2016年3月9日水曜日

3月に読んだ詩集・詩誌








『対 論 この詩集を読め 2012~2015細見和之×山田兼士』(澪漂)

  黒と白の素敵な装丁です。対論の対象詩集15冊。私が読んであるのは、5冊ですから3分の1です。まだ、読み始めたばかりですが、とても丁寧な解説です。詩集を批評するということが、ひとりの評者ではなくて、対話する論として展開されるところが、作者の書こうとした所、読み手の自由な読み方への接近として、両者の核心へ迫る導きとなるであろうと思います。読んでない詩集であっても書き手のことは知っていたりするので、対象詩集の前の詩集のことも語られていて、作者と作品との関係を知る手掛かりもつかめる。とても役に立つし、おもしろい。

 230P.に小林弘明詩集『F・ヨーゼフ』の批評があります。


  この詩集は、どのように読まれたのか、とても興味のあるところです。読めば読むほど、わけがわからなくなる。熟読が必要な詩集です。

さて、『F・ヨーゼフ』の『対論』では。山田さんが「そういうレトロな前衛というのが第一印象ですね」と言っておられて、そうか、なるほどと、思いました。とてもわかりやすいことを細見さんが言っておられる。233P.「小林さんの読書傾向からしても、例えばピンチョンが一貫して出てくる。前の詩集だとジャンリュック=ナンシーがよく出てくる。フランス現代思想、あるいは特定現代小説への偏愛。一種奇妙な読書ノートでもある。」これは、すごく良く理解できる。続いて山田さんの「終わりのほうで、F・ヨーゼフという存在が溶けていったり、聖転換したり、何者でもないなにかになって、音楽用語の「リトルネロ」形式で、繰返しフレーズを反復して、その反復の最中で別のものに変容してしまう。このあたりは分子工学的な科学者の感覚でもあるのか」というこのあたりは、非常に興味と関心がある。

それから、どの詩集も、それが読みたい作者の詩集であれば、遅いということはなく、これから読んでいいのです。『対論』を読みつつ、違う読み方があって当然です。





木村孝夫詩集『桜蛍』(コールサック)


「声」|私には聞えるのです/あの日の/津波の引き波に流されていく/あなたの声が/今 どこにいるのですか/長いご無沙汰です/笑顔が見られるのなら/夢の中でもいい/そう思って待っています/あれから大分時間が過ぎました/腐敗していったものは/肉体だけでしょうか/ときどき/あなたの声が聴こえてきます/寒さ苦手でしたね/温かくしていますか/(後半省略)




 あとがきを読むと著者は、311の震災のとき「影響はほとんどなく三日の避難と仮設住宅に住むということもなく、ガソリン不足と食糧不足を経験しただけでした」ということです。2011311の日、私は右足を骨折していて松葉杖で職場で勤務していました。激しい地震がきて、ストーブを止めた。外を見ると、駐車場の車が信じれないほど揺れていた。しばらくて、テレビをつけた。信じられない画面だった。数日して、新聞におびただしい瓦礫と遺体の写真があった。浜辺に700人くらいの遺体が打ち上げられたというニュースを聞いてから、その浜辺の様子が頭にイメージされて、ニュースを見るのが辛くなった。「死んだ肉親」を探す人たち。遺体の顔を復元する人。切ないことばかりだった。「福島の震災」はまだ、終わらない。201634の信濃毎日新聞を載せておきます。





洪水企画・池田康発行『虚の筏』15号
八名の詩人が参加しています。私は(小島きみ子)、「(The Power)」という作品で参加しました。散文詩ですが、詩論と詩が混ざった、詩論詩であるかもしれません。けれども、少し前の現役のころの日常のことを書きました。体脂肪を減らすために、勤務終了後に「エクササイズ」に通っていました。そのときのことを書いています。職場の同僚のことや、当時読んでいた読書のメモや、現在あらたに感じていることを、混ぜましたがいかがでしょうか。エクササイズの会場の白い壁を見ながら、ニーチェや、イエィツ・ホイットマンを考えていました。ルツのことは、現在のことも混ぜてみました。約束された土地は、失われた土地であったのです。









