2015年8月20日木曜日

書評 『木島始詩集 復刻版』(コールサック社)

 




『木島始詩集 復刻版』(コールサック社)について

 逢いたかった詩人がいますが、その人は2004年に亡くなってしまいました。2001年に拙詩集『Dying Summer』が山室静・佐久文化賞を受賞した信濃毎日新聞の記事を、軽井沢の山荘でお読みになった木島始(1928~2004)氏です。お祝いの葉書をくださって返信をしたのに、訪ねて行けば良かったと悔やまれます。詩集と同時に発行した詩論集『思考のパサージュ』が日本詩人クラブの「詩界賞」の最終候補に残ったときの選評も、とても温かくて励まされるものでした。今も、文章を書いているのは木島始さんの励ましの言葉があったからです。

 この夏(2015年8月)に、『木島始詩集 復刻版』がコールサック社から発行されました。奥様の小島光子様からご恵送いただきました。ありがとうございます。戦後70年の現代の社会状況は、息苦しい限りです。このままでは私たちの生活が破壊されてしまうような危機感を感じています。

 『木島始詩集 復刻版』は、全篇が瑞々しい人間の生命の声が響いている。世界が平和でなければ、日本の平和もない。敵が攻めてくることを仮定した戦争法案などは、無用なものです。他国が戦争をすることを許さない。日本が戦争に加担する事を許さない。それが世界に誇れる「憲法9条」です。これを改正しようとする、政治家と政治を許してはならず、止めなければなりません。日本の戦争は、侵略戦争でした。それによって他国の人を苦しめ、日本人を苦しめ、たくさんの人間と国土を破壊しました。戦争は絶対に許してはなりません。

 「世界の平和」と「戦争反対」この気持ちを、多くの人々の胸にストンと落ちていくようにする。これが、現代の日本の詩人の詩活動であるはずです。弱い言葉は弾に撃たれますか?銃に弾を込める前に、本当の人間のDNAに、言葉は訴えかけることができると思います。それが、『木島始詩集 復刻版』であると思います。

 巻頭の「起点―一九四五年―」を引用する。すべてが核心であると思う。この詩は、奥様の「復刻版に寄せて」を読むと、当時十七歳であった木島始が原爆投下当日、岡山の旧制第六高等学校生で、疎開工場の屋内で光を受け、屋外で茸雲を見たこと、広島から担がれてきた人々を徹夜で看病した体験から、一九五二年に書かれた詩である。一九四五年の夏の熱気は、人間が破壊され、滅ぼされた拷問でした。日本の平和への願い、生きるべき道はこの日を忘れないことではないでしょうか。


「起点―一九四五年―」



手にふれるものは
みな熱い

ねじまがった
真鍮の
ボタンと
帽子の
校章だけが
これだ
これが彼の
屍骸だと
生きのこった
ぼくらに
わからせた
あのときの
火傷するような
恐怖の焔と
濛々の煙りと
熱気と
屍臭とに
みちみちた


一九四五年

夜ごと
夜ごとに
日のくれるのも
遅いとばかりに
遠吠えのような
はるか
かなたの
爆音を
深く
ふかく
吸い込んでゆき
いつしか
暗黒の圧力を
そなえるようになった
あのころの
夜空の
不吉さ
夜空の不気味さ


(後半を省略する)

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