2020年11月24日火曜日

詩  仮装の森へ行こう 

 

仮装の森へ行こう 全篇

1.

恐るべき虚無と絶望の、新しい芸術の時代が始まるのだ、と言っていた傷痍軍人の叔父が脳に水を溜めたまま絶食をして逝った。移ろいゆく時代に抵抗し続けた人の最後の「下降」だった。そして、薔薇の聖母のように幼子を育てた銃後の未亡人であった叔母も、その日が終わろうとするとき、心臓が止まった。私と従兄は、彼女の内部に繋がっているあらゆるカテーテルを抜くことに同意したのだ。第二次世界大戦の「悲哀」の、なにもかもが、一日のうちに終わった、そして私たちの「喪」が始まった。

2.

夜来の雨に打たれた白萩が一晩で散った朝、何の連絡もなく、一つ前の駅で降りてしまった講師のSを迎えに行きながら、モルト・ウイスキーの樽貯蔵庫を改装したM町の美術館へ、車を走らせていた。こんな日には、(天使の羽が毟られてこぼれてくるような)仮装の森へ行くのがいい。この美術館の 設計は、ジャン・ミシェル・ヴィルモット氏。広島市の平和の門も彼の設計で、《悪魔から世界を守る芸術表現》と言うのをどこかで読んだ。「悪魔から世界を守る芸術表現」と声に出して言ってみた。川沿いに霧が深まってきて、Sとの待ち合わせ場所が見えない。交差点を過ぎた桜並木で亡霊のようなSを発見する。

3.

叔父は死ぬ前に《日常的絶望は曲がりくねった千曲川(チューマガワ)に呑まれ、黒いユーモア詩集は、「移ろい行く相のもと」バロックな森の腐葉土に埋められた》と、手紙をよこした。そんなことをSとも話しながら、枯れ草のうえに舞い落ちた桜の葉っぱの写真を撮る。雑誌の表紙に使うのだ。彼と、ダンテの煉獄の話をする。研究の進み具合も尋ねる。近いの?あのニュースの場所。そうね、行ってみたい?…いや。内容があまりに猟奇的だったからね。でもね。川端康成の散文を読めば、安部定だって、すごく普通な人だったわけでしょ。純粋な愛情って、「単純な」って意味ではないもの。「詩」ってどこに在ったのだと思う?ねえ、S、黒いユーモア詩集のこと覚えている?ここはね、叔父の手紙を燃やした場所よ…あれは「詩」だったのかもしれないのに…腐葉土の下にいくつもの言葉を埋めた…叔母の薬指にはめられていた指輪も心臓に埋められていた小さな機械も。

★生きるということ。在るということ。

 

★生きるということ。在るということ。

ギリシャ語の「自然」ピュシス(physis)と、女性という肉体が生み出す「出産」という二つの野生の命をコントロールするもの(being)について、泉井久之助著「ヨーロッパの言語」(岩波新書)を参考に、naturaの語根から自然の意味を考えるのですが、「木々のなかには、人の手による世話を受けなくても、落ちた種子から自発的に芽を吹き、めでたく成長して枝を張り葉を茂らせ、強大な木として聳えるものがある。」ローマの詩人ウェルギリウスはその「農耕の歌」(Gergica,ゲォールギカ)の第2巻に歌っています。 「 なんといっても大地には、  もともとものを生んで成す 力がひそんでいるゆえに、」というのが、その理由であった。というものです。

この理由を述べる原詩に「Quippe solo natura subest.」とある。読み方は「クィッペ・ソ|ロー・ナー|トゥーラ・スブ|エスト」と読む。原句の「ナートゥーラ」(natura)につけた訳語が「ものを生んで成す力」というように比較的長くなっているからである。ラテン語のnaturaは英仏語にはnature、ドイツ語にはNaturの形でそのまま入っている。Naturaは「生成の力」として力動的に解さなくては原句の意味は生きてこない。正しい解釈も現われてこない。ラテン語naturaにおいて語根の役目を果たしているのは、naである。古典期のラテン人はこの語をcuitura(クルトゥーラ)「耕作、教養、文化」(col「耕す」)などの接尾辞―turaによってつくられる一連の名詞とならべて、その構成の様式を一様に考え、又そう感じていた。しかしまだ、このnaはほんとうの語根ではない。私の詩篇「幻影の声」の背景にある論理であります。

