヤの書に「荒れ野にさけぶ人の声、主の道を準備し、その小道を正しくせよ」と言われていることで知られています。「隣人を愛せ」も、もとはモーゼを通してイスラエルの民にあたえられた掟で、石打ちの罰も同じくモーゼを通じて定められたものです。ファリサイ人たちや律法学士はこの律法を基準とし、イエスを試みます。イエスは山上の教訓のなかで、律法を取り除くのではなく、完成させるために来たのだとはっきり宣言しています。どちらかというと残酷な部分もある律法に対し、イエスの裁量はより人情に満ちた、人間的な温かさをたたえたものとなっています。例えば「より多くを赦されたものは、より多く愛するようになる」としてイエスの足を香油でぬぐったマグダラのマリアに寛大な態度で接しました。当時の、らい病者など虐げられる人々に対してもそうでした。
レバノンの記事を読むとイスラムの人でなくてもイスラエルのとった行為は肯定できません。アメリカだけが擁護していますが、それも行き過ぎた商業主義のように思います。子ども同士には憎しみはないのに、国の持つ争いに巻き込まれていく。葬りがたい憎しみの連鎖で、人類史上に残る深い闇です。それから、「マタイ受難曲」について。参考になると思いますから書き添えます。ハインリヒ・ミュラーは、ヨハネ福音書にあるようにキドロンの谷を越えたことを重視するのです。ミュラーはさらに、次のように注釈します。「私の心よ、おまえにとって十字架は渓流(Bächlein)にすぎないが、イエスにとっては小川(Bäch)である。渓流は、たちまち流れ去る。だから思え、おまえの十字架という渓流もまた、たちまち流れ去って終わることを。イエスの十字架という小川は、にがかった。しかしおまえのそれは甘い。なぜなら、イエスがそこから最初の一口を飲み、甘くして下さったからである。」どうですか? 何かの参考になると思いますよ。あーそれと、バッハのマタイ受難曲第六曲を思い浮かべましたので、さわりの訳をのせておきます。(第六曲 アリア)「悔いの悲しみは罪の心を千々にさいなむわが涙のしずく。うるわしき香水となりて信実なるイエスよ、御身に注がんことを」と。
僕は明日から夏季休暇に入ります。後半は月末にとります。どこかで会えるといいですね。この休暇にじっくり考えてみましょう。人は感覚的なものを追い求めがちですが、目が見て目が喜ぶもの、耳が聴いて耳が喜ぶもの、手が触れて手が喜ぶものよりも、心と心が触れるものが一番尊いと感じます。人が所有しているものの中で与えられなかったものがあるだろうか。人は暴慢に陥りがちですが、すべてのものはみな与えられたものです。それ自体が祝福です。そして、これに続いて振り返りたいことは、リストの「愛の夢」です。きょうのスノウへの贈り物は、リスト「愛の夢・第三番」です。「おお、愛しうる限り愛せ O lieb, so lang du lieben kannst!」から始まる詩は、恋愛のことではなく、人間愛をうたったもの。「あなたがお墓の前で嘆き悲しむその時は来る。だから、愛しうる限り愛しなさい。自分に心を開く者がいれば、その者の為に尽くし、どんな時も悲しませてはならない。そして口のきき方に気をつけなさい、悪い言葉はすぐに口から出てしまう。(神よ、それは誤解なのです!)と言っても、その者は嘆いて立ち去ってしまうだろう」という内容です。
きょうは長くなりました。「おお、愛しうる限り愛せ O lieb, so lang du lieben kannst!」この世界のすべてが、「空しさ」(vanity)から、「永遠」(eternity)へ変えられていく、その途中に僕たちは生きているのだと思いませんか。だから、この人生に無駄なことは一切無いのだと。おやすみ、スノウ。



