2019年12月21日土曜日

20191221.リースとスワッグをアレンジする

リースとスワッグをアレンジします。



「冬のリース」
1.ヤナギの台座のリース
  綿の花、白いセンニチコウ、ピンクローズ・ドライ花、ヒイラギ。






2. 白いheartの台座のリース

細い竹を編んだ白い♥の台座。
白いセンニチコウ、ヒイラギ、綿の花、胡桃のオーナメント。


3 木の実とドライ花のナチュラルリース
スワッグを加える。
壁に飾るドライ花のフラワーアレンジメント。



素材:ヤナギの台座、薔薇のドライ花、ユーカリ、
メタセコイアの木の実、シダーローズ、リボン。



綿の花のスワッグ

野茨、ノリウツギ、アオキ、綿の花、リボン。




リースとスワッグを組み合わせて、壁に掛ける。





壁に飾る、ドライ花としてのナチュラルリースとスワッグ。




パンジー4種類の押花額と、センニチコウ(約50本の)スワッグ。
額の中の詩文「花の光が夕闇の道を案内してくれる」


2019年12月19日木曜日

想い出の一枚


2017年12月19日の想い出の一枚。
「小島きみ子と仲間たちの写真詩展」


この日は「写真詩朗読会」でした。言葉と写真の解説と詩の朗読をしました。市内の松田清子さんが朗読してくださいました。愛犬ゲンちゃんとの思い出はとても貴重でした。清子さんは、ゲンちゃんのことを思い出して、すこし泣いてしまったけれど、優しい気持ちが伝わって、とてもよかった。詩を書くことは、悲しいことも、辛いことも乗り越えて、愛したものの命を慈しむ力が継続していく。力が湧いてくる、そういう詩の方向を地道に歩んでいきたいです。


画像に含まれている可能性があるもの:2人、小島 きみ子さんを含む、座ってる(複数の人)、テーブル、リビング、室内

2019年12月15日日曜日

20161215~2019/12/15リース


2016年12月15日の読書だった。Face Book を開けたら過去からこんな文章のメッセージがきていました、良い読書をしていましたね。

鮎川信夫ー”アメリカ覚書”より|詩が如何に精神を定着しようと試みても、言葉は一連の生のヴィジョンをひきつれてひとりで先へ進む。しかし、詩人が一句で躓けば、その詩全体が動揺を受ける。一語の置きかえは、その詩全体に影響を及ぼす。秩序ある再組織とか定着とかいっても容易な業ではない。それが単に芸術的価値にのみ繋がる問題ならばそれほど大したことではないが、詩人の全存在を左右するすべての価値の問題になってくるのである。ぐらつかない言葉によって存在を満たすこと、ーおそらく行為の現実から言葉の現実へうつる時に、詩の魔術が動くのである。もし我々が言葉の秩序を持たなかったならば、流動的な生の中心を見つめることは出来ないであろう。


さて、12月はクリスマスリースを制作しますよ。
リースを制作する。
その1.綿の花のリースに、ヒイラギの葉を加えました。
    台は、竹を編んだ♥形です。







2018年のリースに手を加えて(修理して)、今年のリースにします。




リースとスワッグを組み合わせると、動きのあるいい感じ。
どれと組んでも良い感じ。



クリスマスBox.
森の木の実:ドングリ、マツボックリ、シダーローズ、栃の実。
森の植物:ノリウツギ、ホオズキ、ホオズキスケルトン、ムギワラギク。
金色の布でできているローソクのオーナメントを入れるといい感じ。
クリスマスリボン。
木箱。





白いheartのリース台は、竹を編んだもの。
ヒイラギのリースを制作します。




ヒイラギの枝を♥形にしてイメージを作ります。





リース台に、ヒイラギを貼ってイメージを作ります。










こんな感じです。



余った枝葉で、壁掛けのオーナメントも作ります。
リボンをつけると可愛いですね。





きょうの、最後は、林檎グラッセが完成しました。
林檎ケーキの材料になります。
フジリンゴ小玉を6個。砂糖300㌘。柚子の皮。檸檬水。
2瓶できました。冷蔵庫に保存します。