社会心理学に精神分析学的考えを取り入れたE.フロムの「生きるということ」(TO HAVE OR TO BE ?・佐野哲郎訳)によると、「あること(being)は、人または物の本質に言及することであって外観に言及しない。動詞としての(ある)の意味はインド=ヨーロッパ語族においては、(ある)語源 (es) によって表現される「存在する。真の現実に見いだされる」ことに言及していく。そして、ラテン語naturaにおいて語根の役目を果たしているのは、naである。古典期のラテン人はこの語をcuitura(クルトゥーラ)「耕作、教養、文化」(col「耕す」)などの接尾辞―turaによってつくられる一連の名詞とならべて、その構成の様式を一様に考え、又そう感じていた。しかしまだ、このnaはほんとうの語根ではない。(泉井久之助著「ヨーロッパの言語」)



「幻影の声」小島きみ子

すずやかなアルトの声が

樹木の名を歌うように呼ぶ

((プラタナス・ポプラ・シャラ・メイプル))

外被に張り巡らされた

Netの波をほどいては絡めとる漣が

声となってわたしを呼ぶ

漂泊する葉脈が共振する夏の音階

あなたを見守っている

あなたを確認する

受精したときからずっと

あなたを見つめてきた

あなたの死へと続くあなたのよろこびを

見つめている

開かれていた本の頁がめくられる

また

ちがう声がする

さらに頁をめくる

そよぐ声

だれ?

ぼくらが読み解くべき文字

ウェルギリウスの「農耕の歌」における「ものを生んで成す力」

natura(ナートゥーラ)の遙かな、声

そう

夏をみつめる文字だね

文字が呼んでいる

beingphysisはつながっている

naturaからnatureへと引き継がれているから

(後半省略)

芳賀章内詩集『宙吊りの都市』(土曜美術社出版販売)芳賀稔幸詩集『広野原まで』(コールサック)

 20121123日の読日記より


★芳賀章内詩集『宙吊りの都市(土曜美術社出版販売)』・・・作品、宙吊りから引用する。「パンツが/空の端から/摺り落ちる先からしか/海はひろがらない/溺れている疾走/沸き立つ静止/貝殻が下へ下へ沈み/心音が はたはた/旗のように宙に翻り/それからゆつくり/海底に沈んでいく(省略)・・・2章からなる、28篇の詩篇。東日本大震災以後の詩人の感受性が書かれている。後書きに「この天災と人災は、言葉の続く限り、人類・生物の課題となって消えることはないだろう」と述べられているが、私もそのように思う。絶望に襲われそうになる危機的状況の現在において、なおも言葉を繋いでゆくという作業によって、生きることができるように思う。


芳賀稔幸詩集『広野原まで』(コールサック)を紹介します。


本の写真が無くて重要なことが伝えられませんでした。表紙カヴァーの裏の写真に注目してしてください。この場所は、童謡「汽車」に歌われている「ひろのはら」のことです。裏表紙の見返しに書かれている文章です。「ひろのはら」とうたわれている辺りは広野火力発電所の白い巨塔が望める旧警戒区域の検問所があった。解除されたとはいえ、北上が許されるのは、国道
6号線で6㎞足らず。」なのです。

*あとがきには、「楢葉の警戒区域が解除された。はたしてどこまで行けるか。国道
6号線のJビレッジへ右折する辺りが旧警戒区域検問所があったところだ。警官が大勢交替で常駐していて、パトカーや、車窓に鉄線を網のように張り巡らせた大型車が、車道を塞ぐように並べられていて、バリケードのさらに奥で行く手を遮っていたものだ。・・・」

詩篇:神様へ「寝たきりの布団は海水で濡れて冷たすぎます/どうか、ふかふかで温かで真っ白い布団のなかへ/くるんでは下さいませんでしょうか」2連目を引用。




2020年11月22日日曜日

エレガンス・レッスン

 

エレガンス・レッスン 「エウメニデス」46号より。

(1)

