2017年10月2日月曜日

草間彌生の『無限の網』と/十六年目の(ケー子)

  小樽市の詩人・杉中昌樹さんの企画した「現代美術の夢 第1号」[現代美術+]に「草間彌生の『無限の網』と/十六年目の(ケー子)」を寄稿しました。


草間彌生の『無限の網』と/十六年目の(ケー子)    小島きみ子

*(水玉)と(網目)
草間彌生は、一九二九年長野県松本市で生まれた。水玉と網目と突起物をモティーフにした、幻想的な作品を制作してきた。十歳のころ、「無題」という母親の肖像画を描いていますが、初期の(水玉)である点々とポツポツが背景と顔に描かれています。水玉は自己と他者の消滅を念じるものであったとしても、なんという美しい母。ニューヨークでの一九六〇年代後期の個展での部屋の家具も点々と網の目で、人と物を相互に結びつけた同一性は、すでに少女時代に、人と物の同一性としての水玉が意識せずに描かれていたのではないか。草間彌生の現実には、水玉や突起物が現実のもののなかに存在したのだ。脅迫観念と幻想と撹乱の芸術創造の現場で、彼女の病と苦しみは制作することで、苦しみから解放されるものだった。そうした作品は、母親に〈おまえなんか生まなきゃよかった〉と言われた。それでもなお、草間彌生の〈水玉〉と〈編み目〉はだれにも止めることはできなかった。
*自己の消滅と永遠
一九五七年単身渡米。一九五九年ニューヨークのブラタ画廊で初個展、五点のネット・ペインティングを発表。前衛芸術家としての地位を築いた。一九七三年活動拠点を東京に移し、一九九三年ヴェネツィア・ビエンナーレで日本代表として日本館初の個展を開催した。二〇一六年に栄えある文化勲章を受章。草間彌生自伝『無限の網』(作品社)の七十頁~七十一頁に、「一九五四年:昭和二九年)二月、東京の日本橋白木屋百貨店で、私にとって三回目の、そして東京ではじめての個展が開かれた。この個展の案内状に推薦文を寄せてくれたのは、瀧口修造、式場隆三郎、植村鷹千代、阿部展也の四氏である」、とある。パリ行きを中止し、東京で個展を開いたのは草間彌生が二五歳のとき。自伝『無限の網』は、果てしない無限の宇宙の神秘を量り、一個の水玉である自分の生命を描きたい―。ニューヨークでの無名時代の生き地獄、襲いくる心の病にも負けず、社会の既成概念に挑み、芸術への尽きせぬ情熱を開花させた。自伝『無限の網』の文中に、〈模様は地球のマルでも太陽のマルでも月のマルでもいい。形式や意味づけはどうでもいいのである。人体に水玉模様をえがくことによって、その人は自己を消滅し、宇宙の自然にかえるのだ。〉とある。彼女の出身地・松本市立美術館の中庭の入り口に三人の女性の裸体の上に赤い水玉模様のある作品がある。現代的な八頭身のフォルムで、少女、娘、母へという成長の変化が見られる。白い皮膚の上の丸(●)という模様は結合した卵の命そのものしてあった。
*ブレイクスルー
二〇〇一年の夏休みは図書館で草間彌生の小説やエッセイに耽溺していた。すべては市立中学校第三学習室における多重人格障害の少女ケー子との出会いが始まりだった。無限の網(Infinity Net)とは意識と無意識が自由に出入りする永遠の空間なのである。二〇一七年夏、ケー子はゆるやかに手を振ってブレイクスルーしてきた。



*十六年目の(ケー子)
新しくオープンした高原のスーパーへ行った
朝から雨が降っていたが火曜日はスタンプ二倍セールなのだ
買い物を済ませてカートを押して駐車場へ向かう途中で
センセーという頓狂な声を上げて近づいてくる女性がいた
一目で(ケー子だ)とわかった
ケー子は誰も知らない秘密の入り口から今此処に来た
古い木造校舎の中学校の薄暗い階段下は
床下で生まれた仔猫がバスタオルにくるまれていた
ケー子もキズだらけの裸身を紺色のジャージーでくるまっていた

青葉が萌える火曜日の午後一時半
木造校舎の床下からスーパーの駐車場まで蝸牛の軌跡で(ケー子)は来た
図書館と社会科資料室をベニヤ板で仕切った
「第三学習室」から脱出して
週五日パートで労働していたのだ
多重人格障害のケー子は今や立派なレジチェッカーだ
わたしがサポーターと呼ばれていたあのころ
(ケー子)は若い男性教員に手当たり次第の恋をしていた
いきなり抱きつき接吻をせがむので
相手はうろたえて床に押し倒されてしまう
すきだよ
キスして
あの子は虚無という肉体の文章を
キスして、という言葉で開示していた
それによって
暴かれていたのは
わたしたちの第三の自己(エス)だった
(ケー子)は
永遠の(水玉)と無限の(網目)だった
なにがどうなっていたのか
なにをどうすればよかったのか
なにもどうにもならなかったのだ

(ケー子)
あの子は私たちの知らないそっち側に居て
こっち側の私たちの頬をいきなりベロベロ舐めるのだ
センセーあたいはセンセーのことすきだったよ

(ケー子)
赤い制服のエプロンは黒と白の(水玉)模様だ
もはや紺色のジャージーではない
命の●のエプロンだ

(ケー子)
第三学習室のベニヤ板の前で
蝸牛のように
テカテカの軌跡を残して

忽然と消滅した十五歳の女の子の(水玉)であった