2015年2月27日金曜日

2月の詩誌紹介

2月の詩誌
 
 紹介する詩誌・通信等11冊の画像です。




1.『花』62号

 発行人は菊田守さん。編集委員長、編集委員には存じ上げている方々が多数いて、この雑誌の重厚な趣が、ここにあったかと改めて思う。東京で発行されているが、長野県から参加している同人も4名いるということで、親しみがある。内容は、詩作品を中心として、エッセイ、海外の詩、書評が4本、セミナーの報告。

 詩は、平野光子さんの「ふるさと」が心に沁みた。手術後の夫を長く介護していたが、昨年失った。「かれ の ひかり」で始る作品は故郷の「枯野」でもあり、「彼の光」でもあると思う。
 エッセイの中谷順子氏「高見順と千葉県」に注目した。日本未来派の詩人・高見順の詩集『死の淵より』は、十九歳のときに読んだ。大腸がんで死んだ父親の不在は、私にとって死を知った最初でなかなか立ち上がることができなかった。そのときに読んだ『死の淵より』は、詩の言葉の峻烈な力によって、肉親を失った苦悩の淵より跳躍して、二十一歳の夏に、私は始めての詩集『風』を100部限定で発行した。ペーパーバックスの私家版で表紙画も挿絵も自分で描き、編集して、町の印刷所で「本」にしてもらった。詩の言葉に力があるとすれば、自身の存在というものと、どのように言葉で取組んだかを「表現すること」によって、読者に「コンパッション」を与えることだと思う。詩を読むことは、「受苦」であるし、言葉の変容により「共苦へ誘う」ことだと思う。共感共苦によって、言葉は人を死の淵から脱出させることができると思う。詩の言葉に私は絶望していないからだ。







2.『独合点』第121号

 金井雄二さんの個人誌。ゲストは大橋政人さん。表紙画はケシゴム版画で犬の散歩の男性。開けると、大橋政人さんの「空の人」の1行目が「今年最後の犬の散歩で」で、始る。大晦日のでしょうか。最終行は、「家に帰って/今年最後の風呂につかりながら/空高く行く人の/足の下のムズムズについて/考えた」金井雄二さんのエッセイは「一家団欒」。他界されたお父さんのことを書き出しに使いながら、小説家・藤枝静男の「一家団欒」に話をすすめていく。後半は詩のことで、菅原克己という詩人の「ブラザー軒」という作品のこと。話のひきつけかたが上手い。金井さんと会って話しているような気持ちになる。


3.『叢生』第196号

 編集は江口節さんほか。関西に在住する13人の同人誌。江口さんは神戸市の方ですが、合評会は大阪市のようです。高知・和歌山・奈良と広範囲の同人たちの御住まい。江口さんの作品は14P.に「時計の冬」がある。3連の1行目に「ある日 ふいにさむい法律ができて/驚いて声を上げたが/さむいまま 回り始めたら止まらない/世はまだ壊れぬふりをあして時を刻み/錦秋にめくるめく日々を拡げよと人のまつりごと/ひた走るひそかな空と海のまつりご//」


4.『ロッジア』14

 時里二郎さんの個人誌。扉に目次のように《名井島》field notes vol.1とあり、鳥のかたこと 島のかたこと 名井島 伯母 *名井島のためのエスキス*とある。後書きを見ると、「14号からは、《名井島》という瀬戸内海にある(はずの)トポスのもとに、これまでの《半島詩論》と《島嶼論》をひとつの詩の空間として構想したい」ということです。山国の私には見たことのない「島嶼」とは、(とうしょ)とは大小さまざまな島のこと。 中国語では「島」とは別に小島を意味する「嶼」という言葉があり、これらをつなげて様々な大きさの島を意味する言葉ができた。 常用外であることもあり、しばしば「島しょ」と表記される。(wiki)/ 「島嶼とは、人が行きかう海の道であり、人ともにことばが往き来した。ことばはそこで停滞し、混じりあい、また次の島へ出て行く。そのような言葉の交通が、虚空の大洋に点々と、環礁や干瀬や岩礁のごときことばの造形をもたらした」(後書き)
鳥のかたこと 島のことかた の1の最初の部分。「小路の暗部をぬけて/せんぶり みつむり げんのしょうこ/そわかるこえの ほとほと /い行き そむほぎ はやぐひて/けにけに ひそひそ そひ ぬぐふ」field notesとあるように、島を探索して行くとせんぶり、みつむり、げんのしょうこなどが生えていて、けにけにひそひそと非常に小さな繊細な声が聴こえてくるのは、あれは鳥の声?いや、これは島自体の声ではないでしょうか。時里さんと、呼吸を合わせて島を歩いていく。ささ ここ きき しし け そんな見えない島の鳴かないとりの 「人の声の始め」が聴こえてきます。どうですか?聴こえましたか?