『宵の唇言語実験』の春の終わりは林檎のコンフィチュールを作ります。果実の重量比10%から同量程度の砂糖や蜂蜜を加えて加熱濃縮し、保存可能にした食品です。英語ではジャムですが、きょうの気息は塩漬け砂糖漬けから始まりましたね。隠された無意識のなかの人称の変化とはペルソナの人称となる、なるほど塩漬けの妙味に賛同します、新たなる事物と見えるそれは、既存のものの生成変化ともいえましょう。氷水で冷やしてしばし微熱を下げふたたび砂糖漬けの瓶詰めのなかの人物の脳内映像となりましょう。早くも五つ星のリージェンシーで初夏の書家のための宵の過ごし方はトランジスタ電子管レーザーなどの電子のもつエネルギーを利用してエレガンスな電気信号を発生させ、電子デバイスを中心とする、その技術と方法は深夜の焼き林檎の調理方法を変革させます。あなたのキッチンで(スイング狂)の音楽が、すこし遅れてやってきた春の宵のライトアップの夜桜見物は、林檎飴を食べながら帰り道は栗色のポニーに乗ってポニーテールの髪には水色のリボン。赤ワインで妬いている乾燥した枯れ草の土手で道化師は仮面を被りなおして、月の丘まで宵闇の細胞切符を交換に行きますので。

(2)

深夜の夢のなかで私を呼び出す非通知着信を拒否しましたが人の世の儚い命。食品管理と栄養補給こそが、たいせつな宵の唇の言語を詩的な素敵なものにする。白昼夢の夢の管理は言語栄養素の管理によってなされるのです。言語栄養素は生体内で代謝され生体内物質の原料やエネルギーを産生するのに利用されるのです。それは、(バイクトライアル)です。黄金大作戦、太陽に皮膚と目を焼かれた人々が、荒れ地をバイクで挑むのでした。焼き尽くされる闘志のような人間対ライオンの戦いへの嫉妬です。生態は生体内を常に聖性に変化させ言語の生成変化を表現のように現象させることができるという聖地における(バイクトライアル)です。売れているその果実は熟れてもいるオレンジ漬け。黄金作戦のためにしばし麦色の炭酸水で水分補給を。ゲノム細胞が解析された最初の生物である、カエノラブディティス・エレガンス(Caenorhabditis elegans)のエレガンス。わたしたち人間もエレガンスな生物です。多重構造形成をアジア的な視野から俯瞰しようとするのは下請けシステムエンジニアの多重構造視野、幕下幕内の真剣勝負の芝居見物こそご機嫌な芝居。私的な詩的な素敵な日曜日の宵の唇二兎を三兎も追いかけて、すべて捉まえてお目に掛けましょう。そしてその目は炭酸水で消毒するのがよろしいでしょう。

(註釈)『宵の唇言語実験』とは宵闇細胞による旅券の交換である。

2020年11月19日木曜日

詩篇 1.mama. 2.うぐいすの里からアケロンの川を渡って

 

mama

けざやかな、光の舌を背中に感じる金曜日。ラナンキュラスの羽毛が舞い上がる、冬の幻。言葉の震えのように啓かれていく、あなたに啄ばまれた背中のGaze

《すみれいろの空だね》小鳥の声が、投げkissのように目に沁みるのは、病院の屋上から手を振るあなたの声が、聞こえてくるように感じるから。

白衣のうえを、翻るGazeのうえを、点々と飛んで、屋上から手を振る(mama)《ここから見送るから》手を振るあなたに手を振りながら、その夜に逝いたあなた。あなたの兄も、姉も、あなたと同じ病気でしたね(mama)桐の花が咲いたよ(mama)あたらしい糸を染めなくていいの?

夢のなかで糸を紡ぐあなた、機を織るあなた、一本の糸であなた自身を縫い上げた(mama)若いあなたを夢中にさせたもの。白い蚕たちが蛹をめざして透明に変体する、めくるめく夏の真昼。だれに知られることもなく、草のなかを歩く時は重なる罠のようだった指。指は、鳥の言葉で、二人の足に絡む草を結んだ。それは、創造される無限の網目のように、わたしたちの未来の、時間をも絡めとった。

《約束》という記憶。《約束》だよ、じゃんけんに負けたら、ずっと僕についてくるって。(ずっと僕についてくるって…)そんな《約束》をしたのは、勿忘草の咲く小川のほとり。そして、その人は。丘の上に立つサナトリウムの、白い林檎の花が咲く季節に。飛び交う紋白蝶のように、紋白蝶のように。この林檎の丘を白くまぶしく飛んで、それっきりでした。

なぎ倒された野の花の草いきれ。セピアいろの、無限の網目のなかへ落ちていったとき、窓ガラスに張り付いていた、黄色い鳥の羽。

あれは、鳥の王の墓に零れていた、ラナンキュラスの羽毛。鳥のことば。言語の網の目の《記憶》。樹の虚(うろ)の衷から、琥珀いろの慕わしい声でわたしを呼ぶのは、だれ? たくさんの鳥の声が、