新しくヤナギの枝を台にしたリースを制作。
ヒイラギと綿の花(2個)と薔薇のドライ花(2個)。
リボンを付けて完成です。
右下の綿の花は大きく開いているので、種子も採りだし易いので、
2個の種子を採りました。ポット苗にするのですが、種まきは1月です。
室温で芽出しをして、発芽したら植え直し。発芽するかな。





2019年12月10日火曜日

八重洋一郎『日毒』について



2017年詩誌「エウメニデス」書評より転載。



八重洋一郎詩集『日毒』について
2017年4月2日発行。コールサック社。
日毒 八重洋一郎 本 > 人文・思想・社会 > 文学 > 詩歌・俳諧 の画像

 石垣島の詩人・八重洋一郎の詩集が届いた。真っ赤な表紙に黒い文字で「日毒」と血書されていた詩集だった。扉も裏表紙も血の海の赤だった。この国の空しくそらぞらしい、政治経済を批評することは、暗澹たる闇の深淵へ自分自身が突き落とされるように、八重洋一郎の詩集「日毒」を批評することは、そらぞらしい正義の知ったかぶりの言葉を書き連ねるに過ぎないように思う。詩集所収の「日毒」と「手文庫」の二編の作品を引用する。石垣島の地中深くに封印されたことばを、じっとり喉に写しとり沈黙の声を受け取りたい。



 ある小さなグループでひそかにささやかれていた/言葉/たった一言で全てを表象する物凄い言葉/ひとはせっぱつまれば いや 己の意志を確実に/相手に伝えようと思えば/思いがけなく いやいや身体のずっとずっと奥から/そのものズバリである言葉を吐き出す/「日毒」/己の位置を正確に測りの対象の正体を底まで見破り一語で表す/これぞ シンボル//慶長の薩摩の侵入時にはさすがになかったが 明治の/琉球処分の前後からは確実にひそかにひそかに/ささやかれていた/言葉 私は/高祖父の書簡でそれを発見する そして/曾祖父の書簡でまたそれを発見する/大東亜戦争 太平洋戦争/三百万の日本人を死に追いやり/二千万人のアジア人をなぶり殺し それを/みな忘れるという/意志 意識的記憶喪失/そのおぞましさ えげつなさ そのどす黒い/狂気の恐怖 そして私は/確認する/まさしくこれこそ今の日本の闇黒をまるごと表象する一語/「日毒」



「日毒」という一語の凄まじさが何処から来るのかと、問うとそれは作品「手文庫」で明かにされる。祖母の父の「手文庫」から出てきた血書「日毒」であった。

 

 その時すでに遅かったのだ/祖母の父は毎日毎日ゴーモンを受けていた/にわか造りの穴(ミィー)のある家/この島では見たこともないガッシリ組まれた/格子の中に入れられ/毎朝引きずり出されては/何かを言えと/迫られていた そしてそれは/みせしめに かり集められた島人たちに無理矢理/公開されていた 荒ムシロの上で/ハカマはただれ血に渇き 着衣はズタズタ/その日のゴーモンが過ぎると わずかな水と/食が許され その/弁当を 当時七歳の祖母が持って通っていたのだ/祖母の家は石の門から/玄関まで長門(ながじょう)と呼ばれる細路が続いていたが/その奥はいつも暗く鎖され/世間とのあれこれはすべて七歳の童女がつとめた・・・/こんな話を 祖母は 全く/ものの分からない小さなわたしにぶつぶつぶつぶつつぶやき語った//祖母の父は長い厳しい拘禁の末 釈放されたが/静かな静かな白い狂人として世を了えたという/幾年もの後 廃屋となったその家を/取り壊した際/祖母の父の居室であった地中深くから ボロボロの/手文庫が見つかり その中には/紙魚に食われ湿気に汚れ 今にも崩れ落ちそうな/茶褐色の色紙が一枚「日毒」と血書されていたという


