2014年9月24日水曜日

作品「鏡の中の少女」

フォルダの中に入れてままになっていた作品をこのブログに掲載します。著作権があります。無断で転載することは禁じます。『詩と思想』2011年10月号巻頭掲載の「スピリット」を改稿しました。「鏡の中の少女」です。これは、詩と論が一つになっているのですが、さらに改稿していきますが、思考が深まるまでは、ひとまずこの形でここへおきます。聖書の理解が不十分のところもありますから、勉強を深めていきます。旧いコリントの町は鏡を作る事で有名でした。けれども13世紀以降のガラスの鏡と違って金属の鏡でした。12節にある「おぼろげな像」はそうした金属の鏡の像です。そして来るべきときは「真の像と対峙する」とは、暗示的です。イエスの愛とは何か。十字架に貼り付けになったキリストの姿とは何であったか。蘇るとは、どういう現象を意味するのか。現実と愛と永遠とを写す「来るべきとき正面から対峙するとは」どういうことなのか。鏡のなかの少女は、考え込むのです。



鏡の中の少女
小島きみ子



夢のなかで桜がどんどん散っていた。
風が吹いてきて、部屋中に花びらが散り敷かれていた。

(ママ、早く来て)

どの鏡を見ても舞い散る桜ばかりで私が居なかった。
鏡を見ると見知らぬ少女が長い髪を、母に編んでもらっていた。
鏡の中の私は私ではなかった。母も別な母だった。
私は何も言うことができなくて、(ママ)と母を呼ぶと、
鏡の中の別な母はやさしくリボンを結んでくれるのだった。

(いつから、どうして)

あなたたちは鏡のなかへ来たのですか?
私が生まれたときから、私の家にはお父さんが居なかったので、
鏡のなかの女の子に、どうして私には、お父さんが居ないの?
と訊くと、戦争で死んだからよ。と言うのでした。

(えっ? いつの戦争?)

一九四一年のWorld War IIのことよ。でも、あなたのお父さんが死んだのは一九四五年の八月の内地だった。一九三八年にドイツで原子力が発見されてから、七年後に日本に原爆が投下されたのです。米国は三年と二十億㌦という莫大な費用を投入して原子爆弾を製作し、自国の市民にこれを正当化するために日本に使用したのです。入念な計画によるそれの投下前と投下後の「航空写真」の何と似通う、二〇一一年三月一一日の東北地方太平洋沖地震の壊滅状況でしょうか。その直後から降り続ける放射性物質は、日本人のスピリットに挑戦する「テロ」です。

母の嫁入り道具の三面鏡に映る父の微笑みと、コリント書にある言葉が木霊する。What we see now is like a dim image in a mirror; then we shall see face-to-face.(いま、わたしたちは、鏡に映ったおぼろげな像をのぞいている。しかし来るべきときには、わたしたちは真の像と正面から対峙することになろう。)表象が危機的状況であるとき、希望とは激しい批評の精神を持つこと以外にないだろう。言葉よ。もっと深く野望せよ、と。

12 For now we see through a glass, darkly; but then face to face: now I know in part; but then shall I know even as also I am known.




薔薇と私

涼しい秋がきて、夏のあいだ休んでいた薔薇が再び咲き始めています。薔薇は高原地方では、六月一日には必ず、咲いてくれます。六月、七月と咲いて、八月はお休みです。そして九月の初めから咲き始めます。そんな秋薔薇の写真をアップします。どうして、薔薇が好きかと言うと、詩にも書いたように、生家に咲いていて好きだったこと。初めての夏のボーナスで薔薇の花柄のワンピースをオーダーした事。イヤリング、ハンカチ、ブレスレッドと、薔薇が好きです。

薔薇と私
薔薇とリーフのドライフラワーのなかに居ます。