〇〇三
こんばんはブルー。「空しさ」(vanity)と「永遠」(eternity)について応えてくださってありがとう。小川(Bäch)は、とても興味深い内容でした。リスト「愛の夢・第三番」もありがとう。
もうすぐ八月十五日です。ベートーベンの第九番「歓喜に寄せて」の歌詞は、シラーの詩作品「自由賛歌」(一七八五年)がフランス革命の直後ラ・マルセイエーズのメロディーでドイツの学生に歌われていました。そこで詩を書き直した「歓喜に寄せて」(独:An die Freudeアン・ディー・フロイデ)にしたところ、これをベートーベンが歌詞として一八二二年~一八二四年に引用書き直したもの。わたしは最初の休暇が終わって、火曜日から勤務です。暑さを乗り切ってがんばりましょうね。(歓喜よ、美しい神の閃光よ、楽園からの娘よ、われらは情熱に満ち、天国に、なんじの聖殿に踏み入ろう。なんじの神秘な力は、引き離されたものを再び結びつけ、なんじのやさしい翼のとどまるところ、人々はみな兄弟となる。)
それから、リルケの「復活したキリストを抱くマリアの安らぎ」を紹介します。リルケ詩集は何度も読んだはずなのにこれには、気づきませんでした。美しい詩です。ラテン語の辞書も欲しいと思うので、購入しようと思っています。(そのとき二人の感じたことはすべての神秘を打ちこえたあまやかな相変わらず現世的なものではなかったのか。彼が墓の中からやや蒼ざめて軽々と彼女のところへ歩いていったとき、全身がすっかり復活してしまって。ああ、誰よりも彼女のところへ。比類なく二人は快癒していた。そうだ、恢復していたのだ。二人はつよく触れ合う必要はなかった。彼は、一瞬、その母なる肩へ今ようやく永遠になったばかりの手をおいた。そして二人は春の樹のように静かに、同時に無限に、彼らのきわまりない交わりの季節を始めたのである。)
ことしの初めには困難なこともたくさんありましたが、ずっと持ってきた希望に向かって歩んでいこうと思います。ユニセフの募金も職場を回ってきょう、銀行へ振り込みました。いろいろな心が集まって何かの役に立つことができますように、と祈ります。絵葉書をありがとう。「モネの庭 ジヴェルニー」白藤、美しいです。日本風な庭に芍薬っぽい花があるように思えましたけれど違うのかなぁ。そして、こぼれるような大好きなミモザと白いレースフラワーと青い星のボリジ。ボリジはベランダにありますよ。花野のやさしさに包まれました。



〇〇四
こんばんはスノウ。僕はモネの「散歩、日傘をさす女」の情景がもっとも好きです。ふりそそぐ光と風の中、つきぬけるような青空と、白いドレスに身を包んだ、愛する妻と息子の姿。二度と帰らない永遠の一瞬を描いたモネのわずかな幸せだった時間の情景でした。こちらでは、きょうは夕日がきれいです。万葉集第十二巻より「夕さらば、君に逢はむと、思へこそ、日の暮るらくも、嬉しくありけれ」スノウ、あなたの毎日が良い日でありますようにと祈ります。(近すぎて 見えない支えは 離れてみれば わかるらしい)
この世界の(メランコリー)とは何かということも、パルミジャニーノが錬金術にとりつかれた理由も、ティツィアーノの打算も、飢餓と名声、嫉妬と浪費がこのころすでに結びついていたことも、ウィトカウアーが教えてくれたのだよ。スノウ。きょうは美女と野獣を贈ります。楽しんでください。


〇〇五
起きていますか? ブルー。美女と野獣をありがとう。日本語訳と原曲では、日本語訳はとてもロマンチックですね。これは、ほんとうに小さい頃に絵本でも読んだというか、見た、美しい物語でした。この間の「ダンテ・クラブ」の書評を読みますと、高い評価をしていますね。この物語にヘンリー・ワーズワース・ロングフェローが出てきますね。格言集にはいろいろ出てきて、なんだか笑ってしまいました。こんなのですよ。
Sometimes we may learn more from a mans errors than form his virtues.
(人の美談よりも、失敗から学ぶものだ)それから今週末は母の家で祖母の法事があるので遠出します。母と一番年長の叔母とでは十五歳の年齢差がありましたので、祖母は私と少しの間、暮らしました。私はやはり、絵も描きたいです。昇給試験勉強の合間に外で絵を描くことは、楽しいです。この夏の休暇にはブルーがお勧めのK高原へ行けるかもしれません。美術館へも行きたいです。そうそう、これは誰の歌だった? What a wonderful world(すばらしき世界)


