2018年6月30日土曜日

ブルーベリーの丘の姉


ブルーベリーの丘の姉







梅雨明けしました、真っ青な夏空です。
ブルーベリーを摘みに行って帰宅しました。











ブルーベリーの丘に暮らす幻の姉は、
ドイツから帰って来たばかり。

(私は坂をまっすぐ行くので、
あなたは左に折れて行くのよ)と言って、
夏空の中に消えた。

(お元気でね)(お姉さんも)

綿飴のような小さな手を振って、
二度と振り返りはしなかった。









2018年6月28日木曜日

6月の薔薇が散って、

最後のパンジとレオナルド・ダ・ヴィンチ、エレガンスローズによるアレンジメント。



あんなに美しく咲いてくれた、6月の薔薇が散って、




ユリノキ公園へユリノキの花を撮影に行ったのですが咲いた後でした。とても残念でした。





















緑の野菜の世話に明け暮れる最後の1週間が始まりました。ビオラペールブルーの鉢に発芽して花が咲き、実が生り、結実した蕎麦と、種を飛ばしているビオラペールブルーを刈り取ると、下から実生の朝顔と、プリムラポリアンサの株が出てきました。

先ずは、在来種の蕎麦。





そばの実。






刈り取ったあとの鉢。
右上の茶色の朔はビオラが種を飛ばした後。


冬を越したプリムラポリアンサの株と、実生の朝顔がぐんぐん伸びていきます。


元気な朝顔。



休眠期間を経て、葉が茂り、蕾が開いてきたプリムラポリアンサ。
枯れ葉を丁寧に除いて、萎れた花も摘みます。
花のプロポーションが整ってきます。




もう1つの鉢のプリムラポリアンサも元気に咲き始めました。
朝顔の種が零れているので、朝顔がここでも発芽しています。



朝顔は鉢や、庭の路地で次々と発芽していきます。
成長が早いです。


カランコエ
冬にショップで、購入して、3月まで咲いてすっかり枝が枯れてしまったので、思い切って枝を全部切り落として、土を代えると緑の葉がでてきた4月。庭にだしてやると元気に茂ってきました。蕾はまだありませんね、いつ咲くのでしょうね。


万願寺唐辛子
大きくなりました。
収穫して焼いて食します。




初収穫の、ピーマンと万願寺唐辛子。
丸ごと焼いて、鰹節とポン酢をかけて食しました。





リーフレタスとバジル、イタリアンパセリ


バジル





ハーブのサラダ。リーフレタス、イタリアンパセリ、パセリ、鰹風味の蒲鉾フレーク。
冷蔵庫に1時間入れておくとリーフレタスの食感が良くなります。塩・胡椒・ドレッシングでいただきます。


2018/6/28
午前5時より7時まで強雨。8時より小止みになったので、収穫。



緑のウェーブが美しい縮緬青紫蘇、リーフレタス。







サラダ野菜。


リーフレタスの食感を良くするために、刻んで冷蔵庫で冷やして置く。
ドレッシングをかけるだけ。



仕切りのあるタッパーで種類別
保存すると、使うとき便利。パセリ、バジル、トマト。

モロヘイヤ、ビタミン菜、水菜、万願寺唐辛子、水茄子。




山椒の葉と信州味噌で「山椒味噌」をつくる。
浦町の浦川で釣ったウグイを塩焼きして、山椒味噌を付けて食す。美味。
6月の川には、ウグイが泳いでいる。いまは鮎はいなくなった。








魚を塩焼きして、山椒味噌を付けて食す。
六月の川の楽しみ。

水茄子、万願寺唐辛子も塩焼きする。

2018年6月25日月曜日

小島きみ子詩集評 詩素第4号から


詩集評       小島きみ子



(一)      福田拓也詩集『倭人伝断片』(思潮社)
息絶えて、なお亡命する詩篇

詩集『倭人伝断片』は、巻頭に「「倭人伝」断片」の作品がある。このタイトルを見て、すぐに思い浮かぶのは『魏志倭人伝』のことで、ブリタニカ国際大百科事典に拠ると、中国・晋の陳寿(233297)の手による三国志の一部で、三世紀ごろの倭人社会の様子や風俗を描写し、外交記事も収め、朝鮮半島から邪馬台国までの国々が記されている。中国の歴史書のなかで日本に言及しているのは、後漢の班固の撰した『漢書』 (120) のなかの地理志が最古である。


