2017年1月26日木曜日

2017/1月 後半の詩誌





①「ぱぴるす」(ぱぴるす同人会)vol.118
|岩井昭詩集『ひるまです』の書評を松尾清明氏が書いている。書評の前文が「現代詩における感動」について述べていて、心を動かされた。詩人が書く詩集評は、詩論が述べれらることだと思う。引用と感想だけの文章は、紹介文であって、書評ではないと思う。私も、使い分けていこうと思った。
岩井昭さんの作品「とかげのかくれんぼ」を引用する。〈いし/くさ/つち/こかげ/ひかげ/とかげ/とけこんでしまって/うごかない/いしになる/くさになる/つちになる/ひるまの/えいえんの/かくれんぼ〉


②「孔雀船」(孔雀船社)vol89
| この雑誌は総合詩誌の趣があって、中堅以上の先輩詩人の作品のほかに、小柳玲子さんの「詩人の散歩」は第35回となり、彼女の散文を読むのを楽しみとしています。FB.の友人文屋さんがお送りくださっています。感謝します。文屋順さんの作品は、40P「心の写真」。〈どんなに急いでも/そんなに違うわけでもないから/のんびり各駅停車の電車のように/こつこつと歩いていく/どこまで行っても/きちんとしたゴールが見えてこない/その曖昧さのまま私たちは/途中棄権をするのだが/いかに完全燃焼できるかだ〉





③「Oct」vol.4(カフェ・エクリ オクト)発行人は高谷和幸。編集人は大西隆志ほか
| 特集『画家の詩、詩人の絵』姫路展 シンポジウム|エッセイ・評論・レポート|特集/舞踏|詩・川柳|104P.
特集『画家の詩、詩人の絵』姫路展 シンポジウムには、エウメニデス同人の京谷裕彰さんも参加しています。図録の表紙画は、青木繁の「眼」(1904年制作)です。青木繁の作品は、なんと長野県東御市梅野記念絵画蔵です。私の暮らす佐久市より1つ向こうの町です。さて。『画家の詩、詩人の絵 絵は詩のごとく、詩は絵のごとく』は、地方巡回展でした。2016年の「エウメニデスⅢ」のテーマは「詩と美術」でした。今後も、詩人と美術家が越境しあう場所になるといいと思っています。2016・6・2にこの企画展を足利美術館で観ることができたのは、とても有意義なことでした。佐久から足利へ新幹線と在来線を使っての小さな旅は、久し振りにくつろいだ時間となったのです。姫路美術館から始まった、地方巡回の企画展のテーマが、詩誌「エウメニデス」の2016年のテーマ「詩と美術」に微妙に触れていたことは、詩と美術にとどまらないで越境していくことになるだろうと思います。それは、どういうことかと言うと、アートを創作する現場では、〈他者〉の存在に気づくからであると思います。内的自己(self)というとわかりやすいかもしれません。無意識に沈められたものを意識に呼び出して表現するとき、ペンを持つ手、絵筆を持つ手、楽器を演奏する手、楽譜を書く手。もろもろの〈手〉は、深層の他者が導く〈手〉という脳の心理ではないかと思います。シュルレアリスムの21世紀は、より広々と深くなっていくのかもしれません。



            「どうるかまら」

④「どうるかまら」(発行人。瀬崎祐)倉敷市の詩誌「どぅるかまら」21号。
| 28P.より、瀬崎祐さんの新詩集『片耳の、芒』(思潮社)の書評を書きました。詩集をお読みいただくと同時に雑誌も手にとってお読みいただけると嬉しいです。この詩集は、表紙カバーの写真も瀬崎さんによるもので、チュニジアの(果て)の場所は、行った事もないのに見たことのある風景のような気がする場所でした。引き込まれ、読み解くことは、すでにこの詩の世界の住人でした。瀬崎さんの現代詩を読むことによって、(果てと永遠)の場所に焦がれる(愛)をも探求するきっかけになるでしょう。

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