「ダンテ・クラブ」の百十一ページに「とこしえのほか、われより先に造られしものなく われ とこしえに存続す 汝ら われをくぐる者、いつさいの望みを捨てよ」とありました。あまりおもしろくありません。読むのをやめようかな。きょうは、早起きしてずっとクツキーを焼いていました。明日の準備をしているのです。十人の人にプレゼントするには五十枚くらい焼かなければなりません。母が手伝ってくれていますが、それでもたいへん。老人ホームへ行って、歌を歌ったりするのです。私の心臓の具合は大丈夫です。元気にしています。心配してくれてありがとう。ブルー。いつもいろいろな質問に応えてくださって本当にありがとう。わけても、リルケを一緒に読んでくださって嬉しかったです。ヴァレリーは少しずつ読んでいます。深く広く文学に親しみながら、社会を考えていくという知の技術に感嘆し共鳴しています。私は、病気をしたり怪我をしたりで、友人たちとは出遅れてしまったのです。エドガー・アラン・ポーのことはこうした歩みのなかで、ポーの詩学がボードレールに及ぼした影響をゆっくりと考えて読み進めています。でも、いつも仕事が忙しいのです。(a thousand winds)は新井満の著書を読んでいます。これは私と同じ時期に父を亡くした友人が贈ってくれたもので、再び読むと今を生きていくことに勇気を持てる詩です。明日から森林における環境の予備調査もあるので、それに加わります。野生動物にもきっと接触すると思うけれど心配しないでください。日本カモシカぐらいです。そのあと軽い試験です。



〇〇六
スノウ。ごぶさたしました。環境調査、ごくろうさま。元気にしていますか。台風が来て去っていきましたね。僕たちは、ひと夏の間にたくさんのことを学びましたね。このごろの僕たちの「文学」が深く広くなっていくのは嬉しいことです。こちらはよい天気に恵まれています。あなたが病気や怪我に負けずに、健やかであることをお祈りします。(a thousand winds)僕もこの詩との出会いは新井満の訳したものでした。いつか読んだ本に、人は、死んだ後も、その愛は姿かたちを変えて私たちをとりまく自然や、大気となり、繊細に感じ取ることが出来るものには、いつでもそれを感じ取ることが出来るのだとありました。死によって愛するものが失われても、愛そのものが失われることはなく、私たちと共にあるということです。このことに気付けば、人は死に対する恐怖という幻想から開放されるでしょう。知識ではないものによって、この事を感じ取っていたように思えます。知識でないものとは、大きな意味での「愛」や「魂」で感じ取っていたということです。けれど、僕たちが今、肉体を持って様々な感情、愛、優しさ、いたわり、ときに苦しみや、悲しみ、絶望を経験しながらそれを乗り越えて生きている。「生きている」ということ自体が、とても大きな祝福の中にあるということに気付けば、自殺やいじめの問題も解決するでしょうし、そうあって欲しいと深く願います。



〇〇七
こんばんは、ブルー。試験で忙しくしていました。ところで、ルイス・キャロルの「不思議の国」第三章からハツカネズミが語る「長い尾話」(a long tale=tail)を知っていますか? ちょっとおもしろい図形を添付します。(ルイス・キャロル詩集:ちくま文庫)キャロルはフランスのマラルメと同年に亡くなっているのですね。長い尾に見えますか? この前の「詩人は作らるるものにして」はエドガー・アラン・ポーの「詩の原理」のキャロル版とも思えます。おもしろいです。それから、この間届いた手紙をずうっと読みながら一つの決心をしました。私が向かおうとしていることはとても困難ですが、でもやれると思っています。見守っていてください。自分の研究と、社会活動と、それらを統合して表現すること。夏の終わりまでは経理の仕事をしています。これも大切なことですから。「死によって愛するものが失われても、愛そのものが失われることはなく、私たちと共にある。生きているということ自体がとても大きな祝福の中にあるということ」ありがとう。またあたらしく頑張れます。(眠りから覚めると雨の音が聞こえた 私は雨の一滴になっていた 上を見上げると私は雲だった そして風だった 大気圏の上層にのぼり 私は光となった そして私は星に還った) 私の小さな詩篇を添付しておきます。


