2020年1月15日水曜日

((そよぐ草の畸形な声の眼よ…))

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小島きみ子詩集『天使の羽はこぼれてくる』より((そよぐ草の畸形な声の眼よ))






1.白いレース糸で編んだ夏の帽子

ああ、これは何もかもが夢
夢を見ていると知りながら
声がするほうへ行こうとしている
それは意味の記憶の連鎖で結ばれる
恐らくは誰のものでもない架空の幼年時代の夢………*
(恐らくは誰のものでもない
(架空の幼年時代の夢………
(声がするほうへ
(声がするほうへ
葦の原で
生まれたばかりの児が藤籠の中で眠っている
空に茅の穂に似た雲が湧き出て
彼は雲の形をノオトの隅にスケッチする
灰色の雲
傍らに若い女性がいる
彼女は白いレース糸でこどもの帽子を編んでいる
あれは
どこかで見たことがあった
桃色のリボンが結んであって
家族写真の赤ん坊が被っていた白いレース糸で編んだ夏の帽子
山はごぉごぉと火の音がしていた
彼女の青いパラソルの上に降ってくる灰色の雲の断片
燃える山が燃やしているものって何
灰と灰色のものがノオトの文字を埋める
何が書いてあるの?
文字を見たいと思って覗くのだが
灰がどんどん降ってくる
文字には意味が無い
意味を知ることは意味を失うことだって
だれ? N?  M? R?  J? O?  だれ?
灰と灰色の疵を巡ることは
blinder Wille zum Leben
(盲目なる生への意思)を連想することだ
彼と彼女の愛の間にひろがるもの
灰色の灰と生まれたばかりの赤ん坊の存在とその未来
かかる人生の一切は皆苦(かいく)と釈尊は両手の指を広げて見せる
虚無の物語をフロッタージュする哲人の指だ
放棄することによって獲得するもの
ただ衷(うち)なる声の深みへ向かっていくのみと
灰色の灰が経典の文字を埋める




2
.皮膚に刻印された蝶の心臓

おお、(M)
(声がするほうへ
(声がするほうへ
Mあなたの
ソネットは蜘蛛の糸に架かる朝露の煌きだった
夏の高原に飛び交うキマダラセセリの紋様がギンガムのブラウスに映って
それは皮膚が新しく経験する言葉の陰影だった
(わたし)の皮膚に刻印された蝶の心臓
儚いことは脆いことと同義ではなかったけれど
「私は風であり豹なのだ」*と彼はノオトに書いたまま
とうとうこの高原の山荘に帰っては来なかった
彼は都会の病院のベッドで死んだのだ
(わたし)は暗黒の部屋に射すアンジェラの薔薇の光を重ね合わせては
死んだ詩人へ葉書を書いた
不在の人の存在は火の燃える音のなかに微かな声の陰影となって
遙かな時間の記憶を現在のこの場所に反転した
生きる現在に、文字を燃やす音のなかに蘇る微かな声
「私は風であり豹なのだ」*…


3.生滅するものの姿無き声の深みへ

やがて
レモンイエローの月が中有に輝き
ジョン・ダンのソネットを口ずさむあなたが
山脈の向こうから歴史の海を越えてやって来た
深い暗黒の夜のひそやかな人影に重なる声
(声がするほうへ
(声がするほうへ
砂漠色のあなたの肌に刻まれていたイスラム教第四の聖地ハラルの名
おお、[R]、あなたの勿忘草色の瞳を灰色に変えたものは何?
あなたが携えていた楽譜(スコア)はバスの低い音で
とても(わたし)には歌えなかった
意味を知ることは意味を失うことだって
意味から逃れていくことだって
詩から自由な存在者であるものだって
存在者とはだれがだれを認識することなのか
問おうとする声は打ち消され
ただ衷(うち)なる声の深みへ向かっていくのみと
あなたはわたしの左掌にGペンで
…[noir]…
と刻印した
いとおしんだ紫、未知の色だった黄色、
あなたのブロンドの髪を灰色にしたものは何?
[noir]…
暗闇のなかから導き出す微かな光
 