作品の「「倭人伝」断片」は散文詩。ほぼ六行の構成で六連ある。タイトルと本文の間に「草木茂盛し、行くに前人を見ず。」の『魏志倭人伝』からの引用の一行がある。この一行を引き継いで第一連が始まる。文体は、内心との問答のようでもあり丈高い、草の生えた道とも言えぬ道を、「石の積まれた空から成る聖地」を、案内人に従って歩いて行く。道案内人は若者。何処を目指しているのかというと、此処は日本では無くて「アリゾナ」であるが、意識は果てなき果てを浮遊し漂白している。第三連では、山の岨道を辿る。〈いつしか緑に覆われた古墳の入口の石段から壁伝いに漢字の字画の中に、それは果てることなく続く壁の連続で、〉、〈その狭いしかし果てしなく続く迷路の壁の中で、〉。第四連では、〈わたしはあの人と一緒になった、倭人伝という書物には草深いわたしたちの集落に文字はないと書かれていたというのがあの人の口癖だったっけ〉と続く。〈あの人〉とは、だれを差しているのだろうか。第一連の案内人の若者とは別の人であるという気配が漂う。文体になにかが憑依していく。憑依したものの息と、こちらの息があえばよいと思う。


〈あらゆる字画を辿り、漢字の風景そのものとなった、そこでは木々の葉は風にさやぎ鳥が囀り、私は風景に目を開かれ、しかしわたしの体は新たな文身を無数に施され傷だらけになっていた、さまざまな部位が余計なものとして切除され、空に血のにじみ出る暁闇にわたしは息絶えた、〉第一連最終行で〈やがてかがよい現われてくるものがある、〉と述べるその〈かがよい現われてくるもの〉の漢字の文様と風景のなかでわたしの体は息絶え、そしてなおも、著者であるかれは、『倭人伝』の書物なかに、人間の体の拘束を解かれて入っていくのだった。書物のなかの文字になるとは、倭人伝のなかを漂白する魂、そのもとなったのだろう。それほどの憧れと陶酔が倭人伝にはあるのだろう。歌となってあるという在り方も、その歌のなかの声と文字のなかに入る。入るという感覚は、喪われる、ということで、喪われると同時に、蘇る在りようの断片が、ここでは散文詩として書かれている。


案内人に誘われて、〈果てしなく続く迷路の壁の中で、わたしはあの人と一緒になった、〉とは、なんという幸福だろうと、思う。最終連最終行〈字画をゆるやかに辿る者たちを光らせる斜面ごと空に歌として上昇する白い肉を模造する(くに)()という視点まで、〉
 詩集は、「「倭人伝」断片」の他に十六の作品を所収する。巻頭から二番目の「香具山」は、見開き二頁の散文詩で、冒頭小見出しにこのようにある。〈歌としてわたしの死骸がいわば裏返された鏡の裏側の文字を知らない歌の光輝く風景を(くに)()する天乃香具山という視点が死骸の無数の傷口から開かれて来たのだった、〉とは、「「「倭人伝」断片」の最終行を引き継いでいるのであるが、此処は、JR桜井線の香具山駅で降りて、〈(なき)(さわ)目指して延々と歩き続けていた〉とある。作品は歌の裏側を歩く。こうして、それぞれの断片はすべてが「死後」である。さまざまな意味の文字群が紙から解かれて、ほぐれて崩れ、わたしというものも地にばらまかれる、わたしという肉体も、実は文字で固められたテキストであって、意味をほどかれて、自由になる。だから散文詩の終末が読点で繋がっていくのだろう。
転調は、「灰の裸体、光の灰」からで、文字の息継ぎが変化する。⒕の散文に行分けが混ざる中の9.の第一行目に「言語は限りない亡命だ、訓読という尻尾をひきずりながら言葉を口にすることで亡命を図る」は、言語と言葉の違いだろう。⒒の一行目〈顔の連鎖が語の連鎖となるとき、言葉の連なりの展開される場は天とも地ともつかぬ鏡の裏側に想定される、したがって顔たちは自分の顔を見ることがない、〉とは、どういうことだろう。古代の鏡は銅鏡で顔は鮮明には映らなかった。だが、顔が鮮明に写るとき、顔の意味の信実を知ることになる。鏡の顔(=言葉)の信実を知るとき、破壊と蘇生が同時に始まる。後半「住吉(すみのえ)(こう)」は〈マルクスの一ページから飛びだしたかのような〉に始まり〈現れては消える/列島の幻〉まで十九ページに亘る長篇詩である。《歌に絶えざる死をもたらす道行き》であった。