(秋の詩)
1.
本を読んでいると、それは私の詩集なのですが、わたしの名前が消えているのです。
ひどいことに、一行ごとにミシン線が入っていて、そこから破くことができるのです。
誰かが破いたのです。自由に破いて読んで構いません。どこからでも。

2.
きょうもペチュニアの花壇には、アゲハチョウが飛んできて優雅に蜜を吸います。
そしてゆるやかに舞い立つのです。急に朔太郎の「青猫」詩集の、(注)が舞ってきたのです。紙の蝶。そこにはこんなふうに書いてあるのです。
(註。「てふ」「てふ」はチヨーチヨーと読むべからず。蝶の原音は「て・ふ」である。蝶の翼の空気をうつ感覚を音韻に写したしたものである。)
「て」と「ふ」の間をスラッシュで読むんだな、きっとブルー/スノウのように。



〇〇八
おはよう、スノウ。「幸いなるかな(アシュレー)!」あたらしい詩篇を読ませてくれてありがとう。あなたが元気そうなので嬉しいです。1.アシュレーとは「進む」「うまくいく」という動詞アーシャールに由来する言葉。2.トーブとは「心地よい」「良い」を意味する形容詞で「わざわい」の対立概念としての「幸せ」「幸福」を表すものとして使われている。3.マカリオスとはいくつかの例外を除いて霊的な祝福について用いられている。時間や状況によって変動するはかないこの世の幸福ではなく、悲しみや不遇によっても、消されることのない神の祝福を意味する。それからと、『ニーベルンゲンの歌』は、五世紀のフン族の王アッチラのヨーロッパ侵入とブルグント(ブルゴント)王国の滅亡、そしてジークフリート(ジーフリト)伝説とに材をとり、ジークフリートの妻クリームヒルト(クリエムヒルト)の強烈な復讐の意志が貫徹されてゆく悲劇を、全三十九歌章の緊密な構成をもって力強く描き出しました。『ニーベルンゲンの歌』は『ニーベルンゲンの災い』とみなすという考えもあるようです。僕にはたしかに、そう見えますけれど。どうなのかな? スノウはどう思いますか?



〇〇九
こんばんは、ブルー。微熱が続いています。夏風邪です。久しぶりに集中した読書でした。
財宝への欲望に目が眩んでしまった一族は次々に悲劇に見舞われて「愛」を失っていくこの物語に、ワーグナーは感動して「ニーベルンゲンの指輪」に発展させたので、この物語の主題は「お金」なのだと思ったのです。「パルジファル」製作過程までを調べたかったのですが、きょうは無理でした。一八八〇年九月二十八日のルートヴィヒⅡへの手紙で、上演のためにはバイロイト祝祭劇場のみと規定して、いわゆる一般オペラと区別することにこだわっていましたけれども、ワーグナーの創作生活は最強のパートナーであり、特別の愛を注ぐコジマにかしずかれた創作生活でした。つまり、現実の生活と芸術を創作するための生活は違っていたということになるのですか? どうなのでしょうね。きょうの読書のなかでは、古代ギリシャの賢王ミダス王の「貨幣というものは大地を殺すだろう」と貨幣そのものが大地への呪いだと直感したところにとても感心しました。
これからの私の夢は、ヨーロッパの神話に題材を得た「絵本を作りたい」と思っているのですが、きょうは別な本に興味を引かれて読み耽ってしまったのでした。それと、お礼が遅れましたが、Louisのピアノ曲、ありがとうございました。今朝は夕べ作った(scone)の朝ごはんでした。なんにも入らなくても自家製はおいしいので、ブルーにも真空パックにして送りました。お楽しみに。「ブラームスの子守唄」の詩についてですが、このWiegenlied(聖なる子守歌)はスペインの詩人ガイベルによるもので、ドイツの風景とは異なるものです。聖母マリアが幼子イエスのために風のなかの梢の音を静めてください、と祈っています。そしてまた、ヤシの木はベツレヘムにはないと思うので、スペインの詩人による聖なる子守歌ですね。このあたりが不思議です。( Wiegenlied(聖なる子守歌)ヤシの木のあたり夜の風のなかにただよう。聖なる天使たち。梢の音をしずめてください。わたしの子が眠っているのです)私の体調は回復しつつあります。