人を人とも思わぬものの所業は、すでに人を失ったものの仕業。知と愛を取り戻すために現代詩の詩法はあると思う。言霊を錬成してゆきたいと思う。








2019年12月9日月曜日

綿の花のリース

12月9日。
直売所で購入したときは青い蕾だった花が開いたので、リースを制作しました。
台は、竹を♥形に編んであります。白くペイントされていてとてもかわいいですね。
ショップで購入しました。





スワッグの蕾も開きました。









綿の花のリース。
リボンは深紅と金色。
台は竹を♥形に編んだ白。
シンプルで良い感じです。

2019年12月5日木曜日

2019年12月5日

ヒマラヤスギうえのほうにようやく球果cedar rose を僅かに発見。
これは、きのうの画像。よく見えませんね。



きょうは、5月から通院している総合病院歯科受診して、治療計画通りの
ぐらついている奥歯を抜歯。八時間経過するも、まだじわじわ出血する。
10年前に抜歯したときよりは、経過は良い。
今回は歯周病。前回は、かみ合わせ不全。歯ぎしりひどくて、顎関節炎が治らなかった。




そんな事を経て、送付されている詩集を三冊読了。
2016年12月5日のきょうの出来事。FB.より転載する。

2019年の写真詩展は、1月に開催しましたので今年のイベントはありません。会場が見つからないので、今後はブログで発表していきます。公募は、松本詩人会で毎年5月頃要項が届きます。わたしの写真展へ参加してくれていた詩人達へも、お誘いしています。

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、リビング、室内



2016年12月5日は、写真詩展を開催していました。取材を受けている地方紙の彼女と延々三時間くらい喋って、夕食の片付け中に皿が割れて右手親指が切れて、、緊急外来で四針縫ったのでした。忙しい12月。きょうはきょうで、抜歯という。でも元気にしていますよ






メタセコイアの木です。







上のほうにドイツトウヒがありと思う。









真ん中の木の上のほうに「ヤドリギ」があります。
元気ですね。枯れ木の上に、賑やかな部分があります。それです。

2019年12月3日火曜日

噴水と私

画像

噴水の画像は、twitterのフォロワーさんである、「ゆたりやの亭主

@yasumine0318」 さんにお借りしました。ありがとうございました。


噴水と私
  


ひと夏を、詩を書くために噴水の水を見飽きるほど見ていたことがある。
それは、フランスの作曲家モーリス・ラヴェルがパリ音楽院在学中の一九〇一年に作曲したピアノ曲《水の戯れ》の煌く水を、詩で顕したいと思ったからだった。


ラヴェルの曲では、「亡き王女のためのパヴァーヌ」も好きだけれども、ラヴェル独自の作風へと昇華するきっかけとなった作品といわれている《水の戯れ》をピアノ曲と、現実の水の戯れを、夏の詩の中に書いてみたいと思った。


《水の戯れ》は、リストの「エステ荘の噴水」が、下敷きになっているといわれている。リストの「エステ荘の噴水」も聴いてみなくてはならない。
そんなわけで、ある夏の夏休みは、ピアノ曲を聴きながら過ごした。


ピアノという楽器の特徴と演奏法についての文献も読んでみた。
ラヴェルはピアノがあまり上手くなかったとされているようだが、ピアニストになれるほどではなかったということであって、ピアノ演奏のレベルが低かったわけではないという。


それで、とても興味深かったことは、「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、弾きながら楽譜を書いているが、《水の戯れ》は、弾きながら書いていないということです。
それは、弾きながら書くときに現われる手癖というものが無いということなのです。



ピアノという楽器を弾きながら楽譜を書くことは、イメージを遠く飛ばすが、そういう部分がなく、単純な和声進行の部分が多い、けれども、噴水の水の上がるさま、落下するときの光の煌きは、単純な繰返しゆえに水の軽やかさが見事に表現されていると思う。