5.『黄薔薇』203号

 井久保勤 追悼号とあります。無駄なの無い紙面づくりの雑誌ですから、表表紙の裏面から、井久保勤さんの妻・井久保伊登子さんの連れ合いへの喪が始ります。病院での看病、対話の時間、亡くなって、不在となった家での空虚な時間。「夜ごと抱かれて」は、長い間連れ添った人への限りない愛と悲しみと、感謝と、永遠の悲しみが書かれている。書く、そのことで立ち上がっていく。涙をこぼしながら。ご自愛ください。そして、亡くなった井久保勤さんの年表が掲載されていて、主宰者の同人への敬意というものを感じた。それによると医師であったということがわかったのですが、お二人が夫婦で「黄薔薇」の同人であったことや、妻の伊登子さんが、子どもを三人出産したのち、岡山大学医学部に入学したということは、並みの努力ではない。お二人の詩は、深い人間愛に充ちて静かだ。
「わたしの青空」から「夕ぐれ/草いきれの丘に立つ/日向灘の海鳴りがきこえた/―ひと月前/この沖合いには/アメリカ軍の上陸用舟艇が/蝗のように群がる筈であった/(本土決戦/死を賭して 祖国を守らん)/生き死にはもうどうでもよかった/だが オレは/陸軍の学校から無傷で戻ってきた/占領されてしまった国の故郷は/ひっそりとして/たけだけしいものの姿はない/夕焼けはもう誰のものでもない」









6.『しある』54
 長野県大町市で発行されている詩誌。長野県内の先輩詩人の方々の雑誌で、10人の同人による。詩篇と短い散文が半分ずつの文量かと思う。短い小説も掲載されている。奥付をみると「後援 大町市芸術文化協会」とある。町の財政から芸術団体と認められて、活動費への援助があるということだと思う。同人の入替えがあり、雑誌の内容に変化がでてきたようだ。手堅いと内容の作品作りだと思う。





7.『ネビューラ』第41号

 巻頭の「水仙」という田尻文子さんの作品を好ましく読んだ。水仙とは、、、と思いながら読んでいくと「五年前まで/この家には老婆が一人で住んでいた/九十歳は越えていただろうか/何日も見かけない日が続いた ある日/声をかけると/腹が痛うて起きれんかった と/日に焼けた顔をゆがめて/弱々しく答えた/ふと目に入った水仙を数本手折り/そこのお地蔵さんに祀っとくれ/と私の手に押し込んだ」という四連が目に入った。そうか、そうだったか、よかった。などと思いつつ「水仙を数本手折り/そこのお地蔵さんに祀っとくれ/と私の手に押し込んだ」というところで、「ああ、水仙をお地蔵さんに」昔の人らしいなと思った。昔は、辻堂によく飾られていたものです。こうしたなつかしい習慣にであった。「水仙」は、庭にも土手にも咲いている。腹が痛くて起きれなかったが、幾日かぶりで起きれた。その感謝をお地蔵さんに水仙をあげたいのだ。そういう素朴な気持ちが、「うるわしさ」ではないだろうか。「気持ち」を書きたいし、届ける事が、詩の初めの始りだろうと思う。


8.『璞』第4号

璞は、(あらたま)と読む。町田市在住の宮崎亨さんが発行する六名の同人誌。後書きまで40P。宮崎さんの巻頭エッセイ「試されている美―璞・時代詩の美の意味」がとても良い。石川五右衛門の釜茹での話に始って、林房雄の「愛と美を求めるひとは詩人となるだろう」を引き、宇佐美斉訳のランボーの「美」におちつく。これを読めばあとはいいやとさえ思わせるほどの名文。「事実は小説より奇なりのごとく、小説の上をいくBの極限が新聞を覆うのは、フランス革命以後の歴史において、個々の人間にもたらされた自由が自己抑制されないからだ。」とはいえ、同人の作品は、それぞれ言葉に深さと品位がある。文学をしっかりやってきたことを窺わせる人々の雑誌。


9.総合詩誌『PO』156号

 竹林館から発行されている雑誌で始めて読む。特集は「新川和江」。
新川和江さんの詩や言葉に出会ったのは、新川さんが『現代詩手帖』の選者をされていたときだった。その後、長野で『地球』のセミナーがあり、新川さんの朗読とスピーチを聞いた。印象深い言葉だった。うろ覚えであるが「詩に書いた言葉は自分だけのもの思っているでしょうが、そうではないのです。すでに、自分以外の人が使った言葉なのです」と言われたのだった。私にとって、「詩とは何か」よりも「言葉とは何か」のほうがより大きな問題として存在するようになった。私は、詩集よりも「詩論集」を多く読み、自分もまた「詩論を書く」のは、この時の新川和江さんの言葉との出会いがあったからだ。
 雑誌の特集は、新川和江1つで一冊の本ができるほど多くの詩人が文章を寄せている。新川和江を慕いつつ、こころふかく暖かく読ませていただいた。










10.『鹿』138号

 静岡で発行されている『鹿』は、読み始めて十四年目となる。編集人の埋田昇二さんが送ってくださっている。会員の方々も高齢になっていると思う。詩は、詩を書く者のそのときどきの時間と社会が混ざり合って、進んでいく。人類の歴史や世界の歴史、日本の歴史、その片隅で詩人は、埋田昇二「まあ いいじゃないですか」38P.と生き抜いてゆくのだろう。後書きに同人の一人が「靴を探す夢」を書いている。何回も見るという。それを山頭火の「まことなる句」へ結び付けている。夢の現象は面白いと思う。





11.『ACT』vol,391

 2014年より送付いただいている。「仙台演劇研究会通信」というもので、10Pしかないのですが、現在の日本の社会と政治への批評性に富んでいて、なかなかきょうみ深いのです。巻頭言があり、新刊本レビュー、美術・音楽・映画・社会時評・最後は丹野文夫氏の詩「朝」。A4.の両面印刷で中折しただけで、ホチキス止めなし。簡易ですが、主張したいことを的確に伝えている。「現代を発信している」と思う。








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