聞こえるのは誰かを弔うため? 凍える、そらの震えが、冬のポプラにとどくとき、喪屋で眠るあなたの魂に新しい産着を着せる。great chain of beingの指の先。けざやかな、光の舌が背中のGazeを剥がす、羽毛の皮膚をそよがせる冬のまぼろし。うつくしい、千年の沈黙が、わたしの背中の羽毛を発情させる。(mama)わたしたちの子どもが生まれるためには、だれかが死ななくてはならなかったのですか。たとえそれがあなたであったとしても、わたしたちは愛し合わずにはいられなかった。

暁の、つる薔薇が匂う庭に、黄色の羽根を、徴のように落として行った(mama)鳥の遊びの日。奇蹟は、あなたを、再生するために。わたしはあなたを、わたしの子どもとして孕んだのですね。二人の足に絡む草を結んだ、great chain of beingの指の先。あなたがわたしにしかけた罠。言葉の震えのように啓かれていく、一枚のGaze白い林檎の花が咲く季節に、飛び交う紋白蝶のように。紋白蝶のように。

 

注)1.ガーゼ(ドイツ語: Gaze、英語: gauze)とは、細い木綿糸(コットン)を漂白して目の粗い平織りにした柔かい布[1][2]。古典的な創傷被覆材[3]。日本では綿紗(めんしゃ)とも呼ばれる。通気性に富み、吸湿性も良いので、汗のほか、手術時に血液を吸収させるのに用いられる。

注)2.(mama)という作品は、詩集『天使の羽はこぼれてくる』2008年。私家版。モデルは、亡母の姉です。母とお見舞いに行き、また来るねと病室を出て、ふと振り返と空から声が聞こえてくる、なんと屋上で叔母が手を振っているのです。

屋上には、たくさんの繃帯が洗濯して干してあり、風に翻っていました。幅の広い長い繃帯で、あれはいったいどんな患者に使ったのだろう。ナースの見習いは、ナースセンターに行くと、洗濯した繃帯の繃帯巻で忙しかったですよ。良く、そんな光景を見ました。叔母は、骨折して入院していました。よい、思い出です。



うぐいすの里からアケロンの川を渡って|小島きみ子

ポプラの並木を通るとき、激しい息苦しさに襲われるのは、そのためだったとでも言うように、あの日あなたの横顔に絶叫した。あなたの横顔は、中世の芸術家が彫刻したその石の像のように、お母様が膝の上に抱いていたその人だったからです。わたしの髪はあなたの足に注いだ香油を拭うほどに長くなりましたがあなたはもはや変容を遂げたあとでした。

思えばそこは、うぐいすの里でした。シロツメクサ、すみれ、すみれ、たんぽぽ、レースフラワー、しろいモクレンの道が見えてきました。昔、カラオケボックスがあった廃ビルの角に卯の花が咲いていると教えられていましたが、ほんとうにありました。あとはなんの草かわからない青紫の草が眼の高さで繁っていました。そこを曲がって。

この道でよかったのですか。どうしていとも容易くあのような言葉を信じてここまで来てしまったのか、庭のペチュニア・ヴィオラセラに黄色の蝶が何匹も来ていて、こんな光景を見るのは初めてでした。あなたの好きな花でしたから、きっと何かの前触れかもしれないという予感がしていました。

いつかの今頃でした。午睡から覚めると葡萄の甘い香りが漂っていて、あなたはふざけて《きょうは死ぬのにもってこいの日》と言いましたね。あれから、わたしたちの間に成就された出来事を、物語に書き連ねようと思いましたが手を着けることができませんでした。今年の二百十日が過ぎてからどうしてもそれを遣り遂げようと思うようになりました。その二日後に、秋の風に戦ぐポプラの並木であなたの美しい葡萄色の瞳に出会ったからです。わたしは驚いて車を徐行させました。懐かしいあなたの胴体から上が歩いていたのですから。名前を呼ぼうとしたのですが、あなたの名前は岩石のような、辺境の地にあったお堂のような名前でしたから、それは長たらしく珍しいもので直ぐに声にはならなかったのです。すでにあの頃から灰色の髪のあなたは、信号で止まった私の車の前を他人の相貌をして行き過ぎました。言葉もなく涙が零れ落ちましたが、もはやわたしには涙を拭う指先が欠落していました。