〇一〇
こんばんはスノウ。(scone)ありがとう。体調はほんとうに回復しましたか?
「ブラームスの子守唄」は、ブラームスが指導していた合唱団員ベルタ・ファーバ(Bertha Faber)の第二児出産祝いに贈った子守歌ですよ。僕も一週間の秋の専門研修が始まります。すこし忙しくなります。僕らの社会では、無理をして自分の実力を一二〇%活用して生きていかないと、たいしたことは出来ないのだろうか。万葉集の歌から「うちひさす宮路を人は満ち行けど我が思ふ君はただひとりのみ」を贈ります。現代文みたいですね。早くスノウが元気になりますように。



〇一一
 こんばんは、ブルー。ほぼ回復しました。ありがとう。「弱い思想」というものについて考えていました。それから、映画「パッション」と「マリア」からは、学ぶことが多かったです。「人間的な感情から限りなく遠く、まるで石ころのように打たれ続ける」場面でした。現代思想を学んでいく必要があるので、二十世紀後半から二十一世紀の現代のイタリアをみるうえで、デリダとの共著もあるヴァッテイモを考えることは重要なことでしたので、とても参考になりました。この方向はまだまだ深めていくことになると思います。「あなたたちも今は悲しんでいるが、ふたたび私に会うとき、あなたたちの心は喜び、もうその喜びの奪われることはない。」印象深いことばでした。絶望するような場面がやってこようとも、「そして希望せよ」と考えていたいのです。
すこし、涼しいですね。夕方の風に吹かれていると、いつか聞いた曲を思い出しました。(May It Be)です。(願わくは夕べの星があなたに降り注ぎあなたを照らしますように。願わくは暗闇が降りてきたときにもあなたの心が誠実でありますように。孤独な旅路のああ どれだけ遠く故郷を離れたことでしょうか。暗闇が訪れたときにも信じていれば、道は見つかるはず。暗闇が降りてきても約束は 今も あなたの中に生きている。)




 〇一二
 こんばんは、スノウ。いつもの気管支炎かと思って心配していました。
映画「パッション」は四つの福音書からキリストの処刑の一日を忠実に再現したもので、サタンが群集を煽り立てるような描写がされていますが、この部分は聖書にはなく、福者のドイツ人修道女・アンネ・カテリーネ・エメリッヒ(一七四四年 一八二四年)の著書『キリストの御受難を幻に見て』にしかないそうです。「人間的な感情から限りなく遠く、まるで石ころのように打たれ続ける」場面のように、実際にこの映画を見てみると、目を背けたくなる場面が多いと思います。何故、罪のないものがこれほどの苦しみを甘んじて受け入れなければならなかったのか。裁判官であったピラトはイエスに罪を見出すことは出来ませんでしたので、彼を放免しようとしました。けれどユダヤ人の司祭長たちと守衛はイエスを十字架につけることを望み、ピラトはイエスを彼らに引き渡しました。イエス自身もピラトに自分の無罪を証明し、釈明する機会があったのにもかかわらず、運命を受け入れるような行動をとりました。
「まことにまことに私は言う。あなたたちは泣き悲しみ、この世は喜ぶだろう。そうだ、あなたたちは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。婦人は子を産むとき苦しむ、そのときが来たからである。だが子を産んでからはもう産みの苦しみを忘れる。この世に一人の人間が生まれ出たことを喜ぶからである。あなたたちも今は悲しんでいるが、ふたたび私に会うとき、あなたたちの心は喜び、もうその喜びの奪われることはない。」(ヨハネ書十六)最後の晩餐の夜、イエスは弟子たちの前で、自らの運命と霊の真理について語りかけます。イエスが苦しみを受け入れた理由も、これからのことも。「父よ、時が来ました。あなたの子に光栄を与えたまえ、子があなたに光栄を帰するように。」(ヨハネ書十七)

