2019年11月30日土曜日

初冬のスワッグ他の写真


初冬のスワッグ
素材:アケビの蔓。ヘクソカズラノ蔓。野茨の枝。ノリウツギの枝。綿の花。




冬薔薇。レオナルド・ダ・ヴィンチ。15個咲いています。
葉っぱはもう冬の霜が降りて傷んでいます。





(1)黄色の小菊が霜が降りてオレンジ色の寒菊に変化。
とても美しいです。





(2)




冬のタンポポ
秋からたくさん咲きました。たくさんの綿毛の種子を飛ばしました。




美しく紅葉した眩しい花楓。
風で散ってゆくので、もうじき終わります。




南天が色づいてきました。





今年最後のルバーブ収穫。
天候が不順で弱ってしまったルバーブ。
なかなか収穫できませんでした。





美しい秋の葉っぱ
ギンドロ。




美しい秋の葉っぱ






蔦の葉で、デザインする。









モクセイ科のヒイラギが白い花をつけていました。
傍を通ると良い香りがしますよ。





















11月29日までに到着している詩誌詩集




1129日までに到着している詩誌
Zero」第13号、「揺籃」第16号、「千年樹」第80号、「アンブロシア」第49号。ご送付ありがとうございました。誌名を記して御礼とします。



朝倉宏哉『叫び』(砂子屋書房)|
詩として差し出している作品の言葉がとても良く伝わる本です。後書きを読むと「千葉市詩話会に初出し、会員の鑑賞、批評を仰いだものである」とあります。合評会での切磋琢磨の批評によって到達した部分もあると思いますが、重くなく、軽くなく、やわらかく言葉がこちらがわへ手渡されます。44P,「こころの姿」から。「こころが折れる と言う/ こころは棒のようなものなのか/折れるとき/ぼぎっと音をたてるだろうか/どのようにして復元するのだろう(省略)」








越路美代子『あしあとの海辺』文化企画アオサギ
@gdJ8qJQSAavNm9G
 |「ユビキリ ゲンマン/イッショニ マタ/出逢イマショウ/おお/記憶と 言う/〈Magie )!」48P.「昼さがり」より|やさしい音楽の調べが言葉と言葉の行間に奏でられています。*Magie は、仏語で「魔法」の意。



2019年11月27日水曜日

「僕らの罪と/秘密」


4年前に公開した詩篇「僕らの罪と/秘密」。2018年に制作した詩集『僕らの「罪と/秘密」でできた金属の本』と斜線の引き方が違う。どうして変更したのかは、まったく思いだすことができません。精神と心理は、専門家では無いので知識がありませんから、「わたしじしん」を、「わたしが」見つめ直すしか方法が無い。興味深いなあ、私の内部に存在する「あなた」とは、20151127日に感じて見ていた、「私の内部に存在する」ものが「あなた」という「あなた」とは輪郭を変えているのだ。私の内部とは違う、「あなたの内部」では新しい感情が生成されている。それは、言葉を裏切るものへの怒りです。怒りを、言語意識に高めていきたい。そうでなければ、言葉を素材にして現代詩創作の現場いるものの存在が危機的そのものになると思う。