光がつけた疵を、皮膚に記された文字の陰影により一瞬にして現在に蘇らせるもの
推理されるのは、それが認識を結果させる能力であるということ
それは
命の根源を皮膚のうえにフロッタージュすることだ
おお、[R]…生滅するものの姿無き声の深みへと
千の舌でうたう者の声の深みへと


4.記憶の布、蹲る(眼)のように

ああ、これは何もかもが夢
夢を見ていると知りながら
声がするほうへ行こうとしている
それは意味の記憶の連鎖で結ばれる
恐らくは誰のものでもない
架空の幼年時代の夢…………
(声がするほうへ
(声がするほうへ
(恐らくは誰のものでもない
(架空の幼年時代の夢………
(声がするほうへ
葦の原で
とおいとおい空のした
生まれたばかりの児が藤籠の中で眠っている
空には鱗雲が湧き出て
彼は寒冷地用に品種改良したイネ科の植物の種を蒔いている
傍らに若い女性がいる
彼女は布を染色するための植物を集めている
祝着のための桃色を探しているらしい
山茱の木の下に湧き出ていた水を両手で掬おうとすると
水の中から溢れてきた桃色の花の声が
記憶の布のなかで再生される
花とともに生きながら死んでいくもの
オフィーリアのモデルとなったシッダル
ああ、美しいシッダル誰が誰であろうと死によって永遠となった花の声
花に埋もれて川を流れていく無名者の愛のかなしみ
かかる人生の一切は皆苦(かいく)と
花の声、記憶の布
微かな光とともに動く小石
それを掬おうとする手の影
桃色のホタルブクロが水辺にぎっしり咲いていて
水の流れに沿うように小石が微かな光とともに動くのさえ見えるのだ
花束を作るために屈む彼の背
彼女に渡そうとする手
問おうとするのだが声が時間に吸われてしまう
彼は死んだからだ
桃色の花
あれは桃色の布を染める彼女の手
幼子の祝着を縫う彼女の手
もう一つ別の花
ああ桐の花が見える
あれは彼女の着物の花模様
桐の花で染めたシルクの帯模様が見える
彼女の命がもうわずかなことを告げている桐の花
水の流れに沿って
小石が微かな光とともに動く場所はどこにあるのだろう
丸木橋を渡るのか
広葉樹林を越えて
山脈へとつながる森へ入る手前に
あれは、縄文の人々が暮らしをたてた栃の木の台地
早蕨の生い茂る平野には、たくさんの獣骨が埋まっていた
東斜面へ回れば墳墓があるのかもしれない
そよぐ木の葉が、青い草草に映す(アニマ)のゆくえを追って
足裏に動物の(眼)を感じる時
(わたし)の皮膚に映る鳥の影、草に映る(わたし)の影
だれがだれであるのか、わたしたちはもう見分けがつかない
(声)がダブルになっている
ああ、無数の(アニマ)の(眼)がびっしりと(わたし)のなかに蹲る
蹲る、蹲る、記憶が織り成す布のように蹲る(眼)
遙かな記憶を迎え入れようとしているこの場所
ここも無限性なのだ
現在のこの場所にやってきているのは
きっと遙かな森のspirit
外界の対象が存在しなくとも
その両者の交互作用によって無限の過去から
知識は瞬間ごとに生滅しながら流れを形成している
だれ? (わたし?)(だれ?) わたしなの?
問おうとするのだが声が時間に吸われてしまう
死んだの? だれ? 死んだの? だれ?


