2019年3月15日金曜日

詩集『その人の唇を襲った火は』掌篇


詩集『その人の唇を襲った火は』2011年(洪水企画)の掌篇を作って見ました。
絶版で、読んでいただくことができないからです。テキストが保存されているもののみです。全編ではありません。


Jesus Loves Me
    小島きみ子


                     1 守護神パラスアテナ (Pallas Athena)
 十九世紀末にイギリスで、枯れ草熱(hay fever)として発見された花粉症が治まった途端に、雨が降り始め、それからずっと、髪が一日中濡れているような、まるでそれは、建設中の都市全体が、神話のなかの精霊に征服されたような、濡れた夢に覆い隠された、エクスタティックな日々だった。…季節は春から夏へ移行したはずなのに、私とKが共同研究している「仙境都市」は、霧雨と濃霧の中から脱出することができなかった。夜明けの暗灰色の空から、忘れたように白い光が射し込むとき、人間の心理は動物のアニマに襲われているのだった。私たちが欲望しているモノ…それは「変容しつづける情熱のファンタジー」という幻想だ。主要な建物の建設はほぼ完了していた。あと、都市の守護神「パラスアテナ (Pallas Athena)」を土が凍りつく前までに、竣工しなければならなかった。いったい、いつからいつが夏なのか、天気予報士にさえ判断ができなかったので、『A Midsummer Night's Dream』が書かれた1595年から1596年のイギリスの夏は、異常な大雨が降ったということなどを思い出したのだった。「夏の夜の夢」という超自然界と人間界の融合という御伽噺。それこそが、私とKが求める「仙境都市」の「ファンタジー」なのだから。…長い夜には、いろいろなことを考えてしまう。屋上に行ってLuciferを見るつもりだった。パラノイアは狂気かもしれない。けれども、スキゾフレニーは狂気ではない。「人間」から「人間」への自由な交わりを通過する際の、新たな「世界内のあり方」なのだから。息が切れてきた。屋上に出ると、森の上をゆるく白い水蒸気が流れて行く。また、髪が濡れてくる。雨粒に変身したユピテルのように。黄金の雨粒となって彼女を奪うもの。その子が森の王を殺すとも。山の端から雲が湧いてきた。暗灰色の眼だ。眼によって眼を破砕するスキゾフレニーの眼を意思的に獲得することだ。遠くからくぐもったKの声が聴こえてきた。私とKは、邦から委託された環境保護団体の下請け会社から派遣されて、動物との共存による、「仙境都市」を、ここに計画しようとしている。だが、それは生易しい事ではなかった。リゾートホテルの庭には人間のお客ではなく、せきつい動物亜門 哺乳類(哺乳綱)の動物たちが頻繁にやってくるのだ。Kだ-…(主任、来てください。中庭です。やつらです。いま、乗り越えました。突進してきます。わっ、来た。十五頭います。子どもが三頭います。発炎筒投げます。投げました。逃げていきます。うひゃー。)



                                    2 誤報
 標高千三百十メートルの「仙境都市」は、夜になるのが早い。空気も薄い。当直の夜はボンヤリしているものだ。麓の街で暮らす私の息子から、交差点で、カモシカ(せきつい動物亜門 哺乳類(哺乳綱) 偶蹄目 ウシ科)を二頭見たというメールが入った。カモシカは、基本的にはほとんどが単独で行動することになっている。群れても四頭までだが。…日常における三種類の狂気に通底するものは何か。第一と第二の狂気は、すぐに見分けがつくので省略する。第三の狂気は、(…)や(…)を敵とみなし、自分の思想を持たないことになんらの疑問を持たない人々であり、それが故に、その価値観の崩壊を防ごうと「組織が」起こすパニック「現象」こそが、狂気と呼ばれるものではなかろうか。この三種類に通底するもの、それはモノへの欲望だ。そして、「組織」とは私たちのことだ。…当直もだんだん苦痛になってきた…このごろは夜になると、森の動物たちがゲートを乗り超えて、街にまで現われるようになった。街がいつまでも明るいのと、夏が終っても滞在するホテル客が、サルにモノを与えることが始まりだった。ここの野生の動物で、最初に人間の所有するモノに手を出したのは、サルだった。夕方になると、スーパーの裏山にはサルが群れて、人間を見ている。私たちは屋上で監視している。そしてすぐ屋外放送で、買い物客に注意を呼びかける。《レジ袋を持っていると危険です。早く車に乗ってください。》…動物が欲望するモノは笹薮の山にはなく、街にあふれているからだ。クマは、ホテルやカフェのゴミ箱を漁ったほうが、手っ取り早く食欲の欲望を満たすことが出来た。タヌキは家庭菜園のハニーバンダムの皮を剥いで食べたほうが、子どもを産むための栄養が取れるのだ。農業高校の農場がイノシシに荒らされるのは、ジャガイモの収穫時だからだ。携帯に新しいメールが入っているが、誤報が相次ぐ。また、Kだ。(主任、いま、高校の横断報道をクマが渡って行ったのを私の娘が見ました。見てください、娘が撮りました。)(よく見て、イノシシ(せきつい動物亜門 哺乳類(哺乳綱) 偶蹄目 イノシシ科 )でしょ。)



                    3 生物学的に分節しきれないものの始まり
 ここへ来て三回目の冬が始まった。主要な建物の建設は、二年目の十一月までには終った。動物たちの冬ごもりが始まって、私とKの仕事も一段落してきたかに見えてはいた。地元の大学の応援も受けるようになったが、カモシカの妊娠率が四十五㌫から七十五㌫に上昇した、というようなものだった。森が開かれたことによって、単独で行動していた雌雄が出会う機会が増えたということだ。野生動物の繁殖が増加しているのは、地球温暖化も影響しているかもしれない。地域によって多少の差はあるが、約百年後の真夏日は、五日から十五日の幅で増加する。真冬日は、二十日以上減少するとされている。温かい、ということは子を育てやすい。私とKの共同研究が、追加変更された。言葉を持たない動物の欲望と、言葉を持つ人間の欲望との間に、移動と拡散があるか?(まさか!)動物の生殖を人間がコントロールできるというのは、幻想でしかない。野生動物が嫌う匂いを、それぞれに人工的に作り出すのだ。この地に居住するスタッフの増員が必要だった。




                               4 美的性質の変質
…そして、私と夫は、息子の親権を巡って話しあいが続いていた。この都市には、将来の息子の居住も含めてなんでも揃えた。これも私と夫の共存の範囲かもしれない。
(ねえ、エヴア。たとえば真冬の夜の森での非・生殖的な行為は欲望としてのエロティシズムであろうけれども、想像力によって喚起される美意識でもありえるか。どう思う?生殖的であるか、非生殖的であるかの欲望の違いで、美意識にどんな差異があると思う?)(静かにして、F。外で何か動いているわ。森の動物から見れば、人間の非生殖的な欲望なんて、みんな異常なのよ。美的な性質ってのはね、社会的な物質の移動と拡散の変化でしょ。十七世紀でも、十八世紀でも、美的性質の階層社会における異動はなかったのよ。美の性質を備えた価値ある物質というものは、ブルジョアのもので、庶民のものではなかったからね。ところが、十九世紀において物質の価値というものが、人間の社会階層の上と下での異動が始まって、物質の価値は変質したの。)(それってエヴァ、革命家と詩人の手柄かもね。)(なるほど、そうかもしれない。現象的な物質の美的性格が無意識の欲望と関係していることを知るには、美醜の対立ではなく、美の変質と価値をみることでしょう。)(物質の価値の変質は、それを所有したいという欲望が絡んでくることよ。美的性質の変質は王の欲望と庶民の欲望との違いではなかった?)(価値の変質は、欲望をどこの段階で満足させるかということ。限りない欲望か、限り有る欲望か。そしてどうしたら所有できるかということ。みんなと同じものを所有したいと欲望するか、みんなと同じものは所有したくないと欲望するか。そしてもしかすると、その価値の変質と異動は、この次は、人間と動物の間での変化になるのよ。言葉を持たない動物の欲望と、言葉を持つ人間の欲望との間に移動と拡散があると思う?まさかよね。人間からの自然か、自然からの人間になるかってことよ。動物を人間が征服しているというのはね、妄想なのよ。この「仙境都市」ではね、人間より、イノシシやサルの数のほうが多いのよ。静かに。あ。森の動物のアニマがやってくるわ。)



                           5 イルミネーションツアー
 …鍋の蒸気で曇った台所の窓を遠慮がちに叩く人がいて、車で森の「仙境都市」へ教会のイルミネーションツアーに行こうと言う。エミリアだ。よし、行こう。今夜は暇だし。彼女は、密かに尊敬する女性詩人だったし。ちょうど新しいムートンのコートを買ったばかりで、着る機会がなかったので、それを着て出かけることにした。私とKが設計した街を荒らす動物は毛皮にはなれない。殺してはならないからだ。森の「仙境都市」の奥へ入っていくと、JESUS LOVES MEのイルミネーションがくっきり見える。落葉松の切り株につまずいて、飛び上がった途端、トナカイのキャップを被った青年が、キャンデイをどうぞって籠をさしだした。(あれっポール?どうしたの。)(アルバイトです。)(いつから?)(今晩だけです。)それにしてもあれは、トナカイ(シカ科の哺乳類・名前はアイヌ語の(トナカッイ)からきている)がポールの模倣をしているかのようでもあった。ときとして模倣の行為が現実のときもあるのだけれど。

                              6 グラツイア(優美)
 (ポールいつ帰ってきたの?)(このシティが気に入ったしね。)(仕事は?)(柔道を日本人に教えている)(そんな趣味があったの?)(僕の父はモントリオールで道場を開いている。)(えっ、初耳だわ、きょうはどうして此処にいるのよ。)(普通に言うとカソリックだからさ。)(それってよく理解できないわ。)(あなたは?)(エミリアに招待されたからよ。)(ふん、じゃあ僕らは友だちだろうさ。)(前は違ったの?)(違っただろうさ、ふん。ところで、エヴァ、あなたの詩的逸脱とは何。それから軌範を逃れた美の想像力とは?)(そうね。たぶんポールの言いたいのは、ベネデット・ヴァルキの「美と優美における」グラツイア(優美)のことだろうと思うけれど。)(そうさ。つまりは、低次元の、比例と調和を逃れた高次元の神々しい美のことさ。ふふ、美は反復するのだよエヴァ。)
…エミリアと男性詩人とのリエゾンによる長詩「わたしはわたしから生まれた」が始まった。彼の眼は澄んだ明るいブルーで、髪は暗灰色。夜明けの色だね。年齢がわからない。エミリアが朗読の主導権を握っている。エミリアは、礼拝堂の床をトイレのグリーンのスリッパで叩きながら朗読するという、見た目には滑稽でヒステリックなものだった。アダムとイヴとから始まる、母なる大地との会話であるらしいが、エミリアの新しい発見があるのだろうか。
   


                               7 母性棄却
 (なにを考えているのエヴァ。)(いいえ。聞いているわ、続けて)(ジュリア=クリステヴァの「母性棄却」は、グロテスクの正体をつきとめつつ、母性との融合から分離するようでいながら、果てしなく母性融合を繰り返すのだ。なぜなら母性の概観は、規範的な美そのもののようでありながら、実は軌範を逸脱するものであり、真なる美というものは反復するからだ。美を獲得することを拒む棄却など永遠の母性放棄であり、美の中に拡大されることのない単純なるグロテスクでしかないだろうよ。「存在しないものから連鎖した」「抑圧」というものがあるのか。あるとすれば抑圧以前に「棄却」の構図があるだろう。真なる美として「汲めども尽きないもの」そして、女性が欲望しているほんとうのものは何かを表現するのは、言葉という媒体による「虚構」の表現しかないだろうさ。これから始まるエミリアのメタモルフォシスのようにね。ただしobjetによる子宮から内臓を引き出すような、グロテスクそのものを、美と勘違いするような、表現だけは御免だろうさ。)



                           8 『JESUS LOVES ME
 いきなり背後から声が突き刺してきたエミリアが、またスリッパを叩きだした。暗灰色の髪の男性は、どこかへ行ってしまって今度は彼女だけだ。『アダムの最初の妻(Lilith)はアダムを女性上位で愛した、そしてアダムを棄てた。(Lilith)は、夢精を求めて夜中に暗闇の部屋のなかを飛ぶのだ。リルリルリルリリト」』『神は激怒し、彼女を追放した。(Lilith)は故郷へ帰った。神は、次に従順なるイヴをアダムにあてがった。以来、ゲルマンの神は女性を地に組み伏して、服従させることに成功した。女性よ、あなたがたは先ず(Lilith)であるのです』(リリスってなに?)(あとで。)(うるさいぞ二人。)(エヴァ、早く拍手して。)(わかった。)『子どもが生まれないこの邦の危機的な情況のなかで、今こそ女性の魂が必要なのです。かの(ミジンコ)は雄などいなくても卵を産むのです。カボチャだって単為生殖で実がなるのです。JESUS LOVES MEわたしはわたしから生まれたのですから』



                   9 われらは夢と同じ糸で織られているのか?
 幕が下りた。(大丈夫なの、エミリア、人間とミジンコを並列させた詩を礼拝堂で朗読して。)(いいからきて。こっち。早く。)(どうして?)(「仙境都市」のゲートが閉まるからです。きょうだけの森です。)(ここ閉まるの?)(当然です。私を見て、裏はダンボールですから。)(えっ。)エミリアの後姿はダンボールだった。おお、すべてが私とKの「仙境都市計画」の模倣!何というファンタジー!森も、空も、後ろからダンボールが貼ってあったのだ。私と、「ダンボールのエミリア」を物凄いスピードで追い越したモノがいた。「トナカイのポール」だ!すべてが(まがいもの)の「仙境都市」のゲートが閉じられていくのに…あ。私のコートの背中が割れていく。なぜなの?私とKが、建設した都市は何だったの?…ムートンのコートの背中でくぐもった声がする。私の名を呼ぶだれか…リルリルリルリリト…あ。…汲めどもつきない欲望の断片がこぼれてくる。私の背中から、私にぴったり張り付いていたものが引きずりだされていく…あーダンボールのワタシ!……………夜明けの空に本物のLuciferが上がってきた。…………「われらは夢と同じ糸で織られているのだ。ささやかな一生は、その眠りによって環を閉じる」とプロスペローの言葉を暗誦してみても、ここは、夢ではない現実のはず。(エヴァ、携帯が鳴っていない?)携帯のストラップが首の後ろに回っていた。リアルな携帯音がリリトの名前に重なるのは何故か?(主任。たいへんです、サルに襲撃されました!サルが小学校の校庭に集っています。三十頭以上います!ひゃー駄目です。追いかけてきます。パチンコ玉を打っていいですか。ベランダにいた子どもがひとり引掻かれました。ひゃー。パラスアテナ (Pallas Athena)の旗が!)

註)詩誌エウメニデス32号初出改稿




この作品は、2011年に発行した詩集『その人の唇を襲った火は』(洪水企画)絶版。に所収しました。ユーズド本を根気強く探して下さる方もおられます。宜しくお願いします。





スイートアリッサムの庭で  



スイートアリッサムの庭に、モンシロチョウが舞ってきて、白い花の中に消えた。(蝶は どこへ? )ビルの壁の修復をしているその防護網の、地上約十センチのところに、羽が千切れたトンボが止まっていた。陽だまりでかろうじて生きていたのだけれど、日が閉じて次の朝がきて、そこにトンボが居たことを忘れた日。壁が白くなった朝だった。防護網とともにトンボも消えた(あれはもしかして 枯葉だった?

図書館でその人は、自前のフランス語辞書を引きながら、ノートに何かを書いていた。彼のダウンベストの右肩には、ガムテープが斜めに貼ってあった。(目印が烈しすぎるよ)日焼けした頬と乾燥した唇は、(逃亡者なのか)けれども灰色の目は自分だけの文字を探しているようだった。(彼のダウンベストの右肩は何の文字を隠していたのか)

スイートアリッサムの庭の、壁の修復工事が終わって、防護網が取り除かれた日。明け方の雪に朝日が当たって融けると、工事現場へ向かって県道を自転車で走って行く人がいる。右肩にガムテープを貼ったダウンベストを着ている。ああ、あの人だ。(きょうはどんな文字を隠して働くの? )スイートアリッサムの庭はきょうの雪が融ければ、またいつものように、何事もなかったように、その花は香りながら咲く。

季節の変化のなかで、人生の変調を迎えながら、図書館の書物の間と生活の道路の間で永遠を問いながら、私たちは応答を繰り返すのだ。もっと、もっと新しく、きょうという日の烈しい愛を求めながら、きょうという日を正しく狂いながら時間の光沢を昇りつめていくのだろう。
ほら。聞いて。過去からやって来た光の光沢がいま、耳に届いたよ。

(蝶は どこへ? )
(あれはもしかして 枯葉だった? )
(イエスとは誰のこと? )
(人間とは何? )
いま、眼の中が花の香りでいっぱいになる。スイートアリッサムのなかで、白い蝶になった言葉たち。聞いて。あれが、光の光沢(light cone)の音だよ。

註)
光の光沢(
light cone)=光円錐とは。
特殊および一般相対性理論において、光円錐 とはある事象 からあらゆる方向に向けて発せられた閃光が描く時空上の軌跡をいう。 ある二次元平面上に閉じ込められた光を考えてみれば、事象 E で発せられた光は同心円状に拡がっていき、時間を表わす縦軸を付け加えれば、光の軌跡は円錐を描くことがわかるだろう。これを未来光円錐と呼ぶ。 wikiより

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