僕からも「リルケ」の美しい詩を紹介しておきましょう。(多くの遥かさの静かな友よ、きみの呼吸が空間をなお豊かに拡げるのを感じるがいい。暗い鐘楼の中にきみの響きを鳴り響かせるがいい。きみを蝕む悲しみがきみを蝕みつつ、いつか力強いものとなる。変身の境を風のように来り去るがいい。きみの最も苦しい経験は何? 飲むことが苦ければ、自ら葡萄酒と化すがいい。この量り知れぬ夜闇の中にきみの五感の交差路に、自ら魔法の力となれ、五感の不思議な出会いの意味となれ。そしてもし地上のものがきみを忘れたら、静かな大地に向かって言え、私は流れる、と。澄みやかな流れに向かって言え、私は在る、と。)「オルフォイスのソネット」より、「そしてもし地上のものがきみを忘れたら」です。
スノウ、「リルケの日記、一九〇〇年三月二一日」にある(あなたはぼくのところへやってきたのだ、声や形体として、あなたが、僕の手許にとどく前に。一つの森だと、僕に思われたもの。それはすでにあなただった。)のように、きょうは、川べりを歩いて森の小道を通って帰ってきました。過ぎていく雲の影と僕は、水の上にあって。北からの乾いた風が吹けば、この夏も終わるのですね、スノウ。「ああ、明日にでも行こう、あの島へ。おお、そしてあそこに小屋を立てよう。(The Lake Isle of InnisfreeW.B.イエーツおやすみ、スノウ。



〇一三
 こんばんは、ブルー。私たちの庭園は、春に咲いた薔薇が秋の薔薇になっています。(last rose of summer)って知っていますか? トマス・ムーアの「夏の名残の薔薇」って「庭の千草」のことで、原詩は恋人の変わらぬ愛を歌っていて、二百年前の詩なのだけれども、いまも通じるものがあると思いませんか? 「庭の千草」の最後は「きみの美しさが消えるその一瞬まできみを愛している」というようなフレーズがあって、昔の人ってロマンチストだったというか、生活全体の時間がゆったりと流れているので、「待つ」ことができたのだ、と思う。待っていることができた古い時代の美徳と思う。お互いの変容を寛容できたのです。(夏の名残のバラ 一人寂しく咲いている 他の花々は既に枯れ散り 近しき花も芽も消え失せた 美しいバラ色を思い起こせばただため息をつくばかり)
月末まですこし忙しいのです。昇級試験は良い結果でしたので、十月に勤務地の移動があるかもしれません。
(ああ、あそこなら、いつかは心も安らぐだろう。安らぎはきっと、ゆっくりとくるだろう(The Lake Isle of InnisfreeW.B.イエーツ)そんな場所があるといいと、今は思います。

2019年4月18日木曜日

Love for Viola 2019/04/18

実生の庭のビオラがようやく咲き始めました。
青・白・黄色のトリコロール・ビオラは、四月一六日の朝、咲いてくれました。
実生の種を採取して発芽させているので、「先祖返り」しました。
隣の青紫青のビオラがいつも咲いているビオラです。
とても嬉しいです。


混ざって咲いています。
可愛いです。










四月一七日の朝。ようやく咲き始めました。初めての1輪ビオラソロリア。



四月一七日の朝。ビオラソロリア2輪目を発見。



ワスレナグサ。




Love for Pansy.
路地植えのPansy

Picasso Brooch yellow.

                                               Pansy Deep Blue.押し花にすると深い青。





Love for Pansy.


2019/4/19/  Love for Blue