5.黄色い小鳥

(声がするほうへ
(声がするほうへ
(恐らくは誰のものでもない
(架空の幼年時代の夢………
(声がするほうへ
山荘の部屋に帰ってくると
部屋は(わたし)を部屋の隅へ迎え入れ(わたし)のような顔をした
(わたし)はマテリアルの一部分に成ろうとしているようだった
この場所で、わたしはわたしを失うのだろうか
死せる物質が新しい知の力を持って復活するように
森の中心部から動物の(アニマ)が流れてこんでくる夜
朝から霧雨は針葉樹の枯葉を濡らしてはいたのだが
まだ何の力も持っていなかった
(わたし)の「脳」を彼の針で濡らすなんてできはしなかった
(わたし)の内密空間に侵入するなんて
この暗黒の悶えの中に侵入してくるspiritは柔らかく強くも苦しくもなかった
たくさんの物と死に別れた森の土を掘り返したのは
暁の煌きのなかを飛び立った黄色い小鳥をどんなに愛していたかを
(わたし)に教えるためだった
まだ、暖かった黄色い小鳥の羽毛に触れるために
そこにいるのが(わたし)で有ることを確認するように言った
<ほら まだ生きているのよ 死んだ振りをしているだけ>
耳の奥に残る黄色い空のざわめき
人の悲鳴のように
森の土の上に空の悲鳴としてあったもの
あの姿を真似て(わたし)は白いシーツの上にザクロ色の滲みとなって横たわった
それから滲みはシーツの皺を変形させて「私が脳だ」と皺で顕した
空の悲鳴こそ(わたし)の脳によく似たマニエリスムの地形だった
そこに最初から有ったもののように
そしてそれから成ったもののように
そこに形相された脳の地形はポイエーシスそのものではなかったか
そこから意思を持って向かおうとしているもの
空と大地の(眼)で織られた布のうえに横たわること
生きた現在の転移として
(わたし)が(わたし)を捉える空間
それらの出来事を(わたし)は部屋の隅でじっと視ていた
(わたし)を顕している空間のすべてを


6.言語の網の目

(声がするほうへ
(声がするほうへ
(恐らくは誰のものでもない
(架空の幼年時代の夢………
(声がするほうへ
森の土の上に空の悲鳴としてあったもの
ザクロ色の滲みとなってベッドに横たわる(わたし)
小鳥の羽を覆った黒い土
その土の上に黄色い空の悲鳴としてあったもの
部屋の隅で息を潜めている森からついてきた動物の(アニマ)
…nature of history
(歴史の本性)へ
超越って?裂けること?natureへ向かっての放棄(relinquishment)?
幻影ですね、あなたは(わたし)の
カタチをもたず無言でありながら、ゆるぎない他者として輪郭の陰影であるもの
おお、M.Fの「言語の網の目」*ですね
言葉から逃れることによって言葉の核にたどり着いた、非存在
言語のウェブ
無限性の融合の徴として
放棄することによって獲得するもの
仏陀の出家は放棄という選択だった
生きるとはこの身(み)を空間に向かって放棄することだ
(the Great Renouncement)
の時間と場所
空と地との(眼)のうえに重なる更なる意思の(眼)よ、
虚無の(眼)の影が映す声の(眼)よ、
遙かな過去に埋められた文字の陰影が(いま・ここ)に転移する
ああ、シッダル(わたし)のなかから出自のように飛びたつ黄色い小鳥
花とともに生きながら死んでいく光の形相
豊かさを秘めたものが、その物の本質を取り戻す場所
そこは、
桃色のホタルブクロが水辺にぎっしり咲いていて
水の流れに沿うように
小石が微かな光とともに動くのさえ見えるのだ
花束を作るために屈む彼の背
彼女に渡そうとする手
問おうとするのだが声が時間に吸われてしまう
彼は死んだのだ
彼女は睡蓮の花とともに生きながら川を流れて行く
無辺のことばを溶かすアンジェラの千の花弁
消えた声よ、沈黙の舌で語れ!
声の痕跡のうえに
蹲る(眼)のうえに織られる更なる絨毛な(眼)よ!
詩人は死んだのだ
冬枯れの芝生に映る(わたし)の影のなかにこぼれてくる樹木の陰影
失うもののなかに生まれる緑の光
射している光の上に横たわる影の中に生まれてくるもの
光が点けた疵のように暗黒の部屋を射すアンジェラの薔薇文字
ディグナーガの論証の文字を埋める火の山の灰
この生きた現在((Here and Now))にこぼれて(わたし)と重なる声
不在の物のうえに非在の声の痕跡が刻印するもの
そこに最初から有ったもののように蹲る(眼)よ!(眼)よ!
遙かな文字の痕跡から生まれた畸形な草の声の(眼)よ、
そよぐ草の声の(眼)よ、
そよぐ畸形な草の声の(眼)よ、
(わたし)の喉に響く緑の光の(眼)よ、
光が点けた疵を(わたし)の喉は微かな(声)でそよがせる。
あおあおとあおあおと(文字)の徴(しるし)のように、そよがせる。

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