2016年7月1日金曜日

詩の心とは


わたしは、日本で生まれたので、日本語を使って詩を書いています。日本語で詩を表現するとは、どういうことなのでしょう。現在の言葉の持っている現われとは、どういう意味や感情や、言葉の雰囲気を、読むものに伝えていると思いますか?
 2007年に送付された山本萠さんの「雲の戸」から、彼女の「星の水」を紹介します。山本萌の魅力が、控えめにそして存分に伝わってくる、大変に個性的な個人誌です。詩の中に閉じ込められている言葉と漢字は、日本語の言葉の響きや、漢字と音のなりたちをあらたに創造させる、すぐれた「ことば」たちです。技法や詩法などにとらわれず、言葉というものが言葉の力で現す、詩の心に触れてみてください。


星の水     山本萠

泡(あぶく)みたいにとめどなく
人が現われて
巨石の林立する影で 話している
だが 暗黒星雲のように
不透明
というのだ
割れかけたり
貝殻のように摩滅したり
ひりひりと爛れたりして どれも
光忘れた光 のように疼いている
それを 歴史といってもいい
平でない平地の
とわに続いて行く
乾いた影
濃い群青色の ひとすじの淵を
きっと 誰も知らなかった水が溢れてたんだ
ない水を
鏡のようにかかげて
どこまでもとどろいて行く
溢れる
という その
熾烈な過去 を
蝶は
翅をとじるのも忘れ 顫えながら
憶っている
いつまでも 尖った角のある
距離をはかるものたち
ときに 沈思する人影のような化石を
掘り当てることもあった
空では
景色が徐々に後退しながら 青ざめた
紫陽花の花を咲かせている
どんなふうに煌いてしまうのか
水流の まぼろしの 激しい澄みを 
湛えたままで
(山本萠:「星の水」全行引用)


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