*3月15日までに届いた詩誌です。ありがとうございます。「KYO」は、購読誌です。



 私が、発行する詩誌「エウメニデスⅢ」50号(3月15日発行)と、発行日が重なっていて、慌しいので、纏めて書きます。この7冊のうち、5冊は関西から届きました。奇遇な事です。Melange(めらんじゅ)はfacebookのフレンドである京都の福田さんより。「カルテット」創刊号、「交野が原」、「ぶーわー」が大阪から来ました。
  
*カルテット 創刊号。
 詩歌と批評の雑誌。3月と9月の刊行ということです。山田兼士・田原・江夏名枝・山下泉の四4名による詩誌。同人四人の詩と、山下泉の短歌。山田兼士のボードレール翻訳詩。山下泉の評論は、高安国世歌集によせてのその1.ドイツ文学者の高安国世が13冊の歌集を出しているとは知らなかった。私は、高安国世翻訳のリルケが一番好きです。
 ボードレール翻訳詩も、興味深いです。山田さんのサイトで拝読していましたが、新しい翻訳で縦書きで読むことができるのは、眼のために助かります。江夏名枝は、存じ上げないのですが、田原の詩を読めるのは、とても楽しみです。

*交野が原80号
 巻頭詩は、相沢正一郎の(古井戸のちかく ふいに立ちつくした風・・・・・・)2連行分け詩。
今号は創刊40周年・記念80号ということで、平林敏彦以下、詩と思想詩人賞の青木由弥子までの多数の著名な詩人が参加している。書評も15本。編集後書きまで120P.お見事です。

*Melange(めらんじゅ)Vol.17
 .同人の作品10篇と、寺岡良信追悼作品19篇。104P.
 この雑誌で、いちばん先に読むのはエッセイです。栗山要さんの「老いの日々」。何事もなく無事に過ごしている日々の記録ですから、だいたい同じなのですが、娘さんの来る日が楽しく、妻が約束を守らない日はすこし不快。そんななかで、人間が日常を送る上で大切な事を教えられる。それは、ほとんど毎日かならず「身形を整え」の文字がある。それが無い日は、妻の恵さんに熱があったり、僕にも風邪がうつって熱があるようなとき。朝、起きたらまず「身形を整え」1日が始る。そのことの、きちんとしたたずまい。妻を「恵さん」と「さん」づけで呼ぶことの愛おしさ。こういう老夫婦にたどり着きたい。

*ぶーわー 36号
 近藤久也さんの個人誌。彼とは大阪で、七年前にお目にかかった。それ以来、ずっと送ってくださっている。ほんとうにありがたいことです。この雑誌は、A4の両面印刷で、真ん中で折ります。右が表紙で左が裏ですが、エッセイとなります。中が詩篇。ゲストの小川三郎さんと近藤久也さんの作品1篇ずつ。小川三郎さんの「噴水」がとてもいい。人生の時間が静まり返って、「あなとふたりで」噴水を見たあと、秋の深まっていくなかで「あなた」と別れたのだ。なんだか、悲しくはなくて、生きている時間が終わったのだな、と思う。なぜなら、「私はもう何も意識できないでいた」のだから。


別冊 詩の発見 15(澪標)

















 
 山田兼士さん編集。わたしは、
34P.「エデンの東」で参加しました。
多数の詩人と、大阪芸大文芸科の学生の作品。山田兼士さんの作品「二上幻想Ⅰ」「二上幻想Ⅱ」の誌面と作品がとても美しい。文字列が二上山の陰陽になっている。(やったね!)と思った。学生のキム・ソンアさんは絵と平仮名の短詩。この方は愉快な個性というか、言葉と物を結びつける感覚がいい。詩を詩らしく書こうとしてないところがいい。さて、この先どうなるのかな。楽しみな方ですね。



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