2019年9月21日土曜日

犬飼愛生詩集『stork mark ストークマーク』について


詩誌「エウメニデス」第57号(2018年12月28日発行)詩集評より

犬飼愛生詩集『stork mark ストークマーク』について
(モノクロームプロジェクト発行)



 全体に目を通してみて、私自身が子育て中に思ったり感じたりしたことが、ここには多数存在して、わたしは犬飼愛生の作品世界を彼女と歩き回る。久しぶりのこのワクワク感は、いったいなんだろうと思う。
 タイトル詩「stork mark 」は、14P.にある。個人的な声が頷いている(どきどきするじゃないの、コウノトリの赤い噛み痣が首にあるなんて。わたしが生んだ子どもたちには、なかったわね、臍の緒が絡みついた青痣が首にあるわ、)と思う。

 「コウノトリの噛み跡まだある?/と私に確認させる君/息子の首の後ろの赤い痣/コウノトリに咥えられて運ばれるときにつくという/その痣を/指でゆっくりと撫でてやる//コウノトリが咥えて飛んできたのはもう六年も前だから/痣はだんだん消えかかって//不妊治療専門とピンク色に縁取られた看板が/平然と堂々とこちらを見ている//「コウノトリってぜつめつくぐしゅなの?」/お兄ちゃんとも呼ばれたことのない君が/困ったようにいう(省略)」



25P.「牛の子ではないから」

「牛の子ではないから/人間は人間のお乳でそだててほしいの/牛のような助産婦が そう言ったのだ//雲ひとつない空が 真っ青な/月曜日だった/目も開かぬうちに/私の胸の上に乗せられた子/たったいま、この世に生まれた子が/ちぅ、と吸った/私ははじめて 自分の体内から/乳が湧くのを見た//乳を作るのは血/牛の母ではないから/(草だけ食べていればよいわけではない)/乳のまずい日は 子どもが泣く/子どもが泣くので 母も泣く/(略)」

 乳がまずい日は 子どもが泣く、はああ、そうだなと思う。でも、私は、乳が豊に湧いてこなかったので、人工乳で育てた。人間の乳で育った子、というごく当たり前のことが、けろっと詩になっているからだ。この詩人の大きさは、「けろり」と言ってのけるところだろう。だれでも知ってる当然のことが、比喩ではないような、かんぜんな比喩によって、「けろり」と燦然と輝いているのです。 たくましいなあ、母と人間の乳だけで育った子のまぶしさよ。

「私の乳だけで ここまで育った/歯が生えた、髪も伸びた/よつんばいになった子の/手がもうすぐ/一歩でる」


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