(二)      福田知子詩集『あけやらぬ みずのゆめ』(港の人)
ふりわけられし水のエートスのゆくえ

福田知子さんの作品は、詩誌「めらんじゅ」で読ませていただいてきた。彼女のお父さんの作品がなぜかわたしは好きで読んできた。詩集全篇が詩の対象に、まごころで寄り添っているのだが、今回の詩集は、『あけやらぬ みずの夢』というタイトルに沿って前半に六篇の水の詩、後半に四篇。中どころ「雨の底から 樹の底から」五篇と「夏に出会う」六篇の行分け詩で構成される。行分け詩は、水の流れが浸みるように言葉がやってくる。巻頭詩の「ふりわけられし水」には、私も慣れしたしんだノヴァリスの青い花のイメージが流れる。〈見えるものは見えないものに触っている〉そしてエートスのゆくえが最終行で暗示される。わたし自身と同じようなイメージを追求している詩人の言葉を探求していく。〈どこにいくのだろう/私たちのはかないゆめ/ふりわけられし水/の エートスは〉。


読み進んでいくと、幾つかの(おのの)に出会う。作品「川の視線」では、〈水の気配に呼びとめられて歩く 朝/水音は一雨ごとに懐かしい詩人の声になる/響いてくる風音は 秋枯れた(くさ)(むら)の少し向こう/網の目になった虫たちの(ねぐら)からの伝言/(省略)/近づき 流水にそっと手を浸せば掌は影でみたされる/その水の その川の その視線の 何年も昔から――/この星の愛の深さによって生み出された(おのの)き それら視線〉。作品 「海」では、〈この星は憶えているだろうか/いくつもの魂を宿しては破壊する/  もはや人びとが忘れてしまった/海の/光に満ちた憤りの深さを〉。
(おのの)きと憤りは、「はなびら」という作品で鮮明になる。二〇一一年三月十一日の東日本大震災での東北の津波災害を想起させる内容である。



アイリは姉 死んでいる/ジュリは妹 生きている〉〈津波がごおっとやってきて/はなびらのように魂 抜いて・・・った〉〈あいする人がいること/はたらく場があること/この二つがあるとひとは生きられる/ならば/あいするひとをつくろう/ジュリは死んだアイリをあいするひとにした/ならば/はたらく場をつくろう/お母さんは死んだアイリのオムライスをつくるためにはたらいた/アイリの魂 どこへいったの?津波とともに海の彼方に帰ってしまったの?//ちがう ちがう とジュリは言う



福田知子さんは、心を籠めて人間の痛みと悲しみに寄り添っている。
他者の痛みに寄り添うということは、作者の自身の心も痛みに刻まれていくことで、そのような詩を書くには大きな愛の力が必要とされる。愛の偉大さは、傷ついた者であるとき、傷ついた者を救うことができる。日本に留学して帰国を目前にして拘束されて獄死した尹東柱へ寄せた詩篇、スペイン内戦の際にファランヘ党員によって銃殺されるという悲劇的な最期を遂げたガルシア・ロルカに寄せた詩篇の他に、彼女の愛猫「あも」の死に寄せた作品「わたしはかつてレモンの葉脈を」には、命の愛おしさがあふれている。愛をくれた「あも」が居たという喜びと悲しみが、レモンの葉脈の文字が、レエスのように翻り、読む者もまた涙が尽きない。全篇を通して、ゆるぎない良心を受けとった。その温かな余韻と、愛猫「あも」を喪った嘆きを、永遠の喪の愛として受け取った。

2018年6月22日金曜日

6月の緑の暮らし(後半)

私は、小さな庭を持っています。
パクチーの白い花は、レースフラワーのようです。
葉は匂いが苦手なので、別名のコリアンダーの実を収穫する方向です。
花が少しずつ咲いて、実がなって、ハーブの葉が茂り、花と緑の香りがする庭、
その庭で詩を構想しフラワーアートのデザインを考えていきます。








ミニバラのエレガンスローズは、5月の終わりに咲き始めて1番花は終わり。10本をドライフラワーにして、2番花が咲いています。黄色、オレンジ、レッドとオレンジを混ざり、最後はクリーム色になって終わっていきます。小さな花ですが、楽しませてくれます。



花と緑への愛。
この愛は



この愛は深くて、
夜が開けても、
涙がとまらない。
小さき花の小さき命を守っているのは、
あなたであり、
わたしであり、
心の庭の花はいつだって、

寄り添って香るものだから。




花を摘む。
Pansy lemon yellow.