この手紙が、旧いあなたのアドレスを辿ってメールボックスまで送信されるのかどうかもわかりません。けれども書かなくてはなりません。昨日、「ラズベリーの丘」であなたのお母様が生命維持ボックスから削除されました。もう生命保存延長保証期限を二週間も過ぎていましたから、何も残ってはいないのですが、あなたに宛てた手紙が記憶保存ケースのなかに残留物としてあります。これもあと一時間後には溶解されます。今や、麗しい太古的残滓であった有機物の生命連鎖の記憶は削除され続けるのです。宇宙の書誌に記憶される一行の番号のみ。それにしてもあなたは、いつ帰還したのですか。邦の偉大な存在であったお母様は歴史のあらゆる文脈から削除されました。

なぜ、あなたは「ラズベリーの丘」のあの墓所の近くにいたのでしょうか。あなたが傭兵として志願した日、わたしの身体の中であなたの子どもはまだ幼芽のような存在でした。神の言(げん)を伝えに来たのはあの五匹の光かがやく黄色の蝶でした。彼らの金色の触覚がわたしの左脳に御言(みこと)を伝えました。それを誰が信じたでしょうか。子どもは不思議でした。何の外皮も纏わずに植物のように生まれたのに、だんだんと身体の付属物が増えていきました。わたしたちとは、反対の方向で育っていきました。育つ、懐かしい言葉ですね。かつては生命のある有機物のすべてに被せられた言葉だったのですから。

わたしは、彼が十三歳になるまでは生存することができます。明日の正午です。あなたが、地球を襲う悪魔との戦いに挑んでくれたことの邦からの報償です。わたしのスピリットはその後も完全に喪失されはしないけれど、子どもが人間としての完全なプロポーションを保持したときには、邦をコントロールするエネルギーがわたしを喪失させるでしょう。あなたのお母様と同じように、わたしは無になる。この手紙を書くことでやっと思い出しました。あなたが絶望のなかで選んだ唯一の希望を。夏が逝き、北の空に鳶の群れがやってくるとき、あなたは風に戦ぐポプラになると言いました。それがあなたの望みだった。母の骨のうえに僕を被せてくれないか、とあなたは言いました。それはあなたの本当でした。成就とは、のちの世の悲劇を回避するために、いまのこの世の悲劇を最期まで遣りぬくことでした。(テバイの王のように?(いいえ。(ルメによる福音書の詩の形にも似て記されている詩句のように。(あした生まれるであろうラズベリーの丘に住むきみ(きみは希望の光、暗黒と死の陰とに住む者を照し、わたしたちの足を平和の道へ導く(きみは穏やかに成長し、ふたたび母が現れる日まで、荒野にいるだろう

わかりません。ここからどこへ行こうとしているのか。深い草が暗い川のように続いて、まるでアケロンの川のようなのです。けれども私の罪はなんでしょうか。ここからどうしても草の川を渡って、そうです帰るのです。あなたの「無」を遣り通すために帰るのです。耳元でそのときウグイスが鳴きました。「ヤブコギ」と。そうです、くらいくらい草の川を泳ぐように漕ぎました。わたしを照らす光が見えました。戻れると思いました。わたしの血流のうえを草が戦ぎました。廃ビルの角に卯の花が白く咲いていました。しろいモクレンの道が見えてきました。そしてシロツメクサ、すみれ、すみれ、たんぽぽ、レースフラワー、この道を渡れば戻れます。メールボックスにあなたからの手紙が届いていました。きょうからあなたの「無」を遣り通すための永遠の「喪」が始まるのです。

愛するヴィオラセラ。僕を思い出してくれたのだね。ありがとう。「ラ ペニュルティエーム」。最後から二番目の音節に何の意味があるのでしょう。君と出会ってから今日までの、言葉の誕生と死を、その生を考えています。僕たちの言葉は、どこから来てどこへ行くのでしょうか。僕たちの愛は、確かに言葉の羽根が軽く脳髄の楽器に触れる「無」の音に過ぎないのでしょう。未知の微妙な声に過ぎないのでしょう。けれどもそのかすかな書跡こそが、人と言葉の軌跡であり、君と別れて死す僕はなお詩句の中に生まれ、死に続けるのです。今も僕ときみの間で「ラ ペニュルティエーム」として輪廻転生しているのです。愛するヴィオラセラ、いま僕は風に戦ぐポプラとなったのだよ。