僕らの罪と/秘密         小島きみ子
今や、恐るべき虚無と絶望の芸術の時代が始まるのです。
私の内部に存在するあなたとは誰か。なぜ存在があって、無があるのではないのか? なぜ私の知っていることがあるのか? という問いを発してみようと思う。ジル・ドゥルーズでは、人間=男であることの恥ずかしさ―この生成変化は、彼女がその権利を主張することもできよう状態とは何の関係もない、と言うのです。眼差しで殺すことが出来たら、眼差しで妊ませることができたら。道路は死体と妊婦でいっぱいになるはずだ。と言ったのはヴァレリーでしたね。
彼は、脳に水を溜めたまま絶食をして逝った。
列島はもはや盲目の暗闇にすぎない。昼夜の区切りのない破廉恥な社会であり、市民全員が白痴とみなされ、日常的絶望は曲がりくねった時間に呑まれ、世界の暗黒ユーモア詩集は、移ろいゆく相のもと、仮装の森の美術館「罪と/秘密」の木の下に展示されているという手紙をくれたのでした。
僕の言葉は、もはや僕だけのものではありません。
今の僕は死後であり、あらゆる空間に空気のように入り込んでいく純粋な原子番号38状態です。僕は、すべての人の言葉を持っていて、ロランバルトがテキストの快楽で述べたように、同一の位置に局在する二重の機能を合わせて成立するひとつの違反活動を想像してみてください。しばらく待っていてください。僕はもうじき今夜にもあなたの傍に局在します。
あなたが指摘した僕のプラトン的微笑み。
それは、幼年時代の思い出の映画の横顔でした。あのシラノドベルジュラックの「必然性」なるものは、常にモンマルトルの、常にアポステリオリのレモネードでした。僕にとって、あなたと僕の、舌と襞は、僕らが愛した、あの猫とこの猫とその猫の野獣の舌でした。純粋と、瞬間的の永遠の熱狂へと、連鎖する夜の百合の舌でした。旧い手紙の断片を紐解いて、罪と秘密を解き明かし、夜を語りあかし、真珠色の沼地へと封印されるのです。
複数の人称を持つあなたと僕の層、膜。
自ら受胎し生育する僕の内に潜むあなたを、再びあなたの層へ。あなたと僕の(受精卵)という膜を突き抜けて。必然的な物語として、精神脳髄意識に存在する虚無と絶望の層。僕らが、今もなお死に続けていることへの、永遠の愛という喪の始まりは、僕らの罪と/秘密。

Lesson (エウメニデス35号)


画像に含まれている可能性があるもの:空、雲、木、屋外、自然




(エウメニデス
35号より転載)Lesson 




 さて、一つの方法としてわたしは水底を求めた。

水はわたしを引いて道を開けた。Ekstaseだった。何故ならそれは(わたしはわたしじしんからぬけだす)というギリシャ語のexistamaiに由来するので。

淵、ではわたしより先に来ていたバロツク的な装いの「方」がいらしたのでフロイト的サイコセラピー的な自己紹介をしなくてはならなかった。

(現実の破壊と生の起源とは無への帰還でしたので。)その「方」は(フーン)と言った。

閉じていた二枚の頭の翼を広げながらここでの過ごし方として、琴の音が聞こえても上昇してはいけないと念をおされたそれは精霊に恋をすると再びの死を遣りなおさなくてはならないのだという。

もはや。外部ではなく世界の内部だった。それを忘れたらわたしはこの世からもあの世からも消えて無くなるのだ。

2019年11月24日日曜日

自転車にのるクラリモンド|石原吉郎


石原吉郎のことを地元紙が特集を組んで連載したのはいつだったのかなと調べてみると、2009年だったらしい。そのときの新聞からのコピーです。シベリア抑留生活は想像を絶するものですが、ここにあるのは、ママレードには愛。〈ものがたりがはじまった/町には空が/空にはリボンが/リボンの下には/クラリモンドが〉と、愛はうつくしいな。

自転車にのるクラリモンド|石原吉郎(文章くらぶ195512月)


自転車にのるクラリモンドよ
目をつぶれ
自転車にのるクラリモンドの
肩にのる白い記憶よ
目をつぶれ
クラリモンドの肩のうえの
記憶のなかのクラリモンドよ
目をつぶれ
 目をつぶれ
 シャワのような
 記憶のなかの
 赤とみどりの
 とんぼがえり
 顔には耳が
 手には指が
 町には記憶が
 ママレードには愛が
 
そうして目をつぶった
ものがたりがはじまった
 
 自転車にのるクラリモンドの
 自転車のうえのクラリモンド
 幸福なクラリモンドの
 幸福のなかのクラリモンド
そうして目をつぶった
ものがたりがはじまった
町には空が
空にはリボンが
リボンの下には
クラリモンドが