緑の暮らし。
ハーブを摘む。
青紫蘇13枚、山椒25枚、パセリ、イタリアンパセリ。(2018/06/18収穫)

山椒は、山椒味噌にします。冷や奴、焼き魚に合います。



マーガレット。

十分に咲いてくれたマーガレット。花が枯れて種子になっていきます。切り花にしたのは、発根していて、挿し木をしました。育つということの植物の力を見せてくれました。




6月の薔薇が散っていくので、摘んでポプリにします。薔薇に付いてきた天道虫は益虫なので外へ逃がしてやりました。受粉のお手伝いをしてくれるといいなあ。


紙箱に入れて天日で2週間乾燥させます。





夏の草花を育てていくために、限られた庭の土の上にある春の花たちを諦めていく決意をする六月。甘いsweet lemonの香りのパンジー。




love  for Pansy  の後半の作品。
あと8枚を制作すると、プランターの花と同時に制作も終了し、完成です。




フラワーカード




フラワーカードは、個展の時の飾り方に工夫が必要です。
こんな感じになります。販売も同時に行います。



Love  for  Pansyの新作 個展のメインにしたい考え。湾曲しているので、額に入れないで壁に立てて飾れます。2つの作品を1対にしたタイトルにしたいと考えています。
花が瑞々しいままに、押し花として完成して嬉しい。











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リーフレタス摘む











薔薇の樹下に、バジル、イタリアンパセリ、パセリ、バジル、青紫蘇、パクチー(白い花)中央の大きな葉っぱはブロッコリーです。2本植えてみました。とても楽しみです。




ピーマンの花が咲いて実がつきました。たくさん、なってくれるといいな。丸ごと焼きピーマンの煮浸しがこのピーマンで作れるといいです。







万願寺唐辛子まだとても小さい。










「プヨ姫」という苗のプチトマト。



一房のプチトマトの実がつきました。地面すれすれですが、色がついてくれるといいな。




プチトマト「オレンジパルチェ」路地には空き地が無いので、育苗ポットで育てています。トマトは雨に当たると落下しやすいので強雨のときは、ポットごと屋根のある場所に取り込みます。





ブロッコリーの鉢植え。とても大きくなりましたが、まだ花は咲きません。





寄せ植え。パセリ、バジル、アロマティカス挿し木、ミニヒマワリの発芽。


実生のヒマワリも強雨のあとに発芽してきました。




2種類の花を昨年育てていたので、2種類のヒマワリが咲くと思うのですが。











緑を楽しむ。庭の下方に緑があると、上方の花が落ち着いて綺麗です。狭いので、全てのハーブは鉢植えで寄せ植えです。左から、ヤマユリが上の方で伸びています。スリム葱、ビタミン菜、京水菜、モロヘイヤ、パセリです。





ビタミン菜、京水菜、スリム葱。このくらいで摘みます。また種まきすると10日ほどで発芽します。緑を楽しむと同時に、収穫の喜びもあります。




ゴーヤの花。
ゴーヤはネットを張って育てるのですが、狭いので支柱に蔓を這わせていきます。
2本植えてあります。多分、トマトの枝に蔓を伸ばしていくと思います。支え合い菜園ですね。隣会う植物同士で支え合って雨風に耐えていくのです。この下にはスリム葱を植えています。施肥は少量ずつ、1週間に一回やります。水遣りは朝、毎日。雨の降ったあとは、夕方に土の様子を見て、水遣りをします。小雨はあまり土に沁みていません。



ゴーヤのらせん状の蔓。
伸びたい処へ自由に伸びていく優れた蔓。
葱は九条葱です。葱をまたいで支柱に上手に絡みついて上へ伸びていきます。
賢い。




ビオラの鉢に芽吹いた庭蕎麦です。蜂が来てくれていたので、受粉して実が入っています。小麦粉と混ぜてクッキーの素材になるだろうと思います。あともう少し。


蕎麦の葉っぱは、♥形です。下に咲いているビオラは、この後刈り取って、夏の花アスターを植えることになります。


2017年の秋に蒔いたミックスベジタブルの種。
つまみ菜として摘んで、その後に残っていた菜が成長して花を咲かせて、seedになりました。植物の1年が終わり。また始まります。種子の莢を付けていた雪白体菜の花。
ようやくseedの収穫になります。



秋に種まきすると雪白体菜(しゃもじ菜)が発芽するかな。楽しみです。




種子の収穫その2.
まだ乾燥が不足です。もう1度やり直し。






3月、4月にたくさん咲いてフラワーアート創作の素材になってくれたプリムラ。休眠期間を経て、6月に蕾が出て咲き始めました。2018年1月に購入した株。



2016年から冬を越している株。





白百合の苗を2本植えました。
蕾が付いている苗なので、咲くのが楽しみです。


白百合蕾。



ヤマユリのムカゴ。



ヤマユリの蕾。




 6月にアスターの苗を植えたという宮沢賢治。そんな賢治にならって植えたアスターが根付きました。プランターと路地に10本。来月には咲くと思います。1輪咲きとスプレー咲きです。
 大阪で震度6弱の地震発生2018/6/18、SNS.の情報を見つつ、テレビを見る、外壁の下敷きになって亡くなった方がいる。小学校の外壁も崩れて亡くなった児童がいる。心からお悔やみを申し上げます。淡々と日々の暮らしを守っていきたいです。