2018年4月5日木曜日

散文詩 マックス・エルンスト・からの手紙














マックス・エルンストからの手紙

エウメニデスさんおはよう。
ケルンは今なお、そこで生まれた輝かしき魔術道士コルネリウス・アグリッパや、そこで働き、かつ死んだアルベルトゥス・マグヌスの霊に憑かれているのです。


(エルンスト様、おはようございます、いきなり急に、難しすぎますそれは、 ドミニコ会が中世の精神生活に対して大いに貢献し前面に出て光を放ったのはアルベルトゥスによってである彼によって中世に大きな革新がもたらされたというのに何故、霊に憑かれるのでしょうか。)


ケルンは、魔術師アグリッパ、神学者アルベルトゥスの息吹が立ち込め、ケルンドームには東方の三賢者の亡骸が安置され、純血を守るため命を捧げた処女たちの遺物は修道院の壁面を飾っている。私の幼少期の退屈な時間を助けたのは、彼らの同伴あってこそ。


(エルンスト様、ケルンドームいま見ておりますよ、素敵ですね。わたしもなんだか霊に憑かれそうであります。)


あなたはシュルレアリスム論を特集するのだね。
(過去のことではなく、これからのことですよ)

それは良い兆候です。シュルレアリストたちの活動が続く間に、さまざまな矛盾が暴かれてきたこと、いまもさまざまな矛盾があらわれていることは、この運動が最良の道を辿っているという証拠であると思うのです。


マックス・エルンストは一九一四年八月一日に死んだ。
そして一九一八年十一月十一日に、魔術師になること、当代の神話を見いだすことを渇望するひとりの青年として、蘇るのだ。


(それは、どういう意味ですか? )


成り行き任せの大雑把な線を、キャンバスを覆うまで隈なく引いて、それからレオナルド・ダ・ヴィンチの壁のように目に浮かび上がるものを眺め、切り離し、具現化するというものだ。


(もう少し詳しくお願いします。心理的なものを含めてというか、深層意識についてもお聞かせくださいませんか? )


外部であると同時に内部であり、自由であると同時に捕らわれている。そして、なおかつ、ダダは生の喜びと憤怒の爆発であり、不条理、あのばかげきった戦争の途方もない不道徳に対して私たちの出した回答であったのだ。ある日のこと、アルプがいつもとすっかり違ってまじめだったことがある。彼は言った。「戦争が近づいている」と。



四月二日、きょうは僕の誕生日だよ。
僕は四月一日に死んで四月二日に生まれたのさ。それは愛の記憶のように強烈かつ素早
く現れたのさ。


(おめでとうございます、春のよき日にお生まれになったのですね。)


そうさ。ぼくにとって、意識の内で生ずる現象と無意識の内で生ずる現象とは、あまりに完全に混ざり合ってしまっているので、とても正確に区別はできないのだ。一九一八年、光がチューリッヒから僕のもとにさしこんだ。ダダが生まれたのだ!ああ、僕は、他人とうまくやってきたとは思っていない。ただ一人か、二人とならばそういえる。アルプと、そしてエリュアールとならば。僕の生涯にとってはほとんどこの二人で十分だったのだ。


(あのお二人がエルンスト様のもっともよき、ご友人だったのですね。よくわかりますとも!)



それからの僕の仕事は。
一九三〇年、それはロマン『百頭女』を、熱心にまた几帳面に制作したのちのこと私はほとんど毎日のように、「ロプロプ」という名の「鳥類の王」の訪問をうけた。彼こそは私個人を忠実にかたどった分身、私の人格に密着した幽霊なのだ。僕のコラージュ・ロマン「百頭女」(河出文庫)が一九六七年にフランス語で実写映画化されている。原作は、イメージの連なりの画集だ。読んでみたまえ。翻訳は巖谷 國士(イワヤ クニオ)氏だ。


そして僕は、ほんとに小さなイエス・キリストなのだと思う。僕にとって、意識の内で生ずる現象と無意識の内で生ずる現象とは、あまりに完全に混ざり合ってしまっているので、とても正確に区別はできないのだ。森の終焉とは何だろうか? それは、これまで蕩尽の友人であった森が、お利口な場所や舗装された道、日曜日に散策するものたちとしか付き合わないと決心した時だ。おやおや、エウメニデスさん。もう僕の誕生日が終わる時間だよ。あなたがたが、シュルレアリストであるなら、未知を歩くものの運命を信じるはずだ。ごきげんよう、僕の国でいずれ合間見えん事を!


註 
マックス・エルンスト(一八九一年四月二日~一九七六年四月一日)は、二十世紀のドイツ人画家・彫刻家。ドイツのケルン近郊のブリュールに生まれ、のちフランスに帰化した。ダダイスムを経ての超現実主義(シュルレアリスム)の代表的な画家の一人である。作風は多岐にわたり、フロッタージュ、コラージュ、デカルコマニーなどの技法を駆使している。一九五四年、ビエンナーレ展で大賞を受賞。一九五五年には、受賞を非難してシュルレアリスムからの彼の追放を宣言したブルトンと絶縁した。(wikiより)事物の切り取りから生じる物語としてのコラージュ・ロマン。イメージの自在の組み合わせが呼びこむ幻惑きわまりないパピエ・コレ。新たな関係の出現だけで組み立てられる高速のエディティング・アート。これらいっさいを、一九二〇年代のシュルレアリスト、マックス・エルンストが早々に確立してしまった。(松岡正剛・千夜千冊『百頭女』より)一八九七年、姉のマリアが彼をはじめ兄妹みんなに別れのキスをし、その数時間後にこの世を去ったときが、死(=無)とコンタクトをとった最初でした。エルンストの作品には可愛らしい鳥や天使、あどけない顔の人物からグロテスクな怪物的存在まで、様々なフィギュア(=像)が登場します。エルンストはまた、自らの内なる自我を鳥と人の合体した姿で作品中に登場させ、「ロプロプ」と名付けました。

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