2019年11月23日土曜日

星に呼ばれて










星に呼ばれて

星の声が落ちてきました 
見えてしまう人には見えてしまうのでしょうか 
あなたによばれて 母によばれて 
湖に出て小舟をこぎました


小舟を降りて 
湖のほとりを 
あなたとの思い出の 
白いアルバムを抱えて歩いて行くと 
母はもう準備をしていたのでした 
わたしの長男が生まれて 
ひとつきが過ぎたので 
お宮参りに行くと言うのです
子どもに着せる 
水色のベビードレスと 
わたしが着る 
夏の着物を 
桐の箪笥の前に出して選んでいたのです 


私の姿を見つけると 
すぐに母は「お風呂に入れなくちゃ」と言うのです 
子どもはまだとても小さいので 
新米ママのわたし一人で世話ができそうです
子どもに 
産着を着せて 
藤籠に下ろすと 
もう寝息をたてている 
庭に落ちる樹木の翳が濃くなると 
さっきまで世話をやいていた母が 
それらの翳のなかに入っていく 
の葉の翳よりも小さくなった母が青い闇のなかで息をする


 
「七五三はどうするの?」
「まださきだから」
「それまで生きていられるの?」
「だいじょうぶだから」
「そう?」
「そうよ」


とおくで大きくなった息子の声がする 
ママ、ママ! 
ああ おかあさん 
わたしたちはだいじょうぶだから 
ここで、待っていて 


《暖かい布のように 私は夜を身にまといたい
その白い星と その灰色の呪いとともに
昼の鴉を追い払う そのたなびく先端と
孤独な沼沼で湿った その霧の総飾りとともに》
    (ゲルトルート・コルマル・「変身」より)









2019年11月19日火曜日

うぐいすの里からアケロンの川を渡って


うぐいすの里からアケロンの川を渡って|小島きみ子

ポプラの並木を通るとき、激しい息苦しさに襲われるのは、そのためだったとでも言うように、あの日あなたの横顔に絶叫した。あなたの横顔は、中世の芸術家が彫刻したその石の像のように、お母様が膝の上に抱いていたその人だったからです。わたしの髪はあなたの足に注いだ香油を拭うほどに長くなりましたがあなたはもはや変容を遂げたあとでした。


思えばそこは、うぐいすの里でした。シロツメクサ、すみれ、すみれ、たんぽぽ、レースフラワー、しろいモクレンの道が見えてきました。昔、カラオケボックスがあった廃ビルの角に卯の花が咲いていると教えられていましたが、ほんとうにありました。あとはなんの草かわからない青紫の草が眼の高さで繁っていました。そこを曲がって。
この道でよかったのですか。どうしていとも容易くあのような言葉を信じてここまで来てしまったのか、庭のペチュニア・ヴィオラセラに黄色の蝶が何匹も来ていて、こんな光景を見るのは初めてでした。あなたの好きな花でしたから、きっと何かの前触れかもしれないという予感がしていました。


いつかの今頃でした。午睡から覚めると葡萄の甘い香りが漂っていて、あなたはふざけて《きょうは死ぬのにもってこいの日》と言いましたね。あれから、わたしたちの間に成就された出来事を、物語に書き連ねようと思いましたが手を着けることができませんでした。今年の二百十日が過ぎてからどうしてもそれを遣り遂げようと思うようになりました。その二日後に、秋の風に戦ぐポプラの並木であなたの美しい葡萄色の瞳に出会ったからです。わたしは驚いて車を徐行させました。懐かしいあなたの胴体から上が歩いていたのですから。名前を呼ぼうとしたのですが、あなたの名前は岩石のような、辺境の地にあったお堂のような名前でしたから、それは長たらしく珍しいもので直ぐに声にはならなかったのです。すでにあの頃から灰色の髪のあなたは、信号で止まった私の車の前を他人の相貌をして行き過ぎました。言葉もなく涙が零れ落ちましたが、もはやわたしには涙を拭う指先が欠落していました。


