2013年6月8日土曜日

幻影の、声


 ギリシャ語の「自然」ピュシス(physis)と、女性という肉体が生み出す「出産」という二つの野生の命をコントロールするもの(being)について、泉井久之助著「ヨーロッパの言語」(岩波新書)を参考に、naturaの語根から自然の意味を考える。

 木々のなかには、人の手による世話を受けなくても、落ちた種子から自発的に芽を吹き、めでたく成長して枝を張り葉を茂らせ、強大な木として聳えるものがある。ローマの詩人ウェルギリウスはその「農耕の歌」(Gergica,ゲォールギカ)の第2巻に歌っている。

 なんといっても大地には、
 もともとものを生んで成す
 力がひそんでいるゆえに、

というのが、その理由であった。
この理由を述べる原詩に「Quippe  solo  natura subest.」とある。読み方は「クィッペ.ソ|ロー・.ナー-|トゥーラ・スブ|エスト」と読む。原句の「ナートゥーラ」(natura)につけた訳語が「ものを生んで成す力」というように比較的長くなっているからである。ラテン語のnaturaは英仏語にはnature、ドイツ語にはNaturの形でそのまま入っている。Naturaは「生成の力」として力動的に解さなくては原句の意味は生きてこない。正しい解釈も現われてこない。ラテン語naturaにおいて語根の役目を果たしているのは、naである。古典期のラテン人はこの語をcuitura(クルトゥーラ)「耕作、教養、文化」(col「耕す」)などの接尾辞―turaによってつくられる一連の名詞とならべて、その構成の様式を一様に考え、又そう感じていた。しかしまだ、このnaはほんとうの語根ではない。「幻影の声」の背景にある論理である。


「幻影の、声」

 社会心理学に精神分析学的考えを取り入れたE.フロムの「生きるということ」(TO HAVE OR TO BE ?・佐野哲郎訳)によると、「あること(being)は、人または物の本質に言及することであって外観に言及しない。動詞としての(ある)の意味はインド=ヨーロッパ語族においては、(ある)語源 (es) によって表現される「存在する。真の現実に見いだされる」ことに言及していく。そして、ラテン語naturaにおいて語根の役目を果たしているのは、naである。古典期のラテン人はこの語をcuitura(クルトゥーラ)「耕作、教養、文化」(col「耕す」)などの接尾辞―turaによってつくられる一連の名詞とならべて、その構成の様式を一様に考え、又そう感じていた。しかしまだ、このnaはほんとうの語根ではない。(泉井久之助著「ヨーロッパの言語」)


すずやかなアルトの声が
樹木の名を歌うように呼ぶ
((プラタナス・ポプラ・シャラ・メイプル))
外被に張り巡らされた
Netの波をほどいては絡めとる漣が
声となってわたしを呼ぶ
漂泊する葉脈が共振する夏の音階
あなたを見守っている
あなたを確認する
受精したときからずっと
あなたを見つめてきた
あなたの死へと続くあなたのよろこびを
見つめている
開かれていた本の頁がめくられる
また
ちがう声がする
さらに頁をめくる
そよぐ声
だれ?
ぼくらが読み解くべき文字
ウェルギリウスの「農耕の歌」における「ものを生んで成す力」
natura(ナートゥーラ)の遙かな、声
そう
夏をみつめる文字だね
文字が呼んでいる
beingとphysisはつながっている
naturaからnatureへと引き継がれているから
網膜の上を
はげしくよぎる文字の漣
それが何であるかの前に何であったか
ポプラの葉叢を揺らす
あの小枝で囀っている鳥の姿
あそこにいるよ
ぼく
あなたを確認する
きわやかなテノールの声の影が頁のうえに落ちる
((プラタナス・ポプラ・シャラ・メイプル))
あなたを見つめている
あなたの愛
かなしみ
いとしいあなた
あなたが
あなたとして成ったことを

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