2013年5月19日日曜日

ハンセン病文学全集のこと



  ハンセン病と文学との関わりを少し調べてみました。
図書館へ本を探しに行く時にいつも思うのですが、本は「こっちよ」と差し招くようにそこに現われる気がします。…赤松の木立を通り白樺の並木を通り、ポプラを横切り、トウカエデの下を通り、窓辺の席に荷物を置いて日本文学の書架へ本を探しに行くと、目の前に「ハンセン病文学全集(2003・10・24初版発行・皓星社」が1巻から10巻まで並んでいました。
 こうした全集があることも知りませんでした。編集は大岡信・大谷勝郎・...加賀乙彦・鶴見俊介の4氏です。6巻と7巻が「詩」で、10巻が「児童作品」です。岡山県の長島愛生園の児童作品がたくさん収められているのは、この地方に優秀な指導者が存在したということかもしれません。この全集に先立って、高知県宿毛市出身の大江満雄(1906~1991)という思想詩人が1955年に「日本ライ・ニューエイジ詩集」という本を京都市の三一書房から発行しています。彼は戦争中に思想犯で2回投獄されています。その後愛国詩なども書いたようです。けれどもその反省からだと思うのですが1955年に前述の詩集を発行しています。
 この、ハンセン病者の作品を集めて発行するという仕事はたいへん難儀なものであったということです。この詩集がお手本としてあったので、…全集が発行できたのですが、これも準備に10年をかけています。それは児童作品であっても入所から始まるその存在のプロフィールが記録されているからです。これは、文学全集であるけれども、ハンセン病者の「命の記録」でもあるのです。6歳とかの幼い子どもが両親から引き離されて施設に入所したのです。また、入所してここで指導を受けて作品を残しながらもすぐに死亡している子どももいます。また、イニシャルだけでその存在の記録のない子どももいます。けれども、治癒してこの「らい予防法が」廃止される以前に社会復帰した子どももいます。それはよほど稀な例で、治癒しても一生を施設で過ごした方もいたと想像します。なぜなら、一度うけた隔離の差別から、時を経て実家へ戻ってもすでに両親はなく、病根の痕跡をとどめた、職業もないその存在を受け容れることは、戸籍上の身内にとってよほどの慈善のこころが無い限り困難であるからです。
 こうした療養所から出た詩集・詩誌に協力した詩人たちの歴史的な記録も大江満雄は記録しています。木下杢太郎・吉川徳則比古・藤本浩一・永瀬清子・小野十三郎・神保光太郎・竹内てるよ・北川冬彦・村野四郎・野間宏・丸山豊・原田正二・服部嘉香でした。これらの詩人たちはいわゆる昭和前期の詩壇を代表する詩人たちであったのでした。

  児童作品のなかから引用します。

だれが好き       武谷安光

「だれが好き?」
と 友が言った。
「ぼく?」
「うん」
「神様だ」
「それから?」
「おかあさまだよ」
「―君は?」
「ぼくも同じだ」
と 友は言う。
「それからお医者が好きだ
病気の人を助けるもの」
と 言うと
「それだったらぼくも好きだ」
こんなことを言いながら床にはいった

(1958・3・28「南国」)

http://www.libro-koseisha.co.jp/top17/main17.html

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