2017年8月30日水曜日

勅使河原冬美のこと

勅使河原冬美のこと


詩誌「エウメニデスⅢ」第46号の、
特集1 超高速オートマ・ツイート詩『宵の唇』によって、エウメニデス誌上でデビューした若い詩人・勅使河原冬美さんの特集の際の前文です。2013年にtwitterで、ツイート連詩を展開したまとめを、2014年7月の第46号で、特集として組みました。

かれは、エウメニデスに作品を寄稿してくれていましたが、次号の2017年12月・第55号の作品を最後にしばらくお休みします。私の散文詩「
レギオンはレギオンと戦う」は、勅使河原冬美とのツイート連詩の未発表部分の小島きみ子の部分をまとめました。この作品はさらに改稿される予定です。思い出とともに。

『宵の唇』前文        勅使河原冬美





 まず、事の発端は一瞬にして消えた事をお知らせするべくこの前文を公表致します。これらの悪戯と狂騒の主電源が水密桃の甘さと歪み、又は非言語と言語の混在、/混血化の際に生じる微熱である事を知っていたのです。そして感電が始まる。拡声器もVHSレコーダーも電子オルガンも。それからあなたの皮膚組織とお手持ちの映画批評誌も良いと思いますよ。あと、毒の効きすぎる心中劇も衛星放送が深夜流す南太平洋の美しい二時間三十六分間の映像もその感電でより一層美味くなることでしょう。お察しの通り水浸し(これが上等な常套句である事は考察魔にして精神科医ラルーシュ・プルデュナ著『あなたのみつめた常套句』で四万字で考察している)。

 一つ目に記されている全てが事実である事、また記されている全てが夢想で嘘八百である事、それから結局記されている全てが事実、現実のルポタージュ。であったという事。これらの点を米国上院議会、エクアドルとコンゴTV各局の報道番組内で、そして国際シュルレアリスム協会の審議会に出廷し甲高くフラジオを効かせた声で発言する。するとすぐに国際指名手配となるでしょう。そういう寸法。

 一九一八年に劇作家リュイ・モレスは心中劇『ナイフのカタログ』のパリ・レシュラナ劇場での初演に際し¨独立した音符と抜け毛が分裂した茶碗の包装用紙を足指で如何様に結納を。しかし現実はまるで歯型を同時進行で笑。そして羊の間接税が親指の箱に抽出された。混乱から水分。お客人お静かに!これから蠢きますよ¨と上演前に言った。そうです。もう蠢いていますよ。皆様。

 二つ目に今熟した言語が浴室を占拠している模様。同時刻に非言語は耳許を同じく占拠していた。この事には不気味に笑う町角のニコホン顔級の笑顔を。フランス語とハングル語、そして南米先住民のグアラニー語の食事会に秘密裏に語られた色彩形成殺の一片について。どちらもいずれ和解されるでしょう。私はそう願っています。例えばこれらの文も水になり泡となる事を。

 三つ目は注意事項。まず一つまみの青い砂を飲みましょう。それから花束を大量の木漏れ日で浸された床にたたきつける。する自動空間逆再生法により飛び散った花びらも原型を取戻すことでしょう。これで準備は万端と言えるでしょう。精神衛生上、及びに活字共和圏に於いて非常に反則的かもしれませんがそこはお目を瞑りくださいませ。一口で言うと奇騒が手相に渡って笑って数えてみますと壱弐參と。言語中枢がこのように踊っています。とですます調の二十世紀の雨に拍手を。つまり幻想なのかもしくは嘘なのかはその眼球、耳鼻腔で。唇でお確かめください。

 四つ目は全ての始まりは消滅。ただこれからな蠢いているのがかの島山石燕を初めとする百鬼夜行絵巻に於ける赤い不気味な奴である事を。そして全時代が交錯しながら歪む事を。しかしケシゴムを持ってこの文を消してみたり、鉛筆を持ってこの文に書き加えてみてもよろしいんじゃないでしょうか。お気付きの通り全ての言語は不気味で魑魅魍魎であり、全ての非言語が奇妙な舞踊で睨みでもって笑っていますね。もう一つは二の記録は木星人のラッパ吹きが最後に言った一節のそれにあたると言えます。

 では皆様寄ってらっしゃい、毒の散布の実験の一片かはたまた一つの奇病か。まず金魚の水槽越しでご覧になりませう。いやいや毒やら奇病と聞いて早合点は健康上よろしくはございませんよ。まざは高々と音読してみましょうか。それからお好みの音楽にのせて歌ってみましょうか。そしてラジオから流れうる映画音楽で踊ってみましょうか。私でよければいつでもお相手いたします。

 では最後になによりも小島きみ子女史に感謝を述べる。それから前文に記されている全てに意味があり、全てが無意味である事を申し上げる。では水分を。
                          勅使河原冬美より。




小島きみ子  レギオンはレギオンと戦う 


   
冬の雨の唇は知っているわ。中世アイルランドのドレスを着て、繊毛な草茎の狐色の練り香水の香りを拒否して、この唇の高さまでのアロエを切り刻んで、ヒヤシンスの蕾の花束、水色のターバンで髪を纏めて、私は待っていました。

銀色のモールが輝く罪と秘密のレギオンの木の下で。愛する貴女、僕は、人生かくあるべし、などといった主張はいっさいしません。僕が次のように言えば、おそらく貴女はもっとよく理解されるでしょう。すなわち、情動は言葉や監修で覆い尽くせないあらゆる空間に、あたかも空気のように執拗に入り込んでいく一種の純粋な細菌であるのです。

そして、ぼくの言葉は、ぼくのものではありません。ロランバルトがテキストの快楽で述べたように、同一の位置に局在する二重の機能を合わせて成立するひとつの違反活動を想像してみてください。キスしながら話す、話しながらキスすることです。この快感は実在すると考えるべきでしょう? 

なにしろ僕たちは、愛するものの唇から言葉を飲み込んで、違う声で語るなんてことを、簡単にやってしまえるのですから。きょうの金色の黄昏は受精時の卵子の状態です。菫色の風の冷たさに天使の怖れという食べ物は Killing Timeです。

あなたの唇から言葉を飲み込むということは、初めて出会った朝に飛来したジュネーヴの白鳥のようなもののように、先週の金曜日の夜は、オニオンブロッサムを調理して、あなたを待っていたのに。あなたは、そっぽを向いていました。

サリエリの《見知られたエウローパ》への拒絶の意志とは魔術的な思考能力のことでしたから、今宵こそはオニオンスープの媒介晩餐を二人で? サハラ砂漠のアルジェリア側の辺境に住む遊牧民ラルバアは、テントを杭に結び付ける紐帯を強化するために使われる〔羊毛か山羊の毛で〕織られた帯を指し示すのに、同一の位置に局在する二重の機能を合わせて成立するひとつの違反活動を想像してみよう。と、言う。

蜂蜜レモネードでしばし休憩しませんか。ああ、襞。あなたとあなたとの言葉の襞。膜。あの猫とこの猫とその猫の舌。おいで僕の夢のサロンへ。純粋と瞬間的の永遠へ!複数のあなたAurélien|『ベレニス』の一行を、われ長くさまよいてセザレにありき。symphonic poemは我々の内部に。(Dichtungen)が存在する。

鍋底の星座、椅子の上で寝転ぶ猫の微笑みに。あなたは、 だれも見る人も無いように、僕の心臓の中で蜜蜂のように振舞うのです。ウィンナは紅白幕のアリア。 CHRISTINE 恐れはしない。僕はいくつかのあなたを僕の内に持つ。僕の内に潜むあなたの層という膜へ、僕とあなたの(tension)浅葱色の水色の湖の幕の内へと。

(こんな経験をしたことがあるだろう――誰かを愛しているときには、だれだって)仮想現実に熱をあげてしまったあなた。レギオン(Legion) とは、 ローマ軍団のことで、架空の怪獣のことですが、深紅のリンゴは、この怪獣の好物で、レギオンはレギオンと戦うのです。ロキソニン派としては、ムコステも常備することをお勧めします。

「ご存知でしょうか。このところめっきりふえた幽霊人口を集めて、幽霊会社が作られていることを」(星新一『殉職』)そして第二部、定理二十五 人間の身体のおのおのの変状〔刺激状態〕の観念は外部の物体の妥当な認識を含んではいないのです。それを言ったのは、例のあのボルカレス編集長。

正しくは、カルスケート カルスカル マルカルス メルカルス カルステンのことです。この時代のdada国の洗礼名簿に確かにございました。そうなのですね。レギオン(Legion)は、幼年時代の幸福な想い出のなかに、生えている「木」で、まさしく「罪と秘密」に浸されてはおろますが、星の王子様の末裔には見ることができる「木」でありますよ。

わたしは妖精族の娘の末裔ですから。seq1 人称や主体、あるいは事物や実体の個体化とは違った個体化の様態がある。われわれはこれを指して(此性)hecceiteと呼ぶことにする。――()p208(千のプラトー)を見よ。

ダダ(Dada)とは、 ダダ (ウルトラ怪獣)(三面怪人ダダ) 『ウルトラマン』第二八話『人間標本56』、及びウルトラマンパワード第八話『侵略回路(The Dada Effect)』に登場する怪人でもありますぞ!これぞ、ダダのダダありえないダダ!とは。思考するとは、語ることである。語る、行為する、もしくは作るは、方式変換されたひとつの操作にすぎない。神は光りあれと言った、すると光があった。 『一般草稿』(ノヴァーリス)

それから、ヘリオガバルス(マルクス・アウレリウス・アントニヌス・アウグストゥスは、ローマ帝国第23代皇帝)をアルトーが、「それは男であり、女である。」というのは謎ですね。Transcendに保存した。あとはいらない。こんなわかりきったことを言うのは、だれ?と思ったらBaruch De Spinoza,でしたが、たまたまそうだったのだろう。私が知っているフレーズは二行しかない。La Chambre Syndicale de la Couture Parisienneのドレスで一緒にスケートしようね! 

今朝(ぼくは誰が語るかを語るものについて語るぼくは独りぼくはひとつの小さなもの音にすぎないぼくはいくつかの音をぼくの内に持つ)って言いましたね。いくつかの音を僕のうちに持つ、青年の調べをね。ぼくは誰が語るかを語るものについて語るぼくは独り。

ぼくはひとつの小さなもの音にすぎないぼくはいくつかの音をぼくの内に持つのさ。その秘密とは、アルトーの精神、脳髄、意識、それにまたとくに身体が、さまざまな手段によって?電撃療法というのが、機械的に実行に移された一例であり、私はハイデガーの立てたあの問い[=なぜ存在があって、無があるのではないのか?]の前に立たされるのさ。


私としては、この問いは不充分だとずっと前から考えていたので、もう一つ違う形で、問いを発してみようとした。つまり、なぜ私の知っていることがあるのか?というバタイユの問いである。おやすみ、きょうは終わった、新しいきょうがはじまった。おやすみ僕の愛する貴女! またあした。

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