この手紙が、旧いあなたのアドレスを辿ってメールボックスまで送信されるのかどうかもわかりません。けれども書かなくてはなりません。昨日、「ラズベリーの丘」であなたのお母様が生命維持ボックスから削除されました。もう生命保存延長保証期限を二週間も過ぎていましたから、何も残ってはいないのですが、あなたに宛てた手紙が記憶保存ケースのなかに残留物としてあります。これもあと一時間後には溶解されます。今や、麗しい太古的残滓であった有機物の生命連鎖の記憶は削除され続けるのです。宇宙の書誌に記憶される一行の番号のみ。それにしてもあなたは、いつ帰還したのですか。邦の偉大な存在であったお母様は歴史のあらゆる文脈から削除されました。


なぜ、あなたは「ラズベリーの丘」のあの墓所の近くにいたのでしょうか。あなたが傭兵として志願した日、わたしの身体の中であなたの子どもはまだ幼芽のような存在でした。神の言(げん)を伝えに来たのはあの五匹の光かがやく黄色の蝶でした。彼らの金色の触覚がわたしの左脳に御言(みこと)を伝えました。それを誰が信じたでしょうか。子どもは不思議でした。何の外皮も纏わずに植物のように生まれたのに、だんだんと身体の付属物が増えていきました。わたしたちとは、反対の方向で育っていきました。



育つ、懐かしい言葉ですね。かつては生命のある有機物のすべてに被せられた言葉だったのですから。
わたしは、彼が十三歳になるまでは生存することができます。明日の正午です。あなたが、地球を襲う悪魔との戦いに挑んでくれたことの邦からの報償です。わたしのスピリットはその後も完全に喪失されはしないけれど、子どもが人間としての完全なプロポーションを保持したときには、邦をコントロールするエネルギーがわたしを喪失させるでしょう。あなたのお母様と同じように、わたしは無になる。この手紙を書くことでやっと思い出しました。あなたが絶望のなかで選んだ唯一の希望を。夏が逝き、北の空に鳶の群れがやってくるとき、あなたは風に戦ぐポプラになると言いました。それがあなたの望みだった。母の骨のうえに僕を被せてくれないか、とあなたは言いました。それはあなたの本当でした。成就とは、のちの世の悲劇を回避するために、いまのこの世の悲劇を最期まで遣りぬくことでした。


(テバイの王のように?(いいえ。(ルメによる福音書の詩の形にも似て記されている詩句のように。(あした生まれるであろうラズベリーの丘に住むきみ(きみは希望の光、暗黒と死の陰とに住む者を照し、わたしたちの足を平和の道へ導く(きみは穏やかに成長し、ふたたび母が現れる日まで、荒野にいるだろう


わかりません。ここからどこへ行こうとしているのか。深い草が暗い川のように続いて、まるでアケロンの川のようなのです。けれども私の罪はなんでしょうか。ここからどうしても草の川を渡って、そうです帰るのです。あなたの「無」を遣り通すために帰るのです。耳元でそのときウグイスが鳴きました。「ヤブコギ」と。そうです、くらいくらい草の川を泳ぐように漕ぎました。

わたしを照らす光が見えました。戻れると思いました。わたしの血流のうえを草が戦ぎました。廃ビルの角に卯の花が白く咲いていました。しろいモクレンの道が見えてきました。そしてシロツメクサ、すみれ、すみれ、たんぽぽ、レースフラワー、この道を渡れば戻れます。メールボックスにあなたからの手紙が届いていました。きょうからあなたの「無」を遣り通すための永遠の「喪」が始まるのです。


愛するヴィオラセラ。僕を思い出してくれたのだね。ありがとう。「ラ ペニュルティエーム」。最後から二番目の音節に何の意味があるのでしょう。君と出会ってから今日までの、言葉の誕生と死を、その生を考えています。僕たちの言葉は、どこから来てどこへ行くのでしょうか。僕たちの愛は、確かに言葉の羽根が軽く脳髄の楽器に触れる「無」の音に過ぎないのでしょう。未知の微妙な声に過ぎないのでしょう。けれどもそのかすかな書跡こそが、人と言葉の軌跡であり、君と別れて死す僕はなお詩句の中に生まれ、死に続けるのです。今も僕ときみの間で「ラ ペニュルティエーム」として輪廻転生しているのです。愛するヴィオラセラ、いま僕は風に戦ぐポプラとなったのだよ。


2019年11月17日日曜日

エウメニデス58号への感想





FBF.(Face Book Friend)の北海道の詩人、柴田望さんがエウメニデス58号の感想を、FB.のご自身のウォールで述べてくださいました。
転載します。とても美しい繊細な文章です。

詩誌「エウメニデス」第58号(201910月)を購読させて戴き、10月の中旬から何度も読ませて戴いておりました。


 小島きみ子さんの「月光」を眩しく、映画「ベルリン天使の歌」のペーター・ハントケの脚本「今夜は新月
かつてない静かな夜 街に流血のない夜」の声を連想しつつ、繰り返しの始まり、光の届く範囲、届かない範囲の境、生と死の境に届く光について考えながら、レモンの匂いを、刺される苦しみを、身体の滅びを、Pansy lemon yellowの、子どもの匂いを音楽の主題のように反芻しつつ、言葉が形あるものとして疵だらけになる瞬間の感覚に導かれ、深い静けさに浸らせて戴きました。詩誌に収められた皆様の作品の詩句の一つ一つが、月の光と余韻を帯びてくるように幻視錯覚、光の届かない領域潜在意識の可能性について考えておりました。顕在意識だけで物事を考えることは、夜の都会を蝋燭一本で照らそうと試みるようなこと。

 論考「アナイス・ニンという作家と詩的なるもの」(松尾真由美)に瞠目。
大学のころヘンリー・ミラー全集全巻を読み(というかページの雰囲気に浸り)、ちくま文庫「アナイス・ニンの日記」(原麗衣訳)が手元にあり、それ以外は未読でありました。父親の記述は印象に残っています。ヘンリー・ミラーのことを「プロコフィエフに似てるな」などと言う父親
。最初、日記は父への手紙のように書かれるが、あるとき娘は変わらない父を捨てる。書き手にとって必要とされた読者の実体が変わる。実体のない不在の相手に向けられる。読者とは何か。「詩を書くときの詩人が想定する読者の様態」とは何か。「詩人は抽象的なものに身を揺さぶられるがために頭の中で一点に凝集する読者を必要とする」その一点に凝集して書かなければ伝えられない。読むたびにドキリとして、反省をして、読んでいる詩は誰に向けて書かれているか、自分は誰に向けて書いているか、書いているすべての瞬間に鋭く読み手に伝える覚悟はあるか、自問自答を致しております。「通路の堀り進め方にはコツがある。自分の方から掘ってもだめなんだ。相手のほうから掘り進めないと」と、文学を他者との通路と考えていた安部公房が発言しておりましたこと、安部ねりさんの記録にありました(『安部公房伝』安部ねり著 新潮社)。創作の根源、貴重な勉強をさせて戴きました。



2019年11月15日金曜日

11月の樹木と葉っぱたち


2019年5月に発芽したコナラの幼木の葉っぱ。緑葉を2枚友人に送った後の、落葉したはっぱさんたち。落下すると土で汚れてしまうので、葉っぱに触れて落ちる寸前で捕集。柔らかくてふわふわしています。落下していた葉っぱは、雑木林の葉っぱと同じく堅い。それに虫に囓られています。







コナラとギンドロヤナギの葉っぱです。
コナラは、上のと同じ木のもの。











青空に葉裏を翻すギンドロヤナギ。





ギンドロヤナギの葉っぱです。







近所のお宅の外壁の蔦が舞ってきます。綺麗なので拾ってきました。





散りゆくモミジ。




落葉している木




落葉松の木
金色の針となって散ってゆく



赤松の木
樹皮が美しい赤松














公園の紅葉です。大木ですね。



夏椿の木(シャラの木)




公園のカフェの花壇に来ていたマルハナバチ
良く見えません