2014年10月1日水曜日

小島きみ子の花と勅使河原冬美の現代詩コラボレーション(5点)

 小島きみ子のドライフラワーと勅使河原冬美さんの現代詩によるコラボレーションです(5点)。この作品は、2014年10月16日(木)から10月30日(木)まで長野県佐久穂町の「ギャラリーくろさわ」http://www.kurosawa.biz/landscape/gallery.htmlに於いて開催する『小島きみ子の花と現代詩』で展示されます。展示する花額のうちの5点は勅使河原さんとのコラボです。あとは、小島の花と詩です。ブログ公開の作品は、先に花額の制作ができた後に、詩の創作を依頼しました。写真を見て、詩作に入っていただいたのですが、私から見ると、お互いの作品がより豊かに深まったと思っています。作品展の前に、遠方に在住で長野へ来れない方のために公開しました。ご感想などお聞かせいただけましたら嬉しく思います。


9月の「くろさわギャラリー」の様子です。












                                                                                               















薔薇の埋葬  勅使河原冬美

箱という字は形態を少しずつ変え複数存在する。
変化の儀式。薔薇の戯曲が蘇ったようだ。
つまり散らばったモンタージュ。
それは埋葬の冒頭。
教会へ向かうフラメンコ音楽を流す馬車。
過去の無闇な習慣と魔術の遍歴。
あのときに開けられる!


薔薇は、レオナルド・ダ・ヴィンチ。七月の薔薇・ドライフラワー。








 花  『ガス心臓』  小島きみ子
“ガス心臓の渦中にある詩”勅使河原冬美


心臓の泡、混血の白書を。ガス心臓の笑い種。それは豊かな一寸弱の草花の茎がまたもやバラードを。スペイン語お好きだね。二重の魚よ。数日分の映画を集めていこう。






(素材・シロツメクサ(クローバー)をおよそ150本。中央に二つの赤松の種子。左半分は茎)




『銀色のガス心臓』

その濾過された、或いはそれを拒否した芽。ご契約の多色化。つまりエデンの園での旋回する街灯。ガスよ浮遊したまへ。









(センダンの種子およそ50個を乾燥させて銀色のハートにしてあります。)









花 『二人のハートはチアノーゼ』 小島きみ子
詩 ” 二階の踊り場で。君を撃とう。”   勅使河原冬美







ありきたりな愛ではなく波打ち際の制服か騙し合いだろうか?
消えたら逃げて。スープを飲み干すまでの60分はチアノーゼを患う。



(素材。白額・シフォンリボン・センニチコウ・クロホオズキの種子・白薔薇、ピンクの薔薇・中央   にマロニエの実・野茨の実)




10月4日(土)少し修正しました。どこがどうなったでしょうか。
上は赤紫のセンニチコウですがその隙間に青紫の花を挿入しました。
いかがですか?















定刻には来ぬ月に。たまには寂しさが。露呈した輝きが腐るか瑞々しくなるかはその睫と目玉と口だけ。独りぼっちの兆し。必ず玩具のピストルで。二階の踊り場で。君を撃とう。


  (素材。ブラウンの額。シフォンリボン・センニチコウ・白薔薇・ピンクの薔薇・野茨の実)






もうひとつ制作しました。詩の言葉に誘われて、いままでそれが有った場所とは別の場所へ
画面にあった物質が移動した。そんなふうに感じています。













右から左へと流れてゆく赤紫のセンニチコウのむらさきの唇。薔薇色の透き通る皮膚を透かせて流れる心臓神経症の血流。(小島きみ子)





★その他の作品






クローバーの丘に咲いていた薔薇とミニヒマワリ
















15本の薔薇をあなたの誕生日に贈った
黒薔薇黄薔薇白薔薇オールドローズパンジーのドライフラワー










誰のあとをついていけば、
そんなっ巨大な唇に出会うのだろう、
シュペルヴィエル、
きょうの月は細い月で光が足元に届かないというのに、
アオサギの巣を目指してアカシアの林を抜けたカラマツの上では、
唇のような月ですね、あなたと出逢った日のように。
(9月30日)


 この道を歩いて行けば誰に出会える?未だ月も昇らぬ黄昏の道をあるいて行くと、坂道は水色になり、零れる言葉と映像の水分。「恋愛とは二人で愚かになることだ」と言ったのは、ポール・ヴァレリでした。リアルな現実とシュールな現実を想起してみて納得します。Sanft wie du lebhst du hast vollendet. 君が生きている、そのようにやさしく、君はことを終えた(稲垣足穂)音とイメージが、イメージと音が自動機械のような精密さでうまくかみあい、その結果〈意味〉などというつまらぬものが入りこむ隙間が残されていないときにのみ、言語は言語そのものであるように思われた。イメージと言語が優先する。(ベンヤミン『シュルレアリスム)』)ひとは愛する対象をいたるところに見出し、いたるところにそれと類似したものを見つける。愛が大きければ大きいほど、この類似のものの世界もいっそう広大で多様になる。わたしの恋人は宇宙の短縮であり、宇宙はわたしの恋人の延長である。(ノヴァーリス 『信仰と愛』)今宵もよき夜をお過ごしくださいませ。