2021年1月5日火曜日

松尾真由美 エッセイ| 詩と花が溶け合う場として|エウメニデス52号

 

詩誌「EumenidesⅢ」52号より|
松尾真由美さん寄稿のエッセイ。全文。20167月は、佐久市の古民家「花桃果」で、小島きみ子の個展「エデンの東」と朗読会。場所を移動して、午後から佐久平交流センターで再び朗読会と座談会。充実の1日でした。松尾真由美さんには、ピアノ演奏と詩の朗読。ありがとうございました。



松尾真由美 エッセイ| 詩と花が溶け合う場として

                              

 夏の盛りの七月二四日に長野県佐久平に行く。高原の風はたしかに涼やかで、晴れてはいても爽やかな空気が心地よく、避暑に来たようにも思えました。向かった先は古民家カフェ・ギャラリー「花桃果」。小島きみ子さんのフラワーアート「エデンの東」展が開催中。今回はエウメニデス五十号記念として執筆者たちが集まり、朗読なども行いましたが、私はフラワーアート展のことをご報告いたします。「花桃果」は古民家を改装しただけあって、高い天井や幅広い廊下、畳敷きの和室、カフェルームも古い簞笥やピアノがゆったりと置かれていて、建物の中では静かな時間が流れているようでした。


 その和室の一室でのフラワーアート展は独特な空間を作っていました。ドライフラワーが作品となって和室に飾られてあることがすでに私の目には特異なものとして映ったのです。異語と異語をつなげるような・・・・・・。詩の感覚です。そして、詩人のフラワーアートには詩の言葉が添えられています。あの和室には詩がたくさん詰めこまれていたということを改めて実感いたしますが、そこで、小島さんの花についてのお話から、手作りのドライフラワーは花びらを毎日裏返したり、木の実のひとつひとつを洗って干したりと、とても丹念で繊細な作業が必要であることを聞いて驚きました。飜って考えれば、小島きみ子という詩人は他者の詩の言葉に対しても同様で、時間をかけて丹念に向き合います。フラワーアートは花という素材を扱った作品ですが、詩の評論も詩の言葉という素材を扱った作品といえます。ドライフラワーには香りもある(蕾は香らないので作らないそうです)。そんなところにもこだわりを感じて、詩人小島きみ子の本質にある美学を思ったりいたしました。手を抜かずに向き合うことで花も詩ももっと美しくなる、そんな夢を見てもいいのかもしれません。





小島きみ子フラワーアート作品 エデンの東



小島きみ子フラワーアート作品